「隈なく」 青空文庫 用例カード

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「隈なく」#1 56033.11

■『クリスマス・イーヴ』(クリスマス・イーヴ)
■著者:アーヴィング ワシントン:1783年4月3日~1859年11月28日
■翻訳:高垣 松雄(たかがき まつお):1890(明治23)年12月13日~1940(昭和15)年9月13日
■底本:スケッチ・ブック:岩波文庫、岩波書店:1935(昭和10)年

たる樅の樹蔭に隱れ、殆ど植込の中に埋つてゐた。

56033.11 馭者は門番の大きな鐘を鳴した、鐘の音は靜かな凍てついた空氣の中でりんりんと響き渡り、之に應じて遠くで犬の吠えたてる聲がした。犬たちがこの邸宅を護つてゐるのと見える。一人の老媼が直に門口に現れた。月の光がけざやかに老女の上に降りそそいだので、わたしは一人の小造りで素朴な婦人の姿を▼隈なく▲見ることが出來た、身なりはいかにも古風な趣味で、小ざつぱりとした髮被ひと胸飾を着け、銀のやうな髮毛が雪白の帽子の下から覗いてゐた。彼女は膝を屈めて敬禮しながら、若主人を迎へる歡びを顏にも言葉にも現すのであつた。夫は恐らく、お邸へ行つてクリスマス・イーヴを召使部屋で祝つてゐるのであらう。この男がゐないと座が持てなかつた、お邸では一番の唄上手、話上   「隈なく」#1 56033.11

「隈なく」#2 73.16

■『或敵打の話』(あるかたきうちのはなし)
■著者:芥川 竜之介(あくたがわ りゅうのすけ):1892(明治25)年3月1日~1927(昭和2)年7月24日
■初出:「雄弁」1920(大正9)年5月
■親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:芥川龍之介全集3:ちくま文庫、筑摩書房:1986(昭和61)年

左近は思わず躊躇した。その途端に侍の手が刀の柄前にかかったと思うと、重ね厚の大刀が大袈裟に左近を斬り倒した。左近は尻居に倒れながら、目深くかぶった編笠の下に、始めて瀬沼兵衛の顔をはっきり見る事が出来たのであった。  ▽73.15 二  ▽73.16 左近を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵兵衛の行く方を探って、五畿内から東海道をほとんど▼隈なく▲遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再び聞えなかった。  ▽73.17 寛文九年の秋、一行は落ちかかる雁と共に、始めて江戸の土を踏んだ。江戸は諸国の老若貴賤が集まっている所だけに、敵の手がかりを尋ねるのにも、何かと便宜が多そうであった。そこで彼等はまず神田の裏町に仮の宿を定めてから甚太夫は怪しい謡を唱って合力を請う浪人になり、求馬は小間物の箱を背   「隈なく」#2 73.16

「隈なく」#3 4311.49

■『クラリモンド』(クラリモンド)
■著者:ゴーチェ テオフィル:1811年8月30日~1872(明治5)年10月23日
■翻訳:芥川 竜之介(あくたがわ りゅうのすけ):1892(明治25)年3月1日~1927(昭和2)年7月24日
■初出:「クレオパトラの一夜」新潮文庫、新潮社、1914(大正3)年10月16日
■底本:芥川龍之介全集 第一巻:岩波書店:1995(平成7)年

らないであらうか。其すぐれた肉体の形の完全さは、「死」の影で浄められてゐるとは云へ、常よりも更に淫惑な感じを起さしめた。そして又、其安息が何人も「死」とは思はぬほど、眠りによく似てゐるのである。わしは、此処へ葬儀を勤めに来たと云ふ事も忘れてしまつた。いや寧ろ花嫁の閨へはひつた花婿だと想像した。花嫁はしとやかに、美しい顔を隠して、羞しさに姿を残る▼隈なく▲掩はうとしてゐるのである。わしは胸も裂けむ許りの悲しみを抱きながら、しかも物狂はしい希望にそゝられて、恐怖と快楽とにをのゝきながら、彼女の上に身をかゞめて、経帷子の端に手をかけた。そして、彼女の眠を醒ますまいと息をひそめながら其経帷子を上げて見た。わしの動悸は狂ほしく鼓動して蟀谷のあたりには蛇の声に似た音が聞えるかとさへ疑はれる。汗が額から滝の   「隈なく」#3 4311.49

「隈なく」#4 50423.93

■『三太郎の日記 第三』(さんたろうのにっき だいさん)
■著者:阿部 次郎(あべ じろう):1883(明治16)年8月27日~1959(昭和34)年10月20日
■底本:合本三太郎の日記:角川書店:1950(昭和25)年

に見えたりする人相の變化。  ▽50423.91 十時縁側より庭に下り立つ。月夜、霜夜、白く、遠く、一つにうす靄かゝれり。靜かなる幸福の心。  ▽50423.92 9  ▽50423.93 夜九時過、さつき買つて來た伏見の豆人形を机の上に行列させて樂しんでゐたが、遂にこれを床の間の長押の上に行列させることを思ひついた。二十五燭の電氣が青味がかつた光で▼隈なく▲照してゐる中を、小さい人達が小さい影を投げて長押の上に列んでゐる。其數凡そ六十。じつと見てゐると不思議な生物のやうに見えて來る。並べ了つたのは十一時半過。隣のT夫人が外から呼ぶので戸をあけて見たら月が墓地に冴えてゐた。  ▽50423.94 女中が二階に上つて來て蒲團に行火を入れてくれる。  ▽50423.95 10  ▽50423.96 三月二日。   「隈なく」#4 50423.93

「隈なく」#5 1150.146

■『宇宙の始まり』(うちゅうのはじまり)
■著者:アレニウス スヴァンテ:1859年2月19日~1927(昭和2)年10月2日
■翻訳:寺田 寅彦(てらだ とらひこ):1878(明治11)年11月28日~1935(昭和10)年12月31日
■親本:史的に見たる科学的宇宙観の変遷:岩波文庫、岩波書店:1944(昭和19)年
■底本:宇宙の始まり:第三書館:1992(平成4)年

ボス[#「エレボス」は底本では「エレホス」]((注一))は生れ、暗き夜もまた生れ、  ▽1150.143 やがて夜より気((注二))、と光の女神ヘメーラは生れぬ、  ▽1150.144 両つながらエレボスの至愛の受胎によりて夜より生れたり。  ▽1150.145 されど地は最初に己が姿にかたどりて  ▽1150.146 彼の星をちりばめし天を造り、そは▼隈なく▲地を覆い囲らして  ▽1150.147 幸いある神々の動がぬ永久の御座とはなりぬ。(注一) エレボス。原始の闇、陰影の領土。(注二) エーテル。上層の純粋な天の気、後に宇宙エーテルとして、火、空気、土、水の外の第五の元素とされたもの。  ▽1150.148 次にゲーアは『沸き上る、荒涼な海』ポントス(Pontos)を生んだ。彼女とウラノスは六人の男   「隈なく」#5 1150.146

「隈なく」#6 1150.447

■『宇宙の始まり』(うちゅうのはじまり)
■著者:アレニウス スヴァンテ:1859年2月19日~1927(昭和2)年10月2日
■翻訳:寺田 寅彦(てらだ とらひこ):1878(明治11)年11月28日~1935(昭和10)年12月31日
■親本:史的に見たる科学的宇宙観の変遷:岩波文庫、岩波書店:1944(昭和19)年
■底本:宇宙の始まり:第三書館:1992(平成4)年

の諸発見によってその基礎を堅めるようになった。ガリレオはケプラーと文通していたのであるが、一五九七年のある手紙に自分は永い以前からコペルニクスの所説の賛成者であるということを書いている。一六〇四年に彼はオランダで発明された望遠鏡の話を聞き込んだ。そうして自分でそれを一本作り上げ、当時の有力な人々から多大な賞賛を受けた。そこでこの器械を以て天界を▼隈なく▲捜索して、肉眼では見られない星を多数に見付け出した。これで覗くと遊星は光った円板のように見えた。一六一〇年には木星を観測してこの遊星の衛星中の最大なもの四個を発見した。そうしてあたかも遊星が太陽を回ると同様な関係に、木星に近い衛星ほど回転速度が大きいことを見た。彼はこれらの衛星をトスカナ(Toscana)に君臨していた侯爵家の名に因んで『メディ   「隈なく」#6 1150.447

「隈なく」#7 55132.11

■『茸をたずねる』(たけをたずねる)
■著者:飯田 蛇笏(いいだ だこつ):1885(明治18)年4月26日~1962(昭和37)年10月3日
■親本:飯田蛇笏集成 第六巻 随想:角川書店:1995(平成7)年
■底本:花の名随筆10 十月の花:作品社:1999(平成11)年

中の気に顫わして矢の如く飛び去ってしまう。彼は鳥類の中でかなり臆病なたぐいの一つである。

55132.11 私が立って行こうとするとき、草鞋がたわいなく踏み応えのないふかふかしたような地面を踏んだ感じを覚ゆることがある。ふりかえって見るとそれは蟻の塔である。蟻の塔は、よく松の大樹などを伐り倒して材木を取ったあとなどに見らるるものである。秋日が▼隈なく▲さす草の間に伐り残した松がところどころ樹っている。その中に軽い土くれと松落葉を集めて洋傘高に盛り上っている。試みに杖などであばいて見ると、その中には山蟻が一杯群をなしている。彼等は決して人間に害を加えようとはしない。食いつきもしなければ刺しもしない。こんな場合嫌悪の感を催すことなしに寧ろいたいけな可憐な感をおぼゆるものである。草鞋の踏みすぎたあ   「隈なく」#7 55132.11

「隈なく」#8 817.184

■『詩』(し)
■著者:石川 啄木(いしかわ たくぼく):1886(明治19)年2月20日~1912(大正元)年4月13日
■親本:初版本::
■底本:日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集:集英社:1967(昭和42)年

75 けおされしたましひの  ▽817.176 打なやむ罪の唸りか。  ▽817.177 さては又、ひねもすの  ▽817.178 たたかひの名残の声か。  ▽817.179 我が窓は、  ▽817.180 濁れる海を  ▽817.181 遶らせる城の如、  ▽817.182 遠寄せに怖れまどへる  ▽817.183 詩の胸守りつつ、  ▽817.184 月光を▼隈なく▲入れぬ。  ▽817.185 東京  ▽817.186 かくやくの夏の日は、今  ▽817.187 子午線の上にかかれり。  ▽817.188 煙突の鉄の林や、煙皆、煤黒き手に  ▽817.189 何をかも攫むとすらむ、ただ直に天をぞ射せる。  ▽817.190 百千網巷巷に空車行く音もなく  ▽817.191 あはれ、今、都大路に、大真夏光動かぬ  ▽817   「隈なく」#8 817.184

「隈なく」#9 45465.1

■『葬列』(そうれつ)
■著者:石川 啄木(いしかわ たくぼく):1886(明治19)年2月20日~1912(大正元)年4月13日
■初出:「明星 十二号」1906(明治39)年12月
■親本:明星 十二号: :1906(明治39)年
■底本:石川啄木全集 第三巻 小説:筑摩書房:1978(昭和53)年

い。顔は奈何でも構はぬが、十八歳で姿の好い女、曙色か浅緑の簡単な洋服を着て、面紗をかけて、音のしない様に綿を厚く入れた足袋を穿いて、始終無言でなければならぬ。掃除をするのは面倒だから、可成散らかさない様に気を付ける。そして、一年に一度、昔羅馬皇帝が凱旋式に用ゐた輦――それに擬ねて『即興詩人』のアヌンチヤタが乗廻した輦、に擬ねた輦に乗つて、市中を▼隈なく▲廻る。若し途中で、或は蹇、或は盲目、或は癩を病む者、などに逢つたら、(その前に能く催眠術の奥義を究めて置いて、)其奴の頭に手が触つた丈で癒してやる。……考へた時は大変面白かつたが、恁書いて見ると、興味索然たりだ。饒舌は品格を傷ふ所以である。

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「隈なく」#10 4098.1

■『葬列』(そうれつ)
■著者:石川 啄木(いしかわ たくぼく):1886(明治19)年2月20日~1912(大正元)年4月13日
■底本:石川啄木作品集 第二巻:昭和出版社:1970(昭和45)年

くない。顏は奈何でも構はぬが、十八歳で姿の好い女、曙色か淺緑の簡單な洋服を着て、面紗をかけて、音のしない樣に綿を厚く入れた足袋を穿いて、始終無言でなければならぬ。掃除するのは面倒だから、可成散らかさない樣に氣を附ける。そして、一年に一度、昔羅馬皇帝が凱旋式に用ゐた輦――それに擬ねて『即興詩人』のアヌンチャタが乘した輦、に擬ねた輦に乘つて、市中を▼隈なく▲る。若し途中で、或は蹇、或は盲人、或は癩を病む者、などに逢つたら、(その前に能く催眠術の奧義を究めて置いて、)其奴の頭に手が觸つた丈で癒してやる。……考へた時は大變面白かつたが、恁書いて見ると、興味索然たりだ。饒舌は品格を傷ふ所以である。

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「隈なく」#11 3651.668

■『陽炎座』(かげろうざ)
■著者:泉 鏡花(いずみ きょうか):1873(明治6)年11月4日~1939(昭和14)年9月7日
■親本:鏡花全集 第十五卷:岩波書店:1940(昭和15)年
■底本:泉鏡花集成6:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

ゃと思うておくれい、――との。何と虫が可かろうが。その芋虫にまた早や、台も蕊も嘗められる、二度添どのもあるわいの。」  ▽3651.665 と言うかと思う、声の下で、  ▽3651.666 「ほほほほほ」  ▽3651.667 と口紅がこぼれたように、散って舞うよと花やかに笑った。  ▽3651.668 ああ、膚が透く、心が映る、美しい女の身の震う影が▼隈なく▲衣の柳条に搦んで揺れた。  ▽3651.669 「帰ろう、品子、何をしとる。」  ▽3651.670 紳士はずかずかと寄って、  ▽3651.671 「詰らん、さあ、帰るんです、帰るんだ。」  ▽3651.672 とせり着くように云ったが、身動きもしないのを見て、堪りかねた体で、ぐいと美しい女の肩を取った。  ▽3651.673 「帰らんですか、おい、帰   「隈なく」#11 3651.668

「隈なく」#12 3586.694

■『草迷宮』(くさめいきゅう)
■著者:泉 鏡花(いずみ きょうか):1873(明治6)年11月4日~1939(昭和14)年9月7日
■親本:鏡花全集 第十一卷:岩波書店:1941(昭和16)年
■底本:泉鏡花集成5:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

ないとも限らんから、念のため捜したものの、誰も開けない次の室へ行ってるようでは、何かが秘したんだろうから、よし有ったにした処で、先方にもしその気があれば、怪我もさせよう、傷もつけよう。さて無い、となると、やっぱり気が済まんのは同一道理。押入も覗け、棚も見ろ、天井も捜せ、根太板をはがせ、となっては、何十人でかかった処で、とてもこの構えうち隅々まで▼隈なく▲見尽される訳のものではない。人足の通った、ありそうな処だけで切上げたが可いでしょう――

3586.695 それもそうか、いよいよ魔隠しに隠したものなら、山だか川だか、知れたものではない。

3586.696 まあ、人間業で叶わん事に、断念めは着きましたが、危険な事には変わりはないので。いつ切尖が降って来ようも知れません。ちっとでも楯になるもの   「隈なく」#12 3586.694

「隈なく」#13 48406.81

■『処方秘箋』(しょほうひせん)
■著者:泉 鏡花(いずみ きょうか):1873(明治6)年11月4日~1939(昭和14)年9月7日
■初出:「天地人」1901(明治34)年1月
■親本:泉鏡花全集:岩波書店:1940(昭和15)年
■底本:日本幻想文学集成1 泉鏡花:国書刊行会:1991(平成3)年

は、正しく薬屋の主婦である。  ▽48406.79 唯見る時、頬を蔽へる髪のさきに、ゆら/\と波立つたが、そよりともせぬ、裸蝋燭の蒼い光を放つのを、左手に取つてする/\と。  ▽48406.80 五  ▽48406.81 其の裳の触るゝばかり、すツくと枕許に突立つた、私は貝を磨いたやうな、足の指を寝ながら見て呼吸を殺した、顔も冷うなるまでに、室の内を▼隈なく▲濁つた水晶に化し了するのは蝋燭の鬼火である。鋭い、しかし媚いた声して、  ▽48406.82 「腕白、先刻はよく人の深切を無にしたね。」  ▽48406.83 私は石になるだらうと思つて、一思に窘んだのである。  ▽48406.84 「したが私の深切を受ければ、此の女に不深切になる処。感心にお前、母様に結んで頂いた帯を〆めたまゝ寝てること、腕白もの、   「隈なく」#13 48406.81

「隈なく」#14 4561.808

■『照葉狂言』(てりはきょうげん)
■著者:泉 鏡花(いずみ きょうか):1873(明治6)年11月4日~1939(昭和14)年9月7日
■親本:鏡花全集 第二卷:岩波書店:1942(昭和17)年
■底本:泉鏡花集成3:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

抱き合って、お隣の井戸の中へ落こちたのを見て、はッと思って目が覚めたもんだから。……」  ▽4561.808 われは悚然として四辺を見たり。小親は急に座を起ちしが、衣の裳踵にからみたるに、よろめきてハタと膝折りたる、そのまま手を伸べて小窓の戸閉したり。月の明り畳に失せて、透間洩りし木の葉の影、浮いてあがるようにフト消えて見えずなりぬ。一室の内燈の▼隈なく▲はなりたれど、夜の色籠りたれば暗かりき。さやさやと音さして、小親は半纏の襟引合せ、胸少し火鉢の上に蔽うよう、両手をば上げて炭火にかざしつ。  ▽4561.809 「もっとお寄りではないか。貢さん、夜が更けたよ。」  ▽4561.810 五  ▽4561.811 袷の上より、ソトわが胸を撫でて見つ。  ▽4561.812 「薄着のせいかね、動悸がしてるよ   「隈なく」#14 4561.808

「隈なく」#15 4558.362

■『湯女の魂』(ゆなのたましい)
■著者:泉 鏡花(いずみ きょうか):1873(明治6)年11月4日~1939(昭和14)年9月7日
■親本:鏡花全集 第五卷:岩波書店:1940(昭和15)年
■底本:泉鏡花集成2:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

ざる裸体になりました。小宮山は負惜、此奴温泉場の化物だけに裸体だなと思っておりまする。女はまた一つの青い色の罎を取出しましたから、これから怨念が顕れるのだと恐を懐くと、かねて聞いたとは様子が違い、これは掌へ三滴ばかり仙女香を使う塩梅に、両の掌でぴたぴたと揉んで、肩から腕へ塗り附け、胸から腹へ塗り下げ、襟耳の裏、やがては太股、脹脛、足の爪先まで、▼隈なく▲塗り廻しますると、真直に立上りましたのでありまする。  ▽4558.363 小宮山は肚の内で、  ▽4558.364 「東西。」  ▽4558.365 女はそう致して、的面に台に向いまして、ちちんぷいぷい、御代の御宝と言ったのだか何だか解りませぬが、口に怪しい呪文を唱えて、ばさりばさりと双の腕を、左右へ真直に伸したのを上下に動かしました。体がぶるぶる   「隈なく」#15 4558.362

「隈なく」#16 4397.71

■『奈々子』(ななこ)
■著者:伊藤 左千夫(いとう さちお):1864年9月18日~1913(大正2)年7月30日
■初出:「ホトヽギス 第十二卷第十二號」1909(明治42)年9月1日
■親本:ホトヽギス 第十二卷第十二號: :1909(明治42)年
■底本:左千夫全集 第三卷:岩波書店:1977(昭和52)年

て居る。只靜かに滑かで、人一人殺した恐しい水とも見えない。幼ない彼は命取らるゝ水とも知らず、地平と等しい水故深いとも知らずに、這入る瞬間までも笑ましき顏、愛くるしい眼に、疑ひも恐れもなかつたらう。自分はあり/\と亡き人の俤が目に浮ぶ。

4397.71 梅子も出てきた、民子も出てきた。二坪には足らない小池の周り、七度も八度も提灯を照らし廻つて、▼隈なく▲見廻したけれども、下駄も浮いてゐず、其外亡き人の物らしいもの何一つ見當らない。茲に浮いて居たと云ふあたりは、水草の藻が少しく亂れて居る許り、只一つ動かぬ靜かな濁水を提灯の明りに見れば、只曇つて鈍い水の光り、何の罪を犯した色とも思へない。茲からと思はれたあたりに、足跡でもあるかと見たが、下駄の跡も素足の跡も見當らない。下駄のない處を見ると素足で來   「隈なく」#16 4397.71

「隈なく」#17 46558.39

■『恋愛と道徳』(れんあいとどうとく)
■著者:ケイ エレン:1849年12月11日~1926(昭和元)年4月25日
■翻訳:伊藤 野枝(いとう のえ):1895(明治28)年1月21日~1923(大正12)年9月16日
■底本:定本 伊藤野枝全集 第四巻 翻訳:學藝書林:2000(平成12)年

之は別段驚くにはあたらない。恋愛の人生に対する価値を否定し或は無視してゐると云ふことがその深い根柢となつてゐるからである。又数字によつて確かめられない人生の多くの不幸なる障害が同一原因に根ざしてゐるのであるといふことを説明されても、それを理解することの出来ぬ人のあるといふのも別段怪しむに足りないことである。

46558.39 世間一般の人々は▼隈なく▲探求して結婚の社会的価値を証拠立てんとする様々の議論を担ぎ出すものである。彼等は数字の上に数字を重ね自殺、罪悪、飲酒、疾病等による死亡数は既婚者より未婚者の場合に於て遙かに夥多であるといふことを例証せんとしてゐる。又小児の死亡数と罪悪も私生児の場合に於て遙かに多いと主張してゐる。又一方に於ては恋愛を以て離婚と自殺と罪悪の原因であると攻撃してゐる   「隈なく」#17 46558.39

「隈なく」#18 3646.50

■『こがね丸』(こがねまる)
■著者:巌谷 小波(いわや さざなみ):1870(明治3)年7月4日~1933(昭和8)年9月5日
■親本:こがね丸:博文館:1891(明治24)年
■底本:日本児童文学名作集(上):岩波文庫、岩波書店:1994(平成6)年

まはりけん、照射が膝を枕にして、前後も知らず高鼾、霎時は谺に響きけり。かくて時刻も移りしかば、はや退らんと聴水は、他の獣們に別を告げ、金眸が洞を立出でて、※※[#「にんべん+陵のつくり」、U+5030、98-15][#「にんべん+登」、U+50DC、98-15]く足を踏〆め踏〆め、わが棲居へと辿りゆくに。この時空は雲晴れて、十日ばかりの月の影、▼隈なく▲冴えて清らかなれば、野も林も一面に、白昼の如く見え渡りて、得も言はれざる眺望なるに。聴水は虚々と、わが棲へ帰ることも忘れて、次第に麓の方へ来りつ、只ある切株に腰うちかけて、霎時月を眺めしが。「ああ、心地好や今日の月は、殊更冴え渡りて見えたるぞ。これも日頃気疎しと思ふ、黄金奴を亡き者にしたれば、胸にこだはる雲霧の、一時に晴れし故なるべし。……さて   「隈なく」#18 3646.50

「隈なく」#19 3646.56

■『こがね丸』(こがねまる)
■著者:巌谷 小波(いわや さざなみ):1870(明治3)年7月4日~1933(昭和8)年9月5日
■親本:こがね丸:博文館:1891(明治24)年
■底本:日本児童文学名作集(上):岩波文庫、岩波書店:1994(平成6)年

に帰りしかば、洞には絶えて守護なし。これより彼処へ向ひたまはば、かの間道より登たまへ。少しは路の嶮岨けれど、幸ひ今宵は月冴えたれば、辿るに迷ふことはあらじ。その間道は……あれ臠はせ、彼処に見ゆる一叢の、杉の森の小陰より、小川を渡りて東へ行くなり。さてまた洞は岩畳み、鬼蔦あまた匐ひつきたれど、辺りに榎の大樹あれば、そを目印に討入りたまへ」ト、残る▼隈なく▲教ふるにぞ。鷲郎聞きて感嘆なし、「げにや悪に強きものは、また善にも強しといふ。爾今前非を悔いて、吾曹がために討入りの、計策を教ふること忠なり。さればわれその厚意に愛で、おつつけ彼の黒衣とやらんを討て、爾がために恨を雪がん。心安く成仏せよ」「こは有難き御命かな。かくては思ひ置くこともなし、疾くわが咽喉を噬みたまへ」ト。覚悟極むればなかなかに、些も   「隈なく」#19 3646.56

「隈なく」#20 51173.1066

■『牧羊神』(ぼくようしん)
■著者:上田 敏(うえだ びん):1874(明治7)年10月30日~1916(大正5)年7月9日
■翻訳:上田 敏(うえだ びん):1874(明治7)年10月30日~1916(大正5)年7月9日
■初出:「牧羊神」金尾文淵堂、1920(大正9)年10月5日
■親本:牧羊神:金尾文淵堂:1920(大正9)年
■底本:明治文學全集 31 上田敏集:筑摩書房:1966(昭和41)年

.1060 恐ろしき飛躍なる哉、火焔の散らふに似たり。  ▽51173.1061 其爭ふや赤く、其和するや緑に、  ▽51173.1062 天上の星光、雲を破る如く、  ▽51173.1063 はてしらぬ原にかがやき、  ▽51173.1064 火の如くなりて虚空に轉じ、  ▽51173.1065 山を攀ぢ、川を照らし、  ▽51173.1066 新光明を▼隈なく▲放ちぬ、  ▽51173.1067 海より海へと、靜寂の邦の上に。  ▽51173.1068 されどこの金色の喧囂の中、  ▽51173.1069 いつも空にある如く、今も空にある如き  ▽51173.1070 大諧音の終に起らむを望みて、  ▽51173.1071 さながら  ▽51173.1072 日輪の如く、  ▽51173.1073 あらはれ、のぼる   「隈なく」#20 51173.1066

「隈なく」#21 49565.129

■『淡島椿岳』(あわしまちんがく)
■著者:内田 魯庵(うちだ ろあん):1868(明治元)年4月27日~1929(昭和4)年6月29日
■初出:「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月
■親本:思ひ出す人々:春秋社:1925(大正14)年
■底本:新編 思い出す人々:岩波文庫、岩波書店:1994(平成6)年

くれろというものには誰にでも与ったが、余り沢山あったので与り切れず、その頃は欲しがるものもまた余りなかったそうだ。ところが椿岳の市価が出ると忽ちバッチラがいで持ってってしまって、梵雲庵には書捨ての反古すら残らなかった。椿岳から何代目かの淡島堂のお堂守は椿岳の相場が高くなったと聞いて、一枚ぐらいはドコかに貼ってありそうなもんだと、お堂の壁張を残る▼隈なく▲引剥がして見たが、とうとう一枚も発見されなかったそうだ。

49565.130 だが、椿岳の市価は西洋人が買出してから俄に高くなったのだが、それより以前に椿岳の画の価値を認めたものが日本人にまるきりないわけではなかった。洋画界の長老長原止水の如きは最も早くから椿岳を随喜した一人であった。ツイ昨年易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高   「隈なく」#21 49565.129

「隈なく」#22 49440.69

■『二葉亭余談』(ふたばていよだん)
■著者:内田 魯庵(うちだ ろあん):1868(明治元)年4月27日~1929(昭和4)年6月29日
■初出:「きのふけふ」1916(大正5)年3月5日
■親本:思ひ出す人々:春秋社:1925(大正14)年
■底本:新編 思い出す人々:岩波文庫、岩波書店:1994(平成6)年

感嘆をいよいよ益々深くした。  ▽49440.68 七 田端の月夜  ▽49440.69 三十六年、支那から帰朝すると間もなく脳貧血症を憂いて暫らく田端に静養していた。病気見舞を兼ねて久しぶりで尋ねると、思ったほどに衰れてもいなかったので、半日を閑談して夜るの九時頃となった。暇乞いして帰ろうとすると、停車場まで送ろうといって、たった二、三丁であるが▼隈なく▲霽れた月の晩をブラブラ同行した。  ▽49440.70 満月ではなかったが、一点の曇りもない冴えた月夜で、丘の上から遠く望むと、見渡す果もなく一面に銀泥を刷いたように白い光で包まれた得もいわれない絶景であった。丁度秋の中頃の寒くも暑くもない快い晩で、余り景色が好いので二人は我知らず暫らく佇立って四辺を眺めていた。二葉亭は忽ち底力のある声で「明月や   「隈なく」#22 49440.69

「隈なく」#23 3527.1675

■『浮かぶ飛行島』(うかぶひこうとう)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■初出:「少年倶楽部」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年1月~12月
■底本:海野十三全集 第5巻 浮かぶ飛行島:三一書房:1989(平成元)年

一万ポンド! そいつはすばらしい」  ▽3527.1671 と、スミス中尉は思わず靴の裏で、床の上をどんと蹴った。  ▽3527.1672 カワカミ騒ぎ  ▽3527.1673 かくして飛行島の大捜索がはじまった。  ▽3527.1674 川上機関大尉の首にかけられた賞金はおどろくなかれ、二万ポンドに一万ポンド!  ▽3527.1675 この告示が、島内▼隈なく▲貼りだされると、人心は鼎のようにわきたった。どの告示板の前にも、黒山のような人だかりだった。  ▽3527.1676 「賞金二万ポンドだって? うわーっ、おっそろしい大金だな」  ▽3527.1677 「それだけ貰えると、故郷へとんでかえって、山や川のある広い土地を買いとり、それから美しいお姫さまを娶って、俺は世界一の幸福な王様になれるよ。うわーっ   「隈なく」#23 3527.1675

「隈なく」#24 2615.1245

■『少年探偵長』(しょうねんたんていちょう)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■底本:海野十三全集 第13巻 少年探偵長:三一書房:1992(平成4)年

いる」  ▽2615.1244 どうしたのであろうか。春木少年は、びっくりして老人の顔をながめやった。戸倉老人は、へんなことをいいだしたものである。それとも、老人の笑うには、なにかしっかりした根拠があるのであろうか。  ▽2615.1245 戸倉老人が元気になって、事件はまたもやいっそう怪奇な方向へすべりだした。しかし中天には、明々皎々たる大満月が▼隈なく▲光をなげていた。  ▽2615.1246 燃えあがる山塞  ▽2615.1247 戸倉老人は妙なことをいいだした。  ▽2615.1248 「チャンフーが殺されるなんて絶対にそんなことはあり得ないのじゃ。お前さんたちはだまされているのだ」  ▽2615.1249 戸倉老人はそういって笑うのだ。  ▽2615.1250 その笑いは、いかにも確信があるものの   「隈なく」#24 2615.1245

「隈なく」#25 1245.372

■『赤外線男』(せきがいせんおとこ)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■底本:海野十三全集 第2巻 俘囚:三一書房:1991(平成3)年

かドヤドヤと人が立って、肝心のところは真暗で、何にも写ってやしません」  ▽1245.370 課長は、面目なげに下俯いた。  ▽1245.371 「深山氏とダリア嬢は、調べましたか」  ▽1245.372 「今度こそはというのでよく調べました。身体検査も百二十パーセントにやりました。ダリア嬢も気の毒でしたが、婦人警官に渡して少しひどいところまで、残る▼隈なく▲調べ、繃帯もすっかり取外させるし、眼鏡もとられて眼瞼もひっくりかえしてみるというところまでやったんですが、何の得るところもありません」  ▽1245.373 「ダリア嬢の眼はどうです」  ▽1245.374 「ますますひどいようですよ。左眼は永久に失明するかも知れません。右眼も充血がひどくなっているそうです」  ▽1245.375 「ダリア嬢は眼のわ   「隈なく」#25 1245.372

「隈なく」#26 1258.642

■『地球盗難』(ちきゅうとうなん)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■初出:「ラヂオ科学」1936(昭和11)年
■底本:海野十三全集 第3巻 深夜の市長:三一書房:1988(昭和63)年

びだしていった。  ▽1258.640 これで大隅学士の重荷は、すこしばかり軽くなった。――さあ、後には、数々の大変なことが控えているのだった。まず第一に、佐々砲弾のロケットの行方である。  ▽1258.641 「……佐々のロケットを探してやらなくちゃ……」  ▽1258.642 彼は、電子望遠鏡の前に立って、その操縦桿をいろいろと操りながら、天涯を▼隈なく▲捜査していった。ところがどの位探しても、ロケットの姿は入ってこなかった。電子望遠鏡もいいけれど、何しろ相手がどの位の距離にあるのか分らないと、動いている物体に焦点を合わせることは困難を極めるのだった。  ▽1258.643 「……ああ、この光り物が、そうじゃないかしら……」  ▽1258.644 大隅は突然チカチカと息をしているような光芒を認めた。   「隈なく」#26 1258.642

「隈なく」#27 1253.73

■『地中魔』(ちちゅうま)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■底本:海野十三全集 第2巻 俘囚:三一書房:1991(平成3)年

253.71 壮烈な海上追跡が始った。逃げる汽艇は東京の方へ進んでゆく様子に見えた。しかし課長がこんなこともあろうかと選定して置いた快速のモーターボートは、遂に目指す汽艇へ追いついた。  ▽1253.72 「こらッ!」  ▽1253.73 大江山課長は真先に向うの汽艇へ飛び移った。つづいて部下もバラバラと飛び乗った。狭い汽艇だから、艇内は直ぐに残る▼隈なく▲探された。しかし肝心の機関長の姿もなければ、無論岩の姿も発見されなかった。係官一同はあまりの不思議に呆然と立ちつくした。そんな筈はない。  ▽1253.74 その夜更け。ここは東京の月島という埋立地の海岸に、太った男が、水のボトボト滴れる大きな潜水服を両手に抱えて立っていた。  ▽1253.75 折からの月明に顔を見ると、グリグリ眼の大辻老だった。   「隈なく」#27 1253.73

「隈なく」#28 1254.1883

■『蠅男』(はえおとこ)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■初出:「講談雑誌」1937(昭和12)年1月号~10月号
■底本:海野十三全集 第2巻 俘囚:三一書房:1991(平成3)年

、毎日のように各署の机の上にうずたかく山のように積まれていった。  ▽1254.1881 蠅男は何処に潜んでいるのであろうか。  ▽1254.1882 多分、お竜と呼ばれる彼の情婦と手を組みあって、市内に潜伏しているのであろう。  ▽1254.1883 さあいま一息だとばかり、係官はじめ帆村探偵も、昼夜を分かたず、蠅男の逃げ去った跡を追い、要所要所を▼隈なく▲探していったのであるが、蠅男の隠れ様がうまいのか、それとも係官たちの探し様が拙いためか、尋ねる蠅男の行方について、何の手懸りも発見されなかったのであった。住吉署の捜索本部には、連日の活動に協力した人々が集っていた。  ▽1254.1884 「どうも弱ったなア。近来投書が、なかなか辛辣になってきましたよ。蠅男なんて、探偵の夢にすぎなかったのではない   「隈なく」#28 1254.1883

「隈なく」#29 873.14

■『放送された遺言』(ほうそうされたゆいごん)
■著者:海野 十三(うんの じゅうざ):1897(明治30)年12月26日~1949(昭和24)年5月17日
■底本:十八時の音楽浴:早川文庫、早川書房:1976(昭和51)年

されてこの世界以外の数しれぬ多くの遊星のほうへ向け大宇宙のなかを伝播してゆくことを知っているばかりである。

873.14 しかし私の遺言がほかの遊星の生物によく聴きとってもらえるものだかどうだかについてはまだまだ多くの疑問が横たわっているのを感ずるのである。たとえば私に許されたかぎりある通信電力がはたして私の遺言をのせた電波をしてこの大宇宙を▼隈なく▲横断するだけの力があるであろうか。私は途中で通達力が損傷せられる程度のもっとも小さいはずの十六メートル短波長電波を選んだが、四千億光年の大宇宙を渡りえられるものとは考えられない。それからまたたとえ途中の遊星に私の遺言を載せた電波がぶつかったとしてもはたしてその遊星に生きている者が、私たちの思想を理解してくれるであろうか。これらのことをほんとうに   「隈なく」#29 873.14

「隈なく」#30 48181.18

■『佐渡が島を出て』(さどがしまをでて)
■著者:江南 文三(えなみ ぶんぞう):1887(明治20)年12月26日~1946(昭和21)年2月8日
■初出:「明星 」「明星」發行所、1926(大正15)年5月
■底本:明星:「明星」發行所:1926(大正15)年

181.15 手をうちてはやすものなしわれひとりいかで踊らむおけさをどりを  ▽48181.16 時によると、  ▽48181.17 おけさふとうたはまほしくなりにけり佐渡の新平三味彈くらむか  ▽48181.18 相川の南の峠一つ越したところに中山と言ふ村落があつて、そこに中山新平と言ふ三味線の大好な男がゐます。周囘五十三里の佐渡が島中に足跡到らぬ▼隈なく▲、到るところで飯を貰つてお祭を追つて歩いてゐます。三味線の音がすると軒下に立留まつて舌を脣の端から出してぢつと聽きとれてゐます。去年の相川祭のとき御輿を迎へる提灯を晝間早くから買つて手に持つてゐたのは私と此男と二人きりでした。途中で行き會つて大に共鳴した體で踊つてくれました。  ▽48181.19 先生としてはすこしく碌でなし人間としてあまりにか   「隈なく」#30 48181.18

「隈なく」#31 46417.67

■『月世界跋渉記』(げっせかいばっしょうき)
■著者:江見 水蔭(えみ すいいん):1869(明治2)年9月17日~1934(昭和9)年11月3日
■初出:「探検世界 秋季臨時増刊 月世界」成功雑誌社、1907(明治40)年10月号
■底本:懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説:中央公論新社:2001(平成13)年

大喜びで四辺の石を少しばかりとりのけてその中に飛び込み、中から手招きをするので、いずれも中に這入ると博士は仮面を脱いで、  ▽46417.65 「この穴には空気が充満している。」  ▽46417.66 今度は声が聞えた。  ▽46417.67 「これは何かの具合でこの穴にずっと昔の空気が残っていたんだ。」といいながら又懐中洋燈を点じてそれを高く翳して▼隈なく▲四辺を見回した。  ▽46417.68 一行のいる処は八畳敷ほどの処であるが、その横に一間四方ほどの洞があって、そこから先きは何丁あるか判らないほど深いらしい。それは助手が奥へ向って石を投じて見たその反響でも大概は判っている。  ▽46417.69 月野博士は非常に喜ばしげな顔付で、  ▽46417.70 「いや難有い難有い。何にしてもこれだけ大きな   「隈なく」#31 46417.67

「隈なく」#32 46185.64

■『探検実記 地中の秘密』(たんけんじっき ちちゅうのひみつ )
■著者:江見 水蔭(えみ すいいん):1869(明治2)年9月17日~1934(昭和9)年11月3日
■底本:探檢實記 地中の秘密:博文館:1909(明治42)年

突然、一箇の黒影が出現した。  ▽46185.60 吃驚して見るとそれは野中氏だ。  ▽46185.61 それから余は氣を取直して。  ▽46185.62 『最う大丈夫だ。諸君、來給へ』と呼はつた。  ▽46185.63 窟外からは、角燈、蝋燭なんど、點火して、和田、大野、水谷といふ順序で入來つた。  ▽46185.64 それから五人、手分をして、窟内を▼隈なく▲調査して見ると、遺骨、遺物、續々として發見される。それを過まつて踏みさうに爲る。大騷ぎだ。  ▽46185.65 今この岩窟を説明するに、最も解し易からしめるには、諸君の腦裡に、洋式の犬小屋を畫いて貰ふのが一番だ。  ▽46185.66 地中に犬小屋式の横穴が穿つてあつて、其犬小屋の如き岩窟の入口までは、一丈三尺餘の小墜道を通るのだ。扨て、犬小屋の   「隈なく」#32 46185.64

「隈なく」#33 54463.120

■『妖影』(ようえい)
■著者:大倉 燁子(おおくら てるこ):1886(明治19)年4月12日~1960(昭和35)年7月18日
■初出:「オール読物」文芸春秋、1934(昭和11)年9月号
■親本:オール読物:文芸春秋:1934(昭和11)年
■底本:大倉燁子探偵小説選:論創社:2011(平成23)年

463.119 五、失神  ▽54463.120 船が着いて、船客は一人残らず上陸してしまったのに、まだ私が姿を見せない。部屋には鍵がかかっている。というのでまず第一に迎えに来てくれた同僚が心配をしはじめた。事務長に頼んで合鍵で開けてみると、室内は少しも取り乱されていないが、肝心の私の姿はどこにもない。どうも不思議だ。そこで船員達は手分けして船中▼隈なく▲探すことになったがやはり見つからない。勿論上陸していない証拠には荷物だってそのままに残っている。事によったら殺されたのじゃあるまいか、殺されて海中に投げ込まれたのかも知れない。などと云い出すものもあって、急に大騒ぎになった。  ▽54463.121 軈て水夫の一人が船底に近い物置部屋で私を発見したのだった。  ▽54463.122 私はそこで毛布に   「隈なく」#33 54463.120

「隈なく」#34 1279.219

■『金魚撩乱』(きんぎょりょうらん)
■著者:岡本 かの子(おかもと かのこ):1889(明治22)年3月1日~1939(昭和14)年2月18日
■親本:岡本かの子全集 第三巻:冬樹社:1974(昭和49)年
■底本:ちくま日本文学全集 岡本かの子:筑摩書房:1992(平成4)年

た。すると熱いものが脊髄の両側を駆け上って、喉元を切なく衝き上げて来る。彼は唇を噛んでそれを顎の辺で喰い止めた。  ▽1279.218 「おれは平気だ」と云った。  ▽1279.219 その歳は金魚の交媒には多少季遅れであり、まだ、プールの灰汁もよく脱けていないので、産卵は思いとどまり、復一は親魚の詮索にかかった。彼は東京中の飼育商や、素人飼育家を▼隈なく▲尋ねた。覗った魚は相手が手離さなかった。すると彼は毒口を吐いてその金魚を罵倒するのであった。  ▽1279.220 「復一ぐらい嫌な奴はない。あいつはタガメだ」  ▽1279.221 こういう評判が金魚家仲間に立った。タガメは金魚に取付くのに凶暴性を持つ害虫である。そんなことを云われながらも彼はどうやらこうやら、その姉妹魚の方をでも手に入れて来るの   「隈なく」#34 1279.219

「隈なく」#35 1287.7

■『雑煮』(ぞうに)
■著者:岡本 かの子(おかもと かのこ):1889(明治22)年3月1日~1939(昭和14)年2月18日
■親本:岡本かの子全集 第十四巻:冬樹社:1977(昭和52)年
■底本:日本の名随筆17 春:作品社:1984(昭和56)年

眼に浮んで來た。澄んで居ても重く湛えた水、山々が松のみどりを押畫のやうに厚く疊んだ素朴なしかも濃艷な風景を思ひ浮べた。  ▽1287.7 男の兒の兄は瀟洒とした明るい寂しい風貌を備え弟はやや鈍角なる短面に温和と鋭氣をただよはす。二人とも馴れても決して狎れぬ程度の親しみがさすが名門の育ちを見せて奥床しい。その年の元日の朝陽はさはやかであつた。障子を▼隈なく▲明け放した座敷に悠々と流れ入つた朝陽の色が疊一ぱいに擴がつて床の大花瓶に插されてあつた眞赤な南天の實が冴え冴えと一粒一粒ひかつた。  ▽-----------------底本:「日本の名随筆17 春」作品社  ▽  ▽1287.8 1984(昭和59)年3月25日第1刷発行  ▽1287.9 1997(平成9)年2月20日第20刷発行  ▽1287.10   「隈なく」#35 1287.7

「隈なく」#36 45478.88

■『麻畑の一夜』(あさばたけのいちや)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「慈悲心鳥」国文堂書店、1920(大正9)年9月
■底本:鷲:光文社文庫、光文社:1990(平成2)年

。ふたりとも大きい蔓草に縋ったので、幸いに河のなかへ滑り落ちるのを免かれたが、そのあいだに勇造の姿は見えなくなってしまった。それでもふたりは強情に彼の名を呼んで、びしょ濡れになってそこらを駈け廻ったが、どうしても彼のすがたは見付からなかった。

45478.88 雷雨はそれから三十分ほどの後に晴れて、明るい月が水を照らした。ふたりは堤から麻畑を▼隈なく▲探してあるいたが、その結果は、いたずらに疲労を増すばかりであった。ふたりはもう我慢にも歩かれなくなって、這うようにして小屋に帰って、そのまま寝床の上に倒れてしまった。

45478.89 夜があけてから労働者が戻って来た。かれらはゆうべの話をきいて蒼くなった。大勢が手分けをして捜索に出たが、勇造の行くえはどうしても判らなかった。いつまでもここに   「隈なく」#36 45478.88

「隈なく」#37 48035.889

■『小坂部姫』(おさかべひめ)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「婦人公論」1920(大正9)年10月号~
■底本:伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集:学研M文庫、学習研究社:2002(平成14)年

いろい蝋燭の灯がぼんやりとともっているばかりであった。

48035.889 その弱い光りをたよりにして、かれはあたりを見まわすと、そこには眇目の男も見えなかった。采女のすがたも見えなかった。床の上になまなましい血のあとを形見に残しただけで、黒猫の死骸もそこには横たわっていなかった。怪鳥もどこに潜んでいるのか、その翅の音を聞かせなかった。さらに▼隈なく▲見まわすと、部屋の広さは三間四方もあるらしく、四方はすべて厚い壁で囲まれていた。かれは正面の神壇の秘密を見とどけようとして、足音を忍ばせて窺いよると、忽ち或る者につまずいてはっと息を嚥み込んだ。蝋燭の灯に透かして見ると、それは幾個かの骸骨で、人か獣か鳥かよくも判らないが、うず高く重なり合って白く黄いろく照らされていた。

48035.890 神   「隈なく」#37 48035.889

「隈なく」#38 48035.1044

■『小坂部姫』(おさかべひめ)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「婦人公論」1920(大正9)年10月号~
■底本:伝奇ノ匣2 岡本綺堂妖術伝奇集:学研M文庫、学習研究社:2002(平成14)年

と思うと、彼の憤怒はいよいよ募った。  ▽48035.1043 「見よ、あすは早朝から狐狩りして、おのれらの巣を焼き尽くしてくりょうぞ。」  ▽48035.1044 その命令は夜のうちに伝えられて、あくる日の早朝から城内の狐狩りが行なわれた。怪しい女の正体は、おそらく年古る狐であろうということに諸人の意も一致して、森のかげ、堤の下、石垣の隙き間まで▼隈なく▲猟り尽くした末に、二十四あまりの狐、狸、鼬、貂のたぐいを狩り捕えたが、この古城のぬしらしい怪獣は遂に見あたらなかった。  ▽48035.1045 その次の日の午頃であった。秀吉がやはり二、三人の小姓を連れて、普請場を見廻っていると、とある大樹に立てかけてあった古い角材が突然に倒れかかって来た。素早く身をかわしたので、幸いに秀吉の身にはなんの怪我も   「隈なく」#38 48035.1044

「隈なく」#39 49681.4

■『画工と幽霊』(がこうとゆうれい)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「文藝倶楽部」1902(明治35)年8月
■底本:飛騨の怪談 新編 綺堂怪奇名作選:メディアファクトリー:2008(平成20)年

ていて、所謂る殺気を含んでいると云うのであろう、その凄い怖い眼でジロリと睨まれた一瞬間の怖さ恐しさ、私は思わず気が遠くなって、寝台の上に顔を押付けた。と思う中に、光は忽ち消えて座敷は再び旧の闇、彼の恐しい婦人の姿も共に消えて了った、私は転げるように寝台から飛降りて、盲探りに燧木を探り把って、慌てて座敷の瓦斯に火を点し、室内昼の如くに照させて四辺▼隈なく▲穿索したが固より何物を見出そう筈もなく、動悸の波うつ胸を抱えて、私は霎時夢のように佇立んでいたが、この夜中に未だ馴染も薄い番人を呼起すのも如何と、その夜は其のままにして再び寝台へ登ったが、彼の怖しい顔がまだ眼の前に彷彿いて、迚も寝られる筈がない、ただ怖い怖いと思いながら一刻千秋の思で其夜を明した。と、斯ういうと、諸君は定めて臆病な奴だ、弱虫だと   「隈なく」#39 49681.4

「隈なく」#40 49548.14

■『佐々木高綱』(ささきたかつな)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「新富座」1914(大正3)年10月初演
■底本:修禅寺物語 正雪の二代目 他四篇:岩波文庫、岩波書店:1952(昭和27)年

を返さんとあざむいて、油斷を見すまし……。(突く眞似をする。しばしの沈默。)斯くしてやう/\馬を得たれば、無事に伊豆まで乘りつけて、おなじ月の十七日には八牧の屋形を攻めほろぼし、源氏再興の基をひらく。その後のことは申すまでもござらぬ。が、たゞ不憫なるは彼の馬士にて、その名を紀之介と申す由、かれの口より聞きたるを手がかりに、平家沒落の後この國中を▼隈なく▲詮議したるも容易に相分らず、このごろに至りて栗田の里に子之介といふ若者あり。(厩のかたを見る。子之介あわてゝ隱れる。)これぞ彼の紀之介の忘れがたみと知れたれば、呼び取りてあつく扶持せんと存ぜしに、彼はほかに望み無し、おのがなりはひは馬士なれば、馬飼ならば奉公せんと申すによつて、その云ふがままに厩の小者として召仕ひ、けふまで屋敷に置きまするが、こ   「隈なく」#40 49548.14

「隈なく」#41 1307.217

■『青蛙堂鬼談』(せいあどうきだん)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集:光文社時代小説文庫、光文社:1988(昭和63)年

ろうか、なにかの行法を修しているのであろうか。

1307.216 そんなことを考えつづけながら、僕はその一夜をおちおち眠らずに明かしてしまった。夜があけると雨はやんでいた。あさ飯を食ってしまうと、僕は宿の者ふたりと案内者一人とを連れて、赤座のゆくえを探しに出た。

1307.217 ゆうべの一本杉の茶屋まで行きつく間、我れわれは木立ちの奥まで▼隈なく▲探してあるいたが、どこにも彼の姿は見付からなかった。ゆうべ無暗に駈け歩いたせいか、けさは妙に足がすくんで思うように歩かれないので、僕はこの茶屋でしばらく休息することにして、他の三人は石門をくぐって登った。それから三十分と経たないうちに、そのひとりが引っ返して来て、蝋燭岩から谷間へころげ落ちている男の姿を発見したと、僕に報告してくれた。僕は跳ねあ   「隈なく」#41 1307.217

「隈なく」#42 1307.473

■『青蛙堂鬼談』(せいあどうきだん)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集:光文社時代小説文庫、光文社:1988(昭和63)年

で、いよいよ今夜は嫁御の輿入れというめでたい日の朝である。越智の屋敷の家来らは思いもよらない椿事におどろかされた。

1307.473 主人の七郎左衛門はその寝床で刺し殺されていたのである。彼は刃物で左右の胸を突き透されて仰向けになって死んでいた。ひとつ部屋に寝ているはずの梅殿も桜殿もその姿をみせなかった。屋敷じゅうではおどろき騒いで、そこらを▼隈なく▲詮索すると、ふたりの女の亡骸は庭の井戸から発見された。前後の事情からかんがえると、今度の縁談に対する怨みと妬みとで、梅と桜とが主人を殺して、かれら自身も一緒に入水して果てたものと認めるのほかはなかった。勿論、それが疑いもない事実であるらしかった。

1307.474 しかもその二つの亡骸を井戸から引揚げたときに、家来らはまたもや意外の事実におど   「隈なく」#42 1307.473

「隈なく」#43 42303.82

■『世界怪談名作集』(せかいかいだんめいさくしゅう)
■著者:ゴーチェ テオフィル:1811年8月30日~1872(明治5)年10月23日
■翻訳:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:世界怪談名作集 上:河出書房新社:1987(昭和62)年

壁掛けの濃い紫色とまことにいい対照をなして、その白麻は彼女の優美なからだの形をちっとも隠さずに見せている綺麗な地質の物でありました。彼女のからだのゆるやかな線は白鳥の首のようで、実に死といえどもその美を奪うことは出来ないのでした。彼女の寝ている姿は、巧みな彫刻家が女王の墓の上に置くために彫りあげた雪花石膏の像のようでもあり、または静かに降る雪に▼隈なく▲おおわれながら睡っている少女のようでもありました。

42303.83 わたしはもう祈祷をささげに来た人としての謹慎の態度を持ちつづけていられなくなりました。床のあいだにある薔薇は半ばしぼんでいるのですが、その強烈な匂いはわたしの頭に沁み透って酔ったような心持ちになったので、何分じっとしていられなくなって、室内をあちらこちらと歩きはじめました。   「隈なく」#43 42303.82

「隈なく」#44 43472.83

■『世界怪談名作集』(せかいかいだんめいさくしゅう)
■著者:クラウフォード フランシス・マリオン:1854年8月2日~1909(明治42)年4月9日
■翻訳:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:世界怪談名作集 下:河出文庫、河出書房新社:1987(昭和62)年

た者も聴いた者もなかったのです。あの船室を受け持ちの給仕は迷信の強い男だものですから、どうも何か悪いことが起こりそうな気がしたというので、けさあなたの同室の客をそっと見にゆくと、寝台は空になって、そこにはその人の着物が、いかにもそこへ残しておいたといった風に散らかっていたのです。この船中であなたの同室の人を知っているのはあの給仕だけなので、彼は▼隈なく▲船中を捜しましたが、どうしてもその行くえが分からないのです。で、いかがでしょう、この出来事を他の船客たちに洩らさないようにお願いいたしたいのですが……。私はこの船に悪い名を付けさせたくないばかりでなく、この投身者の噂ほど船客の頭を脅迫すものはありませんからな。そうしてあなたには、高級船員の部屋のうちのどれか一つに移っていただきたいのですが……。   「隈なく」#44 43472.83

「隈なく」#45 43472.112

■『世界怪談名作集』(せかいかいだんめいさくしゅう)
■著者:クラウフォード フランシス・マリオン:1854年8月2日~1909(明治42)年4月9日
■翻訳:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:世界怪談名作集 下:河出文庫、河出書房新社:1987(昭和62)年

ら、上の寝台を調べた。

43472.112 しかし僕は失望した。実のところ、何もかも忌な夢であった昨夜の事件以来、ロバートは寝床を整える勇気はあるまいと想像していたのであったが、案に相違して寝床はきちんと整頓してあるばかりか、非常に潮くさくはあったが、夜具はまるで骨のように乾いていた。僕は出来るだけいっぱいカーテンを引いて、細心の注意を払って▼隈なく▲その中をあらためると、寝床はまったく乾いていた。しかも窓はまたあいているではないか。僕はなんということなしに恐怖の観念に駆られながら窓をしめて、鍵をかけて、その上に僕の頑丈なステッキを真鍮の環の中へ通して、丈夫な金物が曲がるほどにうんと捻じた。それからその手燭の鉤を、自分の寝台の頭のところに垂れている赤い天鵞絨[#「天鵞絨」は底本では「天鷲絨」   「隈なく」#45 43472.112

「隈なく」#46 43472.135

■『世界怪談名作集』(せかいかいだんめいさくしゅう)
■著者:クラウフォード フランシス・マリオン:1854年8月2日~1909(明治42)年4月9日
■翻訳:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:世界怪談名作集 下:河出文庫、河出書房新社:1987(昭和62)年

てあるかもしれませんからね」

43472.135 船長が僕と一緒に寝ずの番をするという申しいでがなかったらば、彼のいう盗人一件などはむろん一笑に付してしまったのであるが、なにしろ船長の申しいでが非常に嬉しかったので、それでは船の大工を連れて行って、部屋を調べさせましょうと、僕は自分から言い出した。そこで、船長はすぐに大工を呼び寄せ、僕の部屋を▼隈なく▲調べるように命じて、僕らも共に百五号の船室へ行った。

43472.136 僕らは上の寝台の夜具をみんな引っ張り出して、どこかに取り外しの出来るようになっている板か、あるいはあけたての出来るような鏡板でもありはしまいかと、寝台はもちろん、家具類や床板をたたいてみたり、下の寝台の金具をはずしたりして、もう部屋のなかに調べない所はないというまでに調   「隈なく」#46 43472.135

「隈なく」#47 4999.12

■『世界怪談名作集』(せかいかいだんめいさくしゅう)
■著者:瞿 佑(く ゆう):1341~1427
■翻訳:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:世界怪談名作集 下:河出文庫、河出書房新社:1987(昭和62)年

れてさすがに薄気味悪くなったと見えて、彼はいっさいの秘密を残らず白状した。

4999.11 「それでは念のために調べてみなさい」と、老翁は注意した。「あの女たちが月湖の西に住んでいるというならば、そこへ行ってみれば正体がわかるだろう」

4999.12 なるほどそうだと思って、喬生は早速に月湖の西へたずねて行って、長い堤の上、高い橋のあたりを▼隈なく▲探し歩いたが、それらしい住み家も見当たらなかった。土地の者にも訊き、往来の人にも尋ねたが、誰も知らないというのである。そのうちに日も暮れかかって来たので、そこにある湖心寺という古寺にはいってしばらく休むことにして、東の廊下をあるき、さらに西の廊下をさまよっていると、その西廊のはずれに薄暗い室があって、そこに一つの旅棺が置いてあった。旅棺というの   「隈なく」#47 4999.12

「隈なく」#48 480.134

■『玉藻の前』(たまものまえ)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:修禅寺物語:光文社文庫、光文社:1992(平成4)年

をおどすには何か得物がなくてはならぬと、彼はその鉈を千枝松にわたして、自分は鎌を腰に挟んだ。そうして、田圃を隔てた向こうの小さい森を指さした。  ▽480.132 「お前も知っていよう。あの森のあたりで時どきに狐火が飛ぶわ」  ▽480.133 「ほんにそうじゃ」  ▽480.134 二人は向こうの森へ急いで行った。落葉や枯草を踏みにじって、そこらを▼隈なく▲猟りあるいたが、藻の姿は見付からなかった。二人はそこを見捨てて、さらにその次の丘へ急いだ。千枝松は喉の嗄れるほどに藻の名を呼びながら歩いたが、声は遠い森に木谺するばかりで、どこからも人の返事はきこえなかった。それからそれへと一ほども猟りつくして、二人はがっかりしてしまった。気がついて振り返ると、どこをどう歩いたか、二人は山科郷のうちの小野という   「隈なく」#48 480.134

「隈なく」#49 480.1265

■『玉藻の前』(たまものまえ)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:修禅寺物語:光文社文庫、光文社:1992(平成4)年

伏してしまったが、衣笠どのはあくまでも気丈じゃ、懐ろ刀に手をかけて寄らば討とうと睨みつめていらるると、怪しい上臈はあざけるように、ほほと軽く笑いながら、再び草むらへ消えるように隠れてしまった。大殿にはそれを聞こしめされて、この古屋敷は変化の住み家とみゆるぞ、とく狩り出せよとの下知にまかせて、われわれ一同が松明振り照らして、床下から庭の隅ずみまで▼隈なく▲あさり尽くしたが、鼬一匹の影すらも見付からなんだ。思えば不思議なことよのう。気の弱い侍女どもばかりでなく、衣笠どのの眼にまでも、ありありと見えたとあるからは、臆病者のうろたえた空目とばかりも言われまいよ」

480.1266 夢のような心持で、千枝太郎はこの話を聴いていると、小源二はまた言った。

480.1267 「就いては大殿のお使いで、お   「隈なく」#49 480.1265

「隈なく」#50 33197.1101

■『探偵夜話』(たんていやわ)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■親本:綺堂読物集第四卷 探偵夜話:春陽堂:1927(昭和2)年
■底本:岡本綺堂読物選集 6 探偵編:青蛙房:1969(昭和44)年

は悪い者ではないが、酒の上がよくない上に、身持ちも治まらない道楽者であった。かれらはかつて酒に酔った勢いで、夜ふけに尼の堂を襲いに行ったいたずら者の仲間であった。そればかりでなく、重太郎は現場に有力な証拠品を遺していたということが、この時はじめてはっきりした。

33197.1101 巡査は尼の倒れていた石地蔵を中心として、その付近のすすき原を▼隈なく▲穿索すると、地蔵さまの足もとから二間ほども離れたすすき叢のなかに馬士張りの煙管の落ちていたのを発見したが、捜査の必要上、今まで秘密に付していたのであった。もう一つは、尼の死体にもかの歯の跡ばかりでなく、なにか怪しむべき点のあったことが発見されていたのであった。

33197.1102 煙管の持ち主がはっきりすると同時に、その晩一緒に帰ったという   「隈なく」#50 33197.1101

「隈なく」#51 48023.35

■『父の怪談』(ちちのかいだん)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「新小説」1924(大正13)年4月
■親本:岡本綺堂読物選集4:青蛙房:1969(昭和44)年
■底本:文藝別冊[総特集]岡本綺堂:河出書房新社:2004(平成16)年

うにぞっとした。勿論、それだけのことで、ほかには何事もなかった。

48023.35 又、ある晩、庭さきで犬の吠える声がしきりにきこえた。あまりにそうぞうしいので、雨戸をあけてみると、隣家に住んでいる英国公使館の書記官マクラッチという人の飼犬が、わたしの家の庭にはいって来て無暗に吠えたけっているのであった。二月のことでまだ寒いような月のひかりが▼隈なく▲照り渡っていたが、そこには何の影もみえなかった。もしや賊でも忍び込んだのかと、念のために家内や庭内を詮索したが、どこにもそんな形跡は見いだされなかった。犬は夜のあけるまで吠えつづけているので、わたしの家でも迷惑した。

48023.36 あくる日、父がマクラッチ氏にその話をすると、同氏はひどく気の毒がっていた。しかし眉をひそめてこんなことを言っ   「隈なく」#51 48023.35

「隈なく」#52 2241.59

■『中国怪奇小説集』(ちゅうごくかいきしょうせつしゅう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:中国怪奇小説集:光文社文庫、光文社:1994(平成6)年

がに薄気味悪くなったと見えて、いっさいの秘密を残らず白状に及びました。

2241.58 「それでは念のために調べて見なさい」と、老人は注意しました。「あの女たちが月湖の西に住んでいるというならば、そこへ行ってみれば正体がわかるだろう」

2241.59 なるほどそうだと思って、喬生は早速に月湖の西へたずねて行って、長い堤の上、高い橋のあたりを▼隈なく▲探し歩きましたが、それらしい住み家は見当りません。土地の者にも訊き、往来の人にも尋ねましたが、誰も知らないという。そのうちに日も暮れかかって来たので、そこにある湖心寺という古寺にはいって暫く休むことにしました。そうして、東の廊下をあるき、さらに西の廊下をさまよっていると、その西廊のはずれに薄暗い室があって、そこに一つの旅が置いてありました。旅と   「隈なく」#52 2241.59

「隈なく」#53 4641.20

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(一):光文社文庫、光文社:1985(昭和60)年

菊さんにはぐれてしまって、お竹どんだけがぼんやり帰って来たんです」  ▽4641.19 「きのうの午過ぎ……」と、半七も顔をしかめた。「そうして、きょうまで姿を見せないんですね。おふくろさんもさぞ心配していなさるだろう。まるで心当りはないんですかえ。そいつはちっと変だね」  ▽4641.20 菊村の店でも無論手分けをして、ゆうべから今朝まで心当りを▼隈なく▲詮索しているが、ちっとも手がかりがないと清次郎は云った。彼はゆうべ碌々に睡らなかったらしく、紅くうるんだ眼の奥に疲れた瞳ばかりが鋭く光っていた。  ▽4641.21 「番頭さん。冗談じゃない。おまえさんが連れ出して何処へか隠してあるんじゃないかえ」と、半七は相手の肩を叩いて笑った。  ▽4641.22 「いえ、飛んでもないことを……」と、清次郎は蒼   「隈なく」#53 4641.20

「隈なく」#54 1021.42

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(二):光文社時代小説文庫、光文社:1986(昭和61)年

日間、厄よけの祈祷をおこなって、護摩料や祈祷料や賽銭が多分にあつまっているので、それを知っている何者かが忍び込んで彼女を殺害したのであろう。善昌は抵抗したために殺されたのか、あるいは先ず善昌を殺して置いて、それから仕事に取りかかったのか、その順序はよく判らなかったが、いずれにしても其の首を斬り落すのは余りに残酷である。床板を引きめくって縁の下を▼隈なく▲あらためたが、その首はどうしても見付からなかった。

1021.43 首のない尼の死骸は六畳の間に横たえられて、役人の検視をうけることになった。本所は朝五郎という男の縄張りであったが、朝五郎は千葉の親類に不幸があって、あいにくきのうの午すぎから旅に出ているので、半七が神田から呼び出された。半七はちょうど来あわせている子分の熊蔵を連れて駈けつけた   「隈なく」#54 1021.42

「隈なく」#55 1297.38

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(三):光文社時代小説文庫、光文社:1986(昭和61)年

いので、役人たちもすぐに同意した。人足どもを呼びあつめて、師走の寒い日にその池の掻掘りをはじめると、水の深さは一丈を越えていて、底の方から大小の緋鯉や真鯉が跳ね出して来たが、そのほかにはこれというような掘出し物もなかった。お葉のさしていたらしい櫛が一枚あらわれた。小半日をついやして、これだけの獲物しかないので、役人たちも失望した。それから家内を▼隈なく▲猟ってみたが、どこも皆きちんと片付いていて別に取り散らしたような形跡もみえなかった。差しあたりはこの以上に詮議のしようもないので、あとの探索は半七にまかせて、役人たちは一旦引き揚げた。

1297.39 半七はあとに残って、其月の身許しらべに取りかかった。かれの親類や、かれの弟子や、出入りの者や、それらの住所姓名を一々に調べることにした。子分の   「隈なく」#55 1297.38

「隈なく」#56 982.113

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(五):光文社時代小説文庫、光文社:1986(昭和61)年

た。彼女もシマダと同じく神奈川に住んでいるとのことであるが、やはり其の居どころを知らないとヘンリーは云った。  ▽982.113 もうこの上に探索の仕様もないので、半七はヘンリーに別れてここを出た。出るとき庭を一巡すると、アグネスの死体はここに横たわっていたとヘンリーが指さして教えた。そこは庭の片隅で、大きい椿が緑の蔭を作っていた。半七はそこらを▼隈なく▲見まわしたが、別に眼につくような物もなかった。  ▽982.114 「親分、妙な写真を見つけましたね」と、三五郎はあるきながら云った。  ▽982.115 「これは蟹のお角という女だ」と、半七はふところから写真を出して見せた。「こいつがハリソンの家へ出入りしていようとは思わなかった。こんな奴が出這入りをして、素っ裸の写真なんぞを撮らせるようじゃあ、   「隈なく」#56 982.113

「隈なく」#57 475.21

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(五):光文社時代小説文庫、光文社:1986(昭和61)年

本人を受け取って行くのです。そこで、千右衛門の申し立てによると、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中であると云うので、辻番所からはすぐに外桜田の板倉家へ使を出しました。

475.21 その使の帰るのを待つあいだに、千右衛門は失礼ながら便所を拝借したいと云う。油断して出してやると、それぎり帰らない。いずれ屋敷内に忍んでいるに相違ないと、そこらを▼隈なく▲詮議したが、遂にその姿は見あたらない。なにしろ場末の屋敷で、その横手は大きな竹藪になっているから、それを潜って逃げ去ったのではないかと云う。そのうちに使が帰って来て、板倉家ではそんな者を知らないという返事です。さては偽者かと云うことになったのですが、偽物ならば随分ずうずうしい奴、白昼人殺しをして置いて、かたき討ちだなぞといつわって、自分から辻番   「隈なく」#57 475.21

「隈なく」#58 1294.81

■『半七捕物帳』(はんしちとりものちょう)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■底本:時代推理小説 半七捕物帳(六):光文社時代小説文庫、光文社:1986(昭和61)年

なにしろ夜なかではあり、大変な混雑ですから、どうすることも出来ません。夜が明けたら何処からか出て来るだろうと、三人は一睡も致さずに、夜の白らむのを待って居りましたが、おかみさんの姿はどうしても見えません。そのうちに日が高くなって、ほかの客はだんだんに引き揚げてしまいましたが、わたくし共は帰ることが出来ません。宿屋の者にも頼みまして、心あたりを▼隈なく▲探させましたが、なんにも手がかりがございません。その晩はとうとう府中に泊まりましたが、おかみさんは帰って参りません。店の方でも心配しているだろうと存じまして、三人相談の上で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。

1294.82 主人もおどろきまして、親類などを呼びあつめて、ゆうべは夜の更けるまでいろいろ相談を致   「隈なく」#58 1294.81

「隈なく」#59 49682.1005

■『飛騨の怪談』(ひだのかいだん)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「やまと新聞」1912(大正元)年11月13日~1913(大正2)年1月21日
■底本:飛騨の怪談 新編 綺堂怪奇名作選:メディアファクトリー:2008(平成20)年

こが恐く行止りで、彼等は今や袋の鼠になったろうと思いの外、何処を何う潜ったか知らず、漸次に跫音も消えて了って、後は寂寞たる闇となった。  ▽49682.1004 「奴等は何処へ隠れたろう。」  ▽49682.1005 松明は再び点されたが、広い穴の中に何者の影も見えなかった。幾らでも隠形の術を心得ている筈はない。恐く何処にか隠れ家があろうと、四辺を▼隈なく▲照し視ると、穴の奥には更に小さい間道が有った。彼等は此処から這い込んだに相違あるまい。巡査等は続いて其穴を潜った。  ▽49682.1006 穴は極めて低く狭いので、普通の人間には通行甚だ困難であったが、人々は宛ら蝦蟇のようになって僅に這い抜けた。行くに随って水の音が漸々に近く聞えた。水の音ばかりで無い、日の光も薄く洩れて来た。  ▽49682.1   「隈なく」#59 49682.1005

「隈なく」#60 43578.87

■『妖婆』(ようば)
■著者:岡本 綺堂(おかもと きどう):1872(明治5)年11月15日~1939(昭和14)年3月1日
■初出:「文藝倶樂部」1928(昭和3)年4月
■底本:異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二:原書房:1999(平成11)年

鉄之助であった。二人ともに合羽をきて、袴の股立ちを取って、草鞋をはいていた。房八郎は去年から伜に番入りをさせて、自分は隠居の身となったが、ふだんから丈夫な質であるので、今でも大勢の若い者を集めて弓術の指南をしている。ゆうべの一条について、彼は自分の責任としても伜のゆくえを早く探し出さなければならないというので、弟子の矢上を連れて早朝から心当りを▼隈なく▲尋ねて歩いたが、どこにも房之丞の立廻ったらしい形跡を見いだすことが出来ないで、唯今むなしく帰って来たところであった。

43578.88 「卑怯な伜め。未練に逃げ隠れて親の顔にも泥を塗る、にくい奴でござる。」と、房八郎は嘆息した。

43578.89 かれは見あたり次第に伜を引っ捕えて、詰腹を切らせる覚悟であったらしい。彼が平生の気性を知ってい   「隈なく」#60 43578.87

「隈なく」#61 51975.8

■『月と海豹』(つきとあざらし)
■著者:小川 未明(おがわ みめい):1882(明治15)年4月7日~1961(昭和36)年5月11日
■底本:小川未明童話集:新潮文庫、新潮社:1951(昭和26)年

「海豹さん、あなたはいなくなった子供のことを思って、毎日そこに、そうしてうずくまっていなさるのですか。私は、なんのためにいつまでも、あなたがじっとしていなさるのか分らなかったのです。私はいま雪と戦っているのでした。この海を雪が占領するか、私が占領するか、ここしばらくは、命がけの競争をしておるのですよ。さあ、私は、大抵このあたりの海の上は、一通り▼隈なく▲駆けて見たのですが、海豹の子供を見ませんでした。氷の蔭にでも隠れて泣いているのかも知れませんが……こんど、よく注意をして見て来てあげましょう。」

51975.9 「あなたは御親切な方です。いくらあなた達が、寒く冷たくても私は、ここに我慢をして待っていますから、どうか、この海の上を駆けめぐりなさる時に、私の子供が、親を探して泣いていたら、どうか   「隈なく」#61 51975.8

「隈なく」#62 1317.1229

■『黒死館殺人事件』(こくしかんさつじんじけん)
■著者:小栗 虫太郎(おぐり むしたろう):1901(明治34)年3月14日~1946(昭和21)年2月10日
■初出:「新青年」博文館、1934(昭和9)年4月号~12月号
■親本:黒死館殺人事件:新潮社:1935(昭和10)年
■底本:小栗虫太郎傑作選1 黒死館殺人事件:現代教養文庫、社会思想社:1977(昭和52)年

フ夫人の狙撃を最後にして、あの屍体蒐集癖が、綺麗さっぱり消滅してしまったからなんですよ。さて、ここでレヴェズさん、僕の採集した心理標本を、一つお目にかけることにしましょう。つまり、法心理学者のハンス・リーヒェルなどは、動機の考察は射影的に――と云いますけれども、しかし僕は、動機についてもあくまで測定的です。そして、事件関係者全部の心像を、すでに▼隈なく▲探り尽したのでした。で、それによると、犯人の根本とする目的は、ただ一途、ダンネベルグ夫人にあったと云うことが出来ます。ですから、クリヴォフ夫人や易介の事件は、動機を見当違いの遺産に向けさせようとしたり、あるいはまた、それを作虐的に思わせんがためなのでした。勿論、伸子のごときは、最も陰険兇悪をきわめた、つまり、あの悪鬼特有の擾乱策と云うのほかにな   「隈なく」#62 1317.1229

「隈なく」#63 43656.746

■『潜航艇「鷹の城」』(せんこうてい「ハビヒツブルグ」)
■著者:小栗 虫太郎(おぐり むしたろう):1901(明治34)年3月14日~1946(昭和21)年2月10日
■初出:「新青年」博文館、1935(昭和10)年4~5月号
■親本:地中海:ラヂオ科学社:1938(昭和13)年
■底本:潜航艇「鷹の城」:現代教養文庫、社会思想社:1977(昭和52)年

者の姓名を訊ねてしまったのです。  ▽43656.745 すると叔父は、卓子をガンと叩いて、「お前は、あの扉の合鍵でも欲しいのか」と呶鳴りましたが、まもなく顔色を柔らげて、「ではパット、あの馬鹿者については、これだけのことを云っておこう。さる侯爵だ――とね」と言葉少なに云うのでした。  ▽43656.746 しかし、お訊ねにかかわる羅針盤の文身は、▼隈なく▲捜したのでしたが、ついに発見することなく終ってしまいました。  ▽43656.747 そこで私は、明白な結論を述べることができます――あの囚人は、たとえいかなる浮説に包まれていようと、絶対に、友、フォン・エッセン男爵ではない――と。  ▽43656.748 その書信は、ウルリーケの知人である、英人医師のバーシー・クライドから送られたものだが、かえっ   「隈なく」#63 43656.746

「隈なく」#64 43669.40

■『黄金の腕環』(おうごんのうでわ)
■著者:押川 春浪(おしかわ しゅんろう):1876(明治9)年3月21日~1914(大正3)年11月16日
■初出:「少年世界」1907(明治40)年1月
■親本:春浪快著集 第二巻:大倉書店:1916(大正5年
■底本:少年小説大系 第2巻 押川春浪集:三一書房:1987(昭和62)年

ば、林中は真暗で何んだか化物でも潜んで居るよう、何うしても踏み込んで探検する気にはなれず、一歩進んでは二歩退き、二歩進んでは三歩退き、其間に独り思うには、此林中には立木と草のあるばかり、流星が此処で消えたとて何んの不思議な物が落ちて居るものか、好奇に此様な気味の悪い森林に入るよりは此儘此処から家に帰り、阿父様に林中の有様を問われたら、森林を残る▼隈なく▲探検しましたが、唯だ立木と草のあるばかりで、不思議な物は少しも見えませんかったと答えよう、此方が余程利口であると、娘の癖に狡猾い事を考え、来る時の足の遅さとは反対に、飛ぶ様に家に帰って来た。

43669.41 次に行ったのは二番目の娘であったが、此娘は姉様より更に臆病なので、森林の側まで行くか行かぬに早や身慄いがし矢張り姉様と同じ様な狡猾い事   「隈なく」#64 43669.40

「隈なく」#65 43669.48

■『黄金の腕環』(おうごんのうでわ)
■著者:押川 春浪(おしかわ しゅんろう):1876(明治9)年3月21日~1914(大正3)年11月16日
■初出:「少年世界」1907(明治40)年1月
■親本:春浪快著集 第二巻:大倉書店:1916(大正5年
■底本:少年小説大系 第2巻 押川春浪集:三一書房:1987(昭和62)年

を持上げて見ると非常に重かったけれど、夫れを両手に抱えて家に帰って来た。  ▽43669.46 三人の娘が尽く帰って来たので、父伯爵は一同其居間に呼び、先ず一番目の娘に向い、  ▽43669.47 「和女は森林を探検して、何も不思議な物を見なかったか」と問えば、一番目の娘は澄ました顔で、  ▽43669.48 「ハイ、林中には立木と草のあるばかりで、▼隈なく▲探検しても少しも不思議な物は見えませんかった」と答えた、二番目の娘も同じ様に答えた、すると伯爵は三番目の娘に向い、  ▽43669.49 「和女も矢張り不思議な物を見なかったか」  ▽43669.50 と云うと、三番目の娘露子は、携えて来た彼の奇妙な箱を室の隅から持出し、  ▽43669.51 「阿父様、不思議と云えば不思議でしょう、此様な箱が森林の   「隈なく」#65 43669.48

「隈なく」#66 1323.181

■『海島冒険奇譚 海底軍艦』(かいとうぼうけんきたん かいていぐんかん)
■著者:押川 春浪(おしかわ しゅんろう):1876(明治9)年3月21日~1914(大正3)年11月16日
■親本:海島冐險奇譚 海底軍艦:文武堂:1900(明治33)年
■底本:海島冐險奇譚 海底軍艦:名著復刻日本児童文学館、ほるぷ出版:1975(昭和50)年

燈、右舷に緑燈、左舷に紅燈の海上法を守り、停泊まれる船は大鳥の波上に眠るに似て、丁度夢にでもあり相な景色! 私は此樣な風景は今迄に幾回ともなく眺めたが、今宵はわけて趣味ある樣に覺えたので眼も放たず、それからそれと眺めて行く内、ふと眼に止つた一つの有樣――それは此處から五百米突ばかりの距離に停泊して居る一艘の蒸船で、今某國軍艦からの探海燈は其邊を▼隈なく▲照して居るので、其甲板の裝置なども手に取るやうに見える、此船噸數一千噸位、船體は黒色に塗られて、二本煙筒に二本檣、軍艦でない事は分つて居るが、商船か、郵便船か、或は他に何等かの目的を有して居る船か夫は分らない。勿論、外形に現れても何も審しい點はないが、少しく私の眼に異樣に覺えたのは、總噸數一千噸位にしては其構造の餘りに堅固らしいのと、また其甲板   「隈なく」#66 1323.181

「隈なく」#67 1323.542

■『海島冒険奇譚 海底軍艦』(かいとうぼうけんきたん かいていぐんかん)
■著者:押川 春浪(おしかわ しゅんろう):1876(明治9)年3月21日~1914(大正3)年11月16日
■親本:海島冐險奇譚 海底軍艦:文武堂:1900(明治33)年
■底本:海島冐險奇譚 海底軍艦:名著復刻日本児童文学館、ほるぷ出版:1975(昭和50)年

んき」]を艇尾に飜しつゝ、蒼波漫々たる世界の海上に浮んだ時、果して如何なる戰爭に向つて第一に使用され、また如何に目醒ましき奮鬪をなすやは多く言ふ必要もあるまいと考へる。  ▽1323.542 さても、私が櫻木海軍大佐と武村兵曹の案内に從つて、海底戰鬪艇の縱覽を終つて後、再び艇外に出でたのは、かれこれ二時間程後であつた。それより洞中の造船所内を殘る▼隈なく▲見物したが、ふと見ると、洞窟の一隅に、岩が自然に刳られて、大なる穴倉となしたる處、其處に、嚴重なる鐵の扉が設けられて、扉の表面には黄色のペンキで「海底戰鬪艇の生命」なる數字が記されてあつた。  ▽1323.543 『之は何ですか。』と私が問ふと大佐は言葉靜かに  ▽1323.544 『此倉庫には前申した、海底戰鬪艇の動力の原因となるべき重要の化學藥   「隈なく」#67 1323.542

「隈なく」#68 449.12

■『本州横断 癇癪徒歩旅行』(ほんしゅうおうだん かんしゃくとほりょこう)
■著者:押川 春浪(おしかわ しゅんろう):1876(明治9)年3月21日~1914(大正3)年11月16日
■親本:本州横断 癇癪徒歩旅行:雑誌<冒険世界>、博文館:1911(明治44)年
■底本:〔天狗倶楽部〕快傑伝 ――元気と正義の男たち――:朝日ソノラマ:1993(平成5)年

したところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突出した食指の上へ、豆粒程の大さだけポタリと落ちる道理はないのだ。

449.11 「それでは天井から落ちたに相違ない」

449.12 「そうだそうだ、天井で鼠が喧嘩して、その負傷した血汐の滴り落ちたのだろう」と、断水坊は御苦労にも卓子を担ぎ出してその上へ登り、吾輩は、懐中電灯を輝かして、蚤取眼で天井を▼隈なく▲詮索したが、血汐は愚か、水の滴り落ちた形跡すらどこにもない。どうも分からん分からん、不思議な事もあれば有るものだと、二人は暫時顔を見合すばかり。鮮血は二人の身体から出たものでなく、また天井から落ちたものでないとすれば、空中から飛んで来たものとほか思う事は出来ない。誰か友人中に死んだ者でもあって、その暗示が来たのではあるまいか。イヤそんな事もある   「隈なく」#68 449.12

「隈なく」#69 47178.23

■『新しい国語教育の方角』(あたらしいこくごきょういくのほうがく)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「教育論叢 第十三巻第五号」1925(大正14)年5月
■底本:折口信夫全集 12:中央公論社:1996(平成8)年

わけがあると思ふのでせう。私は、国語調査会の事業が、なぜ此方面に伸びて行かないのかを訝しみます。漢字制限の申し合せは、確かによい結果を生みませう。併し、責任者自身すぐに実行にうつらないのはどうした事なのです。新聞記者は、気移り目移りの早い人々です。今暫らくは、むづかしい字を仮名に改めるしち面倒を堪へて居てもぢきに元に戻ります。世間は、誰も仮名で▼隈なく▲表される語を使はうとはしないのですもの。

47178.24 仮名づかひの為に、時間を空費する事も、心配は心配ですが、でも、此方に比べれば、消極的の事です。私どもの祖先からの語は、どん/\死語として、辞書の鬼籍に入つて行きます。其に替るものが、どし/\漢字典から掘り出されてくる木乃伊であるのをどう見てゐるのでせう。稀に国語的発想に従つたものも、   「隈なく」#69 47178.23

「隈なく」#70 47185.6

■『古語復活論』(こごふっかつろん)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「アララギ 第十巻第二号」1917(大正6)年2月
■底本:折口信夫全集 12:中央公論社:1996(平成8)年

てはならぬ。全体に鳴り響く生命を持つたものでなければならぬ。

47185.6 古語と口語との発想や変化に就いて、周到な観察をして、其に随応するやうな態度を採るべきである。唯古語を用ゐることについては、一度常識者流の考へに就いて、注意を払ふ必要がある。彼等は、かういふ妄信を擁いてゐる。われ/\の時代の言語は、われ/\の思想なり、感情なりが、残る▼隈なく▲、分解・叙述せられてゐるもので、あらゆる表象は、悉く言語形式を捉へてゐると考へてゐるのである。けれども此は、おほざつぱな空想で、事実、言語以外に喰み出した思想・感情の盛りこぼれは、われ/\の持つてゐる語彙の幾倍に上つてゐるか知れない。若し現代の語が、現代人の生活の如何程微細な部分迄も、表象することの出来るものであつたなら、故らに死語や古語を復活   「隈なく」#70 47185.6

「隈なく」#71 24380.107

■『死者の書』(ししゃのしょ)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「日本評論 第十四巻第一~三号」1939(昭和14)年1~3月
■底本:折口信夫全集 第廿四巻:中央公論社:1967(昭和42)年

宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の國中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。

24380.107 遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和國中殘る▼隈なく▲搜し覓めました。その頃、國原の水は、水澁臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、國中は國低し。山々もまんだ天遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見と   「隈なく」#71 24380.107

「隈なく」#72 24379.106

■『死者の書』(ししゃのしょ)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■著者:釈 迢空(しゃく ちょうくう):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■底本:死者の書:角川書店:1947(昭和22)年

。其前は、藤原の宮の 日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の 日のみ子さま。大和の國中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の 日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の 日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和國中殘る▼隈なく▲搜し覓めました。その頃、國原の水は、水澁臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神 高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、國中は國低し。山々もまんだ天遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見   「隈なく」#72 24379.106

「隈なく」#73 4398.100

■『死者の書』(ししゃのしょ)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月
■底本:昭和文学全集 第4巻:小学館:1989(平成元)年

御子さま。其前は、藤原の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の日のみ子さま。長く久しい御代御代に仕えた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和国中残る▼隈なく▲捜し覓めました。

4398.101 その頃、国原の水は、水渋臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶いません。天の神高天の大御祖教え給えと祈ろうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通い路と、昇り立って祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二   「隈なく」#73 4398.100

「隈なく」#74 4388.107

■『死者の書』(ししゃのしょ)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「日本評論 第十四巻第一号~三号」1939(昭和14)年1月~3月
■親本:折口信夫全集 第廿四巻:中央公論社:1965(昭和30)年
■底本:死者の書:中公文庫、中央公論社:1974(昭和49)年

の宮の日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の日のみ子さま。大和の国中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。

4388.107 遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和国中残る▼隈なく▲捜し覓めました。その頃、国原の水は、水渋臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、国中は国低し。山々もまんだ天遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見と   「隈なく」#74 4388.107

「隈なく」#75 43802.119

■『死者の書』(ししゃのしょ)
■著者:折口 信夫(おりくち しのぶ):1887(明治20)年2月11日~1953(昭和28)年9月3日
■初出:「日本評論 第14巻第1号、第2号、第3号」日本評論社、1939(昭和14)年1月号、2月号、3月号
■底本:初稿・死者の書:国書刊行会:2004(平成16)年

原の宮の 日のみ子さま、其又前は飛鳥の宮の 日のみ子さま、大和の国中に宮遷し宮奠め遊した代々の 日のみ子さま、長く久しいみ代々々に仕へた中臣の家の神わざ、お姫様、お聞き及びかえ。

43802.119 遠い代の昔語り。耳明らめてお聴きなされ。中臣藤原の遠つ祖あめのおしくもね。遠い昔の 日のみ子さまのお食しの飯とみ酒を作る御料の水を、大和国中残る▼隈なく▲捜し蒐めました。

43802.120 その頃、国原の水は、水渋臭く、土濁りして、 日のみ子さまのおめしには叶ひません。天の神様、高天の大御祖教へ給へと祈るにも、国中は国低し。山々も尚天に遠し。大和の国とり囲む青垣山では、この二上、山空行く雲の通ひ路と昇り立つて、祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖おしくもね、天の水の湧き口を、   「隈なく」#75 43802.119

「隈なく」#76 1867.10

■『四日間』(よっかかん)
■著者:ガールシン フセヴォロド・ミハイロヴィチ:1855年2月14日~1888(明治21)年4月5日
■翻訳:二葉亭 四迷(ふたばてい しめい):1864年4月4日~1909(明治42)年5月10日
■親本:二葉亭四迷全集:筑摩書房:1984(昭和59)年
■底本:平凡 私は懐疑派だ:講談社文芸文庫、講談社:1997(平成9)年

もない。はッ、これはしたり、何の事た、おれおれ、この俺が唸るのだ。微かな情ない声が出おるわい。そんなに痛いのかしら。痛いには違いあるまいが、頭がただもう茫と無感覚になっているから、それで分らぬのだろう。また横臥で夢になって了え。眠ること眠ること……が、もし万一此儘になったら……えい、関うもんかい!  ▽1867.10 臥ようとすると、蒼白い月光が▼隈なく▲羅を敷たように仮の寝所を照して、五歩ばかり先に何やら黒い大きなものが見える。月の光を浴びて身辺処々燦たる照返を見するのは釦紐か武具の光るのであろう。はてな、此奴死骸かな。それとも負傷者かな?  ▽1867.11 何方でも関わん。おれは臥る……  ▽1867.12 いやいや如何考えてみても其様な筈がない。味方は何処へ往ったのでもない。此処に居るに相違   「隈なく」#76 1867.10

「隈なく」#77 50112.84

■『エリザベスとエセックス』(エリザベスとエセックス)
■著者:ストレイチー リットン(すとれいちー りっとん):1880(明治13)年3月1日~1932(昭和7)年1月21日
■翻訳:片岡 鉄兵(かたおか てっぺい):1894(明治27)年2月2日~1944(昭和19)年12月25日
■初出:「エリザベスとエセックス」富士出版社、1941(昭和16)年8月
■底本:世界教養全集 27:平凡社:1962(昭和37)年

けられているようだが、彼らのいうことなど、はたして信用できるだろうか。真相はどん底まで究明されなければならぬ。エセックスは女王に謁見した。そして一五九四年一月一日、ロオペ博士、女王の侍医頭であるところのドクタア・ロオペは逮捕されたのである。

50112.84 博士はエセックス邸に連行され、そこで厳重に監禁された。その一方でホルボオンの留守宅は▼隈なく▲捜査されたが、怪しいものはなにひとつ出てこなかった。やがて博士は大蔵卿、ロバアト・セシルおよびエセックス伯の手で訊問されたが、陳述のいっさいは条理だって嫌疑のかかるような筋はさらにない。セシルらの考えによると、彼の眼にはなにもかもスペイン的な陰謀に見え、またあらゆるところにスパイがいるとおびえるのだ。それで今度はこの不幸なユダヤ人に、ばかげた昂   「隈なく」#77 50112.84

「隈なく」#78 50112.333

■『エリザベスとエセックス』(エリザベスとエセックス)
■著者:ストレイチー リットン(すとれいちー りっとん):1880(明治13)年3月1日~1932(昭和7)年1月21日
■翻訳:片岡 鉄兵(かたおか てっぺい):1894(明治27)年2月2日~1944(昭和19)年12月25日
■初出:「エリザベスとエセックス」富士出版社、1941(昭和16)年8月
■底本:世界教養全集 27:平凡社:1962(昭和37)年

な適切な譬えで、女王の御覧に供えるなどはまさに誹謗の極地であった。この論告はもちろん、女王の耳に届いたが。現実には、論告は他のある男に聞かせたかったのである――姿の見えぬ聞き手、いかにも劇的に姿を現わしたあと、すぐ垂れ幕の後ろの自分の席に退いたあの男に聞かせたかったのである。侍史の、ベエコンと血のつながる智慧は、論告が絶妙に含蓄するところを残る▼隈なく▲鑑賞した。わが従兄のやることはすばらしい。伯爵は黙ってしまった。フランシス・ベエコンの仕事は終わった。二重の舌は一度たたいた、そしてもう一度たたいた。

50112.334 エセックスとサザンプトンの二人の被告が、ともに有罪と宣告されたのは不可避的である。そして、大逆罪の起訴理由書が、いつもの形式で発表された。審問の試練を受ける間、エセックスは   「隈なく」#78 50112.333

「隈なく」#79 46361.193

■『なよたけ』(なよたけ)
■著者:加藤 道夫(かとう みちお):1918(大正7)年10月17日~1953(昭和28)年12月22日
■初出:「三田文学 四・五月号、六月号、七・八月号、九月号、十・十一月号」1946(昭和21)年5月~10月
■親本:現代日本文學大系92 現代名作集(二):筑摩書房:1973(昭和48)年
■底本:美しい恋の物語〈ちくま文学の森1〉:筑摩書房:1988(昭和63)年

れは、あのひとですね?造麻呂 へえ………

46361.193 琴の音。長い間。御行 (もはや耐えかねたような詠嘆調にて)ああ、何と云う妙なる楽の音だ。……これが、このあじけない現世のことなのだろうか?………いいや、これはもう天上の調べだ。私にはあのひとの白魚のようにかぼそい美しい手が眼のあたりに見えるようだ。あのひとの月のように澄みきった心が▼隈なく▲読めるようだ。……あれこそは、あのひとの清らかな魂がこの汚れ多い現世に、天の調べを伝えてくれるのです。造麻呂 それほどでもござりませぬ。御行 (深い溜息と共に)なよたけ………

46361.194 琴の音。間――御行 (突然、つかつかと土間に入って来る。衝動的に)お爺さん! 私はもうこれ以上我慢が出来ません! 私は私の思った通りのことをします!   「隈なく」#79 46361.193

「隈なく」#80 46361.470

■『なよたけ』(なよたけ)
■著者:加藤 道夫(かとう みちお):1918(大正7)年10月17日~1953(昭和28)年12月22日
■初出:「三田文学 四・五月号、六月号、七・八月号、九月号、十・十一月号」1946(昭和21)年5月~10月
■親本:現代日本文學大系92 現代名作集(二):筑摩書房:1973(昭和48)年
■底本:美しい恋の物語〈ちくま文学の森1〉:筑摩書房:1988(昭和63)年

なよたけの夢は現し世から消えて行くのじゃ。……竹取ノ翁もなよたけのかぐやも無明の中に消えて行くのじゃ。文麻呂 お爺さん! 貴方には聞えないのですか? あのなよたけの声が貴方には聞えないのですか?

46361.470 風の音烈しく……なよたけの声 文麻呂!……竹の林を出て! 竹の林を出て! 果しもない夜空の下にあたしは立っている! お星様が残る▼隈なく▲見える所にあたしは立っている!……文麻呂! 早く竹の林を出て! 竹の林を出て!文麻呂 お爺さん!……なよたけが僕を呼んでいる! 僕にはあの女の声がはっきりと聞えるのです! なよたけは夢ではありません! なよたけはこの竹林の外で僕を待っている。……竹の里の伝説は滅んでも、なよたけの姿は決して亡びはしません! なよたけはこの竹の里を捨てて、今こそ僕   「隈なく」#80 46361.470

「隈なく」#81 1336.36

■『崖の下』(がけのした)
■著者:嘉村 礒多(かむら いそた):1897(明治30)年12月15日~1933(昭和8)年11月30日
■底本:日本文學全集 34 梶井基次郎 嘉村礒多 中島敦集:新潮社:1962(昭和37)年

は固く封じられて動かうとはしなかつた。  ▽1336.35 圭一郎は默然として手を拱き乍ら硬直したやうになつて日々を迎へた。  ▽1336.36 櫻の枝頭にはちらほら花を見かける季節なのに都會の空は暗鬱な雲に閉ざされてゐた。二三日霙まじりの冷たい雨が降つたり小遏んだりしてゐたが、さうした或る朝寢床を出て見ると、一夜のうちに春先の重い雪は家のまはりを▼隈なく▲埋めてゐた。午時分には陽に溶けた屋根の雪が窓庇を掠めてドツツツと地上に滑り落ちた。  ▽1336.37 「あつ、あぶない!」  ▽1336.38 と圭一郎は、慄然と身顫ひして兩手で机を押さへて立ち上つた。故郷の家の傾斜の急な高い茅葺屋根から、三尺餘も積んだ雪のかたまりがドーツと轟然とした地響を立てて頽れ落ちる物恐ろしい光景が、そして子供が下敷になつ   「隈なく」#81 1336.36

「隈なく」#82 46648.97

■『書記官』(しょきかん)
■著者:川上 眉山(かわかみ びざん):1869(明治2)年4月16日~1908(明治41)年6月15日
■初出:「太陽」1895(明治28)年2月
■底本:日本の文学 77 名作集(一):中央公論社:1970(昭和45)年

心にうなずくなるべし。脇には七宝入りの紫檀卓に、銀蒼鷹の置物を据えて、これも談話の数に入れとや、極彩色の金屏風は、手を尽したる光琳が花鳥の盛上げ、あっぱれ座敷や高麗縁の青畳に、玉を置くとも羞かしからぬ設けの席より、前は茶庭の十分なる侘びを見せて、目移りゆかしくここを価値の買いどころと、客より先に主人の満足は、顔に横撫での煤を付けながら、独り妙と▼隈なく▲八方を見廻しぬ。

46648.98 豊は碁石の清拭きせよ。利介はそれそれ手水鉢、糸目の椀は土蔵にある。南京染付け蛤皿、それもよしかこれもよしか、光代、光代はどこにいる。光代光代、と呼び立てられて心ならずも光代は前に出づれば、あの今日はな、と善平は競い立ちて、奥村様はじめ大事のお客であるから、お前にも酌に出てもらわねばならぬ。今っから衣服も着更   「隈なく」#82 46648.97

「隈なく」#83 49966.2199

■『チベット旅行記』(チベットりょこうき)
■著者:河口 慧海(かわぐち えかい):1866年2月26日~1945(昭和20)年2月24日
■親本:西蔵旅行記下卷:博文館:1904(明治37)年
■底本:チベット旅行記(一):講談社学術文庫、講談社:1978(昭和53)年

会の中にはヒマラヤ山中に居る悪神よりも恐ろしい悪魔が居るかも知れない。またその陥穽は雪山の谷間よりも酷いものがあるであろうけれども、そういう修羅の巷へ仏法修行に行くと思えばよいと決心致しました。その歌は  ▽49966.2197 日の本に匂ふ旭日はヒマラヤの  ▽49966.2198 峰を照せる光なりけり  ▽49966.2199 仏日の光輝は至らぬ▼隈なく▲宇宙に遍満して居りますから、いずれの世界に行っても修行の出来ぬ道場はない、日本も我が修行の道場であると観ずれば別段苦しむにも及ばないと諦め、五月十九日に門司港を経て同月二十日に神戸に着きました。汽船の上から桟橋の上を眺めますと、出立の時に涙をもって送られたところの親友、信者の方々は喜びの涙をもって無言の裡に真実の情を湛え、懇ろに私を迎えてくれま   「隈なく」#83 49966.2199

「隈なく」#84 45665.5

■『新しき声』(あたらしきこえ)
■著者:蒲原 有明(かんばら ありあけ):1875(明治8)年3月15日~1952(昭和27)年2月3日
■初出:「文章世界 〈文話詩話〉號」1907(明治40)年10月
■底本:明治文學全集 69 島崎藤村集:筑摩書房:1972(昭和47)年

居ればこそ他に無垢なる光明世界のあるのを見ないのであらう。輝ける稚き世――それが「若菜集」の世界である、歌の塲である。こゝには神も人に交つて人間の姿人間の情を裝つた。されば流れ出づる感情は往く處に往き、止る處に止りて毫も狐疑踟の態を學ばなかつた。自から恣にする歡樂悲愁のおもひは一字に溢れ一句に漲る、かくて單純な言葉の秘密、簡淨な格調の生命は殘る▼隈なく▲こゝに發現したのである。島崎氏はこの外に何者をも要めなかつた。宇宙人生のかくれたる意義を掻き起すと稱へながら、油乾ける火盞に暗黒の燈火を點ずるが如き痴態を執るものではなかつた。  ▽45665.6 まだ彈きも見ぬ少女子の  ▽45665.7 胸にひそめる琴のねを、  ▽45665.8 知るや君。  ▽45665.9 「若菜集」に於ける島崎氏の態度は正に   「隈なく」#84 45665.5

「隈なく」#85 43739.440

■『夢は呼び交す』(ゆめはよびかわす)
■著者:蒲原 有明(かんばら ありあけ):1875(明治8)年3月15日~1952(昭和27)年2月3日
■初出:「藝林間歩」1946(昭和21)年6月~1947(昭和22)年
■親本:夢は呼び交す:東京出版:1947(昭和22)年
■底本:夢は呼び交す:岩波文庫、岩波書店:1984(昭和59)年

。鶴見はその伝説を思い浮べている。これこそ代衆生苦の御念願である。  ▽43739.440 鶴見はこれまで重荷にしていた痛苦がこの代衆生苦の御念願によって、冥々のうちにあっていつの間にか救われているのだろうと思う。それをそうと信ぜさせられた時、その市井の女はいよいよ些の歪曲をも容さぬ真相を示すのである。世間も、彼の母も、その母の地位も、すべて残る▼隈なく▲、彼の心眼に映って来る。そこには欺瞞も虚飾もない。彼はそれを臆する色もなく見詰めている。それでいて、もはや心に動揺をおぼえるというようなことはない。  ▽43739.441 鶴見は、ここに、一つの安心を得たのである。  ▽43739.442 「何はともあれ、男の子が生れたのはめでたい。あなたには国に置いて来た女の子はある。男の子を設けたのは今度がは   「隈なく」#85 43739.440

「隈なく」#86 4881.811

■『小公女』(しょうこうじょ)
■著者:バーネット フランシス・ホジソン・エリザ:1849年11月24日~1924(大正13)年10月29日
■翻訳:菊池 寛(きくち かん):1888(明治21)年12月26日~1948(昭和23)年3月6日
■底本:小學生全集第五十二卷 小公女:興文社、文藝春秋社:1927(昭和2)年

んのナイフを持っていません。)」  ▽4881.809 そうして、それから印度紳士の話が始まりました。  ▽4881.810 十一 ラム・ダス  ▽4881.811 時とすると、広場で見る夕焼もなかなか美しいものです。が、街からは、屋根や煙突に囲まれたほんの少しの空しか見えません。台所の窓からは、そのほんの少しも見えはしないでしょう。壮麗な夕焼の空を▼隈なく▲見渡すことのできるのは、何といっても屋根裏の天窓です。セエラは夕方になると、用の多い階下からそっとぬけて来て、屋根裏部屋の机の上に立ち、窓から頭を出来るだけ高く出して見るのでした。大空はまるでセエラ一人のもののようでした。どの屋根の上にも、空を眺めている人の頭は見えませんでした。セエラは一人何もかも忘れて、いろいろの形にかたまったり、解けたりす   「隈なく」#86 4881.811

「隈なく」#87 1090.174

■『乱世』(らんせい)
■著者:菊池 寛(きくち かん):1888(明治21)年12月26日~1948(昭和23)年3月6日
■底本:菊池寛 短篇と戯曲:文芸春秋:1988(昭和63)年

んでしまったけれど、鳥取藩士の格之介に対する追及は、それでは済まなかった。彼らは藩の面目にかかわる一大事だから、どうあっても探し出すと揚言した。東海道筋には、官軍が満ち満ちている故に、江戸へ下り得るはずはない、近在に潜んでいるに違いないとあって、十人、二十人、隊を組んで、鳥取藩士は四日市、桑名、名古屋を中心に、美濃、伊勢、尾張の三国の村々在々を▼隈なく▲捜索した。その中の一隊は、員弁川に添うて濃州街道を美濃の方へ探して行った。

1090.175 桑名の西北六里、濃州街道に添うて、石榑という山村があった。山から石灰石を産するので、石灰を焼く窯が、山の中にいくつも散在した。一隊がこの村に達したとき、村人の一人は、この石灰を焼く窯の一つに武士体の男が二、三日来潜んでいることを告げた。それをきいた一   「隈なく」#87 1090.174

「隈なく」#88 2415.23

■『思ひ出』(おもいで)
■著者:北原 白秋(きたはら はくしゅう):1885(明治18)年1月25日~1942(昭和17)年11月2日
■親本:おもひで 抒情小曲集:東雲堂書店:1911(明治44)年
■底本:柳河版 思ひ出:御花:1967(昭和42)年

いへ大麥の花が咲き、からしの花も實となる晩春の名殘惜しさは青くさい芥子の萼や新らしい蠶豆の香ひにいつしかとまたまぎれてゆく。

2415.23 まだ夏には早い五月の水路に杉の葉の飾りを取りつけ初めた大きな三神丸の一部をふと學校がへりに發見した沖ノ端の子供の喜びは何に譬へよう。艫の方の化粧部屋は蓆で張られ、昔ながらの廢れかけた舟舞臺には櫻の造花を▼隈なく▲かざし、欄干の三方に垂らした御簾は彩色も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日となれば粹な町内の若い衆が紺の半被に棹さゝれて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子面白く、町を替ゆるたびに幕を替え、日を替ゆるたびに歌舞伎の藝題もとり替えて、同じ水路を上下すること三日三夜、見物は皆あちらこちらの溝渠から小舟に棹さして集まり、華やかに水郷の歡を盡くして別   「隈なく」#88 2415.23

「隈なく」#89 52370.896

■『新頌』(しんしょう)
■著者:北原 白秋(きたはら はくしゅう):1885(明治18)年1月25日~1942(昭和17)年11月2日
■底本:白秋詩歌集 第二卷:河出書房:1941(昭和16)年

響し、臣節は國土に根生ふ。大義の國日本、日本に光榮あれ。  ▽52370.895 展け。世紀は轉換する。躍進更に躍進する。興隆日本の正しい相、この體制に信念あれ。  ▽52370.896 いにしへ、仇なすは討ちてしやみ、まつろはぬことむけ和した。砲煙のとどろき、爆彈の炸烈する、もとより聖業の完遂にある。大皇軍の征くところ必ず宣撫の恩澤がある。げにや▼隈なく▲御稜威は光被する。鵬翼萬里、北を被ひ、大陸を裏み、南へ更に南へ伸びる。曠古未曾有の東亞共榮圈、ああ、盟主日本。  ▽52370.897 盛りあがる盛りあがる國民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉とを以て、今だ今だ今こそは三唱しよう。聖壽の萬歳を、皇國の萬歳を。紀元二千六百年の今日、祝典は氾濫する。熱閙は光と騰る。進め一億、とど   「隈なく」#89 52370.896

「隈なく」#90 4986.5

■『水郷柳河』(すいごうやながわ)
■著者:北原 白秋(きたはら はくしゅう):1885(明治18)年1月25日~1942(昭和17)年11月2日
■親本:思ひ出 抒情小曲集:東雲堂書店:1911(明治44)年
■底本:現代日本紀行文学全集 南日本編:ほるぷ出版:1976(昭和51)年

芥子の萼や新しい蚕豆の香ひにいつしかとまたまぎれてゆく。

4986.5 まだ夏には早い[#「早い」は底本では「早」]五月の水路に杉の葉の[#「杉の葉の」は底本では「札の葉を」]飾りを取りつけ初めた大きな三神丸の一部をふと学校がへりに発見した沖の端の子供の喜びは何に譬へやう。艫の方の化粧部屋は蓆で張られ、昔ながらの廃れかけた舟舞台には桜の造花を▼隈なく▲かざし、欄干の三方に垂らした御簾は彩色も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日ともなれば粋な町内の若い衆が紺の半被に棹さゝれて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子面白く、町を替ゆるたびに幕を替へ、日を替ゆるたびに歌舞伎の芸題もとり替へて、同じ水路を上下すること三日三夜、見物は皆あちらこちらの溝渠から小舟に棹さして集まり、華やかに水郷の歓を尽くして   「隈なく」#90 4986.5

「隈なく」#91 52958.348

■『夢殿』(ゆめどの)
■著者:北原 白秋(きたはら はくしゅう):1885(明治18)年1月25日~1942(昭和17)年11月2日
■親本:夢殿:八雲書林:1939(昭和14)年
■底本:白秋全集 10:岩波書店:1986(昭和61)年

8.346 水うちて残んの日かげ濡れたるにもの言ひてます母のしたしさおなじく  ▽52958.347 街中は瓦重なる夕かげをまだじじとある蝉が庭木に瀬戸内海  ▽52958.348 しづかや船ゆきゆく。安らや船ゆきゆく。飛ぶべくはその空飛びぬ。ひさびさや会ふべく会ひぬ。子らにしも父が母国、まつぶさに見よとし見せぬ。さて見むと、母の里をも、子ら見よと▼隈なく▲行きぬ。淡路嶋かよふ千鳥、明石の浦、このそよぐすずしき風に、親子づれ帰さ安しと、この日なか、波折光ると、甲板に鼠出でぬと、おもしろとその影見やる。反歌  ▽52958.349 昨飛びて空ゆながめし瀬戸の海を今日船路行き波の面わたる  ▽52958.350 空ゆ見し全き淡路の夕がすみ船はすべなもただに片附くあとのたより  ▽52958.351 君が飛ぶ   「隈なく」#91 52958.348

「隈なく」#92 43442.29

■『徳川氏時代の平民的理想』(とくがわしじだいのへいみんてきりそう)
■著者:北村 透谷(きたむら とうこく):1868(明治元)年12月29日~1894(明治27)年5月16日
■底本:現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集:筑摩書房:1974(昭和44)年

ねて見む。

43442.29 今代の難波文学は僅かに吾妻の花に反応する仇なる面影に過ぎざれども、徳川氏の初代に於て大に気焔を吐きたるものは、彼にてありし。江戸に芭蕉起りて幽玄なる禅道の妙機を闡きて、主として平民を済度しつゝありし間に、難波には近松巣林子出でゝ艶麗なる情筆を揮ひて、一世の趣味を風靡したり、次いで西鶴、其磧の一流立ちて、艶道の魔風▼隈なく▲四方に吹き廻れり。茲に至りて難波の理想と江戸の理想と、其文学上に現はれたるところを以て断ずれば、各自特種の気禀を備へて、容易に踪跡し得べき痕を印せり。後に難波に起れる文士の多数と、後に江戸に起れる文士の多数とを取りてするに、同じく混和すべからざる異色を帯びしこと一点の疑を挿むべからず。不知庵主人が評して不朽の戯曲家と言ひたる巣林子をもて、仮に江   「隈なく」#92 43442.29

「隈なく」#93 46687.1043

■『おせん』(おせん)
■著者:邦枝 完二(くにえだ かんじ):1892(明治25)年12月28日~1956(昭和31)年8月2日
■底本:大衆文学代表作全集 19 邦枝完二集:河出書房:1955(昭和30)年

があって、おまけに肌理が細こうて、笠森おせんの羽二重肌を、紅で染めたような綺麗な飴じゃ。買って往かんせ、食べなんせ。天竺渡来の人参飴じゃ。何んと皆の衆合点か」  ▽46687.1043 もはや陽が落ちて、空には月さえ懸っていた。その夕月の光の下に、おのが淡い影を踏みながら、言葉のあやも面白おかしく、舞いつ踊りつ来懸ったのは、この春頃から江戸中を、▼隈なく▲歩き廻っている飴売土平。まだ三十にはならないであろう。おどけてはいるが、どこか犯し難いところのある顔かたちは、敵持つ武家が、世を忍んでの飴売だとさえ噂されて、いやが上にも人気が高く、役者ならば菊之丞、茶屋女なら笠森おせん、飴屋は土平、絵師は春信と、当時切っての評判者だった。  ▽46687.1044 「わッ、土平だ土平だ」  ▽46687.1045   「隈なく」#93 46687.1043

「隈なく」#94 42199.31

■『おとずれ』(おとずれ)
■著者:国木田 独歩(くにきだ どっぽ):1871(明治4)年8月30日~1908(明治41)年6月23日
■初出:「国民之友」1897(明治30)年11月
■親本:武蔵野:民友社:1901(明治34)年
■底本:武蔵野:岩波文庫、岩波書店:1939(昭和14)年

事といたしぬ。無益とは知りつつも、車を駆りて品川にゆき二郎が船をもとめたれど見当たらぬも理なり、問屋の者に聞けば第二号南洋丸は今朝四時に出帆せりとの事なれば。  ▽42199.30 ああ哀れなる二郎、われらまたいつ再びあうべきぞ。貴嬢はわれもはやこの一通にて厭き足りぬと思いたもうや。あらず、あらず、時は必ず来たるべし――  ▽42199.31 大空▼隈なく▲晴れ都の空は煤煙たなびき、沖には真帆片帆白く、房総の陸地鮮やかに見ゆ、射す日影、そよぐ潮風、げに春ゆきて夏来たりぬ、楽しかるべき夏来たりぬ、ただわれらの春の永久に逝きしをいかにせん――  ▽42199.32 下  ▽42199.33 時は果たして来たりぬ、ただ貴嬢もわれも二郎もかかる時かかるところにて三人相あうべしとは想いもよらず。  ▽42199.   「隈なく」#94 42199.31

「隈なく」#95 4514.33

■『富岡先生』(とみおかせんせい)
■著者:国木田 独歩(くにきだ どっぽ):1871(明治4)年8月30日~1908(明治41)年6月23日
■底本:牛肉と馬鈴薯:新潮文庫、新潮社:1970(昭和45)年

その愈々婚礼の晩という日の午後三時頃でもあろうか。村の小川、海に流れ出る最近の川柳繁れる小陰に釣を垂る二人の人がある。その一人は富岡先生、その一人は村の校長細川繁、これも富岡先生の塾に通うたことのある、二十七歳の成年男子である。  ▽4514.33 二人は間を二三間隔てて糸を垂れている、夏の末、秋の初の西に傾いた鮮やかな日景は遠村近郊小丘樹林を▼隈なく▲照らしている、二人の背はこの夕陽をあびてその傾いた麦藁帽子とその白い湯衣地とを真ともに照りつけられている。  ▽4514.34 二人とも余り多く話さないで何となく物思に沈んでいたようであったが、突然校長の細川は富岡老人の方を振向いて  ▽4514.35 「先生は今夜大津の婚礼に招かれましたか」  ▽4514.36 「ウン招ばれたが乃公は行かん!」と例   「隈なく」#95 4514.33

「隈なく」#96 2945.4

■『二少女』(にしょうじょ)
■著者:国木田 独歩(くにきだ どっぽ):1871(明治4)年8月30日~1908(明治41)年6月23日
■底本:日本プロレタリア文学大系 序:三一書房:1955(昭和30)年

幅二間ばかりの寂しい町で、(産婆)と書いた軒燈が二階造の家の前に点ている計りで、暗夜なら真闇黒な筋である。それも月の十日と二十日は琴平の縁日で、中門を出入する人の多少は通るが、実、平常、此町に用事のある者でなければ余り人の往来しない所である。

2945.4 少女はぬけろじを出るや、そっと左右を見た。月は中天に懸ていて、南から北へと通った此町を▼隈なく▲照らして、森としている。人の住んで居ない町かと思われる程で、少女が(産婆)の軒燈の前まで来た時、其二階で赤児の泣声が微かにした。少女は頭を上げてちょっと見上げたが、其儘すぐ一軒置た隣家の二階に目を注いだ。

2945.5 隣家の二階というのは、見た処、極く軒の低い家で、下の屋根と上の屋根との間に、一間の中窓が窮屈そうに挾まっている、其窓先に軒が   「隈なく」#96 2945.4

「隈なく」#97 329.11

■『武蔵野』(むさしの)
■著者:国木田 独歩(くにきだ どっぽ):1871(明治4)年8月30日~1908(明治41)年6月23日
■親本:国木田独歩全集:学習研究社:
■底本:日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集:集英社:1967(昭和42)年

もなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた、照ると曇るとで雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変わッた、あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、▼隈なく▲あかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた、細かな落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、頭をかきむしッたような『パアポロトニク』(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれからみつして目前に透かして見られた。

329.12   「隈なく」#97 329.11

「隈なく」#98 329.22

■『武蔵野』(むさしの)
■著者:国木田 独歩(くにきだ どっぽ):1871(明治4)年8月30日~1908(明治41)年6月23日
■親本:国木田独歩全集:学習研究社:
■底本:日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集:集英社:1967(昭和42)年

座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここには書くべきでない。その次は黄葉の季節である。なかば黄いろくなかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさいいつくされず。日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原の林が▼隈なく▲染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができがたいにせよ、平原の景の単調なるだけに、人をしてその一部を見て全部の広い、ほとんど限りない光景を想像さするものである。その想像に動かされつつ夕照に向かって黄葉の中を歩けるだけ歩くこ   「隈なく」#98 329.22

「隈なく」#99 55044.345

■『春泥』(しゅんでい)
■著者:久保田 万太郎(くぼた まんたろう):1889(明治22)年11月7日~1963(昭和38)年5月6日
■初出:「大阪朝日新聞」1928(昭和3)年1月5日~4月4日
■親本:久保田万太郎全集 第二巻:中央公論社:1968(昭和43)年
■底本:春泥・三の酉:講談社文芸文庫、講談社:2002(平成14)年

は残された。――残念ながら、かれの名声は、とめどなく伸びて行く由良の、由良一座のそれに決して伴って行かなかった。

55044.345 ……とめどなく伸びたといって、また、由良の、由良一座のその名声は、その二十年の間に、到頭また「中洲」から東京の真ん中にその一座を乗出させ、歌舞伎座だの新富座だの、そのころあった東京座だの、そうした大きなところを▼隈なく▲打たせ、それこそ満都の人気を一身にあつめさせた。――日露戦争のあとで、世間の景気もいわれなく上ずッていたが、一つには倭が、その興行師としての手腕をあまりにふるいすぎたあげく失脚したのと、一つには、団十郎菊五郎死後の、無残に中心をうしなった歌舞伎の世界のいたずらに混沌をきわめていたのとが由良にとってもっけの幸いになったには違いないものゝ、なおそこ   「隈なく」#99 55044.345

「隈なく」#100 49443.206

■『青春の息の痕』(せいしゅんのいきのあと)
■著者:倉田 百三(くらた ひゃくぞう):1891(明治24)年2月23日~1943(昭和18)年2月12日
■親本:青春の息の痕:大東出版社:1938(昭和13)年
■底本:青春の息の痕:角川文庫、角川書店:1951(昭和26)年

動かす力なき愛です。親鸞の「心のままに助け取ることありがたき」聖道の愛にすぎません。私は浄土の愛がほしいです。私はコンセントレーションをせねばなりません。「愛と認識との出発」以来、私はあまり私の熱注的な性格を制して、多くの方向に心を向け過ぎました。かくして得られたる「静けさ」のなかには、怠慢と姑息とが芽を出しかけました。私は多くの data を▼隈なく▲ならべて、それを統一することは単純化の道ではないと思い出しました。単純化は一つのエッセンス、精、法則の柱を握って、他のものをそれに依属せしむることだと思います。根本の深いものを一つつかまえねばなりません。そして私はそれを愛と運命との問題だと思います。私は文化の吸収に費やす力を少し惜しみましょう。生の歓楽を捨てて忍耐しましょう。(たとえば女の肉、   「隈なく」#100 49443.206

「隈なく」#101 1416.30

■『血の文字』(ちのもじ)
■著者:黒岩 涙香(くろいわ るいこう):1862年11月20日~1920(大正9)年10月6日
■初出:「綾にしき」1892(明治25)年8月
■底本:日本探偵小説全集1 黒岩涙香 小酒井不木 甲賀三郎集:創元推理文庫、創元社:1984(昭和59)年

から、何でも私に目認められまいと思う様に本統に憎いじゃ有ませんか廊下の燈明が充分で無いのを幸いちょい/\と早足に通過ました」余は此一節を聞きて思わず椅子より飛離れたり、是れ実に軽々しく聞過し難き所ならん、余は殆ど堪え兼て傍より問を発し「若し夫だけの事ならばお前が確に藻西太郎と認めたとは云われぬじゃ無いか」老女は最怪げに余を頭の頂辺より足の先まで▼隈なく▲見終り「なに貴方、仮令当人の顔は見ずとも連て居る犬を確に見ましたもの、犬は藻西に連られて来る度に私しが可愛がッて遣りますから昨夜も私しの室へ来たのです、だから私しが余物を遣うとして居ると丁度其時藻西が階段の所から口笛で呼ましたから犬は泡食て三階へ馳上ッて仕舞ました」此返事を目科は何と聞きたるにや余は彼れの顔色を読まんとするに、彼れ例の空箱にて之   「隈なく」#101 1416.30

「隈なく」#102 943.135

■『幽霊塔』(ゆうれいとう)
■著者:黒岩 涙香(くろいわ るいこう):1862年11月20日~1920(大正9)年10月6日
■親本:「幽霊塔」前編、後編、続編:扶桑堂:1901(明治34)年
■底本:別冊・幻影城 黒岩涙香 幽霊塔・無惨・紳士のゆくえ:幻影城 :1977(昭和52)年

943.134 第二十二回 盆栽の蔭

943.135 盆栽室は中に様々の仕切などが有って、密話密談には極々都合の好い所だ、舞踏室で舞踏が進む丈益々此の室へ休息に来る人が多くなる、中には茲で縁談の緒口を開く紳士も有ろう、情人と細語する婦人もないとは限らぬ、併し余が秀子を尋ねて此の室へ入った頃は猶だ舞踏が始まったばかりの所ゆえ誰も来て居ぬ、▼隈なく▲尋ねて見たけれど、確かに茲へ来た様に思われる秀子さえも来ては居ぬ、扨は猶だ舞踏室にマゴマゴして居て若しやお浦に捕まったのでは有るまいかと、更に舞踏室へ引き返して見たが、茲にも確か秀子は居ないで、只お浦が余の叔父に向って彼の高輪田を紹介して頻りと何事をか語って居る、多分は叔父に秀子の居所を聞き、連れて行って逢わせて呉れと迫って居るので有ろう。兎も   「隈なく」#102 943.135

「隈なく」#103 943.163

■『幽霊塔』(ゆうれいとう)
■著者:黒岩 涙香(くろいわ るいこう):1862年11月20日~1920(大正9)年10月6日
■親本:「幽霊塔」前編、後編、続編:扶桑堂:1901(明治34)年
■底本:別冊・幻影城 黒岩涙香 幽霊塔・無惨・紳士のゆくえ:幻影城 :1977(昭和52)年

い蝋燭へ点火したが、此の時更に聞こえた、イヤ聞こえる様な気のしたのは人の溜息とも云う可き、厭あな声である、実に厭だ、溜息と来ては此の様な場合に泣き声よりも気味悪く聞こえる、或いはお紺婆が化けて出て、自分の室を占領されたのを嘆息して居るので有ろうか、真逆。

943.163 余は蝋燭を手に持ち、寝台、読書室、談話室と三つに仕切ってある其の三つとも▼隈なく▲廻ったが、室の中には異状はない、壁の画板をも叩いて見たが、古びては居れど之にも異状はない、シテ見れば室の外だ、廊下の中は何処で有ろう、室の外なら故々検めるには及ばぬと、其のまま再び寝床の許へ帰り、寝直そうと手燭を枕頭の台の上へ置いたが、流石の余もゾッとする事がある、余の新しい白い枕の上へ、二三点血が落ちて居る、此の血は余が起きてから今まで僅か五   「隈なく」#103 943.163

「隈なく」#104 2612.134

■『大師の入唐』(だいしのにっとう)
■著者:桑原 隲蔵(くわばら じつぞう):1871(明治4)年1月27日~1931(昭和6)年5月24日
■初出:弘法大師降誕記念會講演、1921(大正10)年6月15日
■親本:東洋史説苑::1927(昭和2)年
■底本:桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑:岩波書店:1968(昭和43)年

ようし、また解決せなければならぬ問題で、さほど懸念するに足らぬ。懸念すべきはむしろ日本僧侶の決心いかんに在る。日本の僧侶に、三億の支那國民を感化するだけの、勇氣と眞心とをもつて居るや否やが、第一の懸念であらねばならぬ。明治九年に小栗栖香頂師が、上海に布教に出掛けた時、當時の東本願寺の巖如上人は、

2612.134 日の本の光と共に我が法の教へ▼隈なく▲かがやかせかし。

2612.135 といふ歌一首を詠まれたといふが、その後五十年になんなんとする今日の現状は如何であるか。日本の佛教徒は、支那に對して何等いふに足る程の事をして居らぬではないか。私はこの點に於て我が佛教界の奮起一番を切望せなければならぬ。若し我が僧侶の努力により、衰へ切つた支那佛教界に、新しい生命を與へ、佛日再び中華の空に光り   「隈なく」#104 2612.134

「隈なく」#105 50909.7968

■『ファウスト』(ファウスト)
■著者:ゲーテ ヨハン・ヴォルフガング・フォン:1749年8月28日~1832年3月22日
■翻訳:森 鴎外(もり おうがい):1862年2月17日~1922(大正11)年7月9日
■底本:ファウスト 森鴎外全集11:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

群  ▽50909.7961 巨人達のこの山を  ▽50909.7962 押し上げしごと、  ▽50909.7963 足まめやかなる友等、  ▽50909.7964 いざ疾く升れ。疾く出入せよ。7590  ▽50909.7965 この隙間なるは  ▽50909.7966 粒ごとに皆  ▽50909.7967 蔵め置く甲斐あり。  ▽50909.7968 到らぬ▼隈なく▲、塵ばかりなるをも、7595  ▽50909.7969 いちはやく  ▽50909.7970 見出せ。  ▽50909.7971 蠢く群よ。  ▽50909.7972 皆いそしめ。たゞ黄金を取り入れよ。7600  ▽50909.7973 山はさてあらせよ。  ▽50909.7974 グリップス  ▽50909.7975 持って来い。持って来い。金を積み上げい   「隈なく」#105 50909.7968

「隈なく」#106 47126.31

■『ディカーニカ近郷夜話 前篇』(ディカーニカきんごうやわ ぜんぺん)
■著者:ゴーゴリ ニコライ:1809年3月12日~1852年2月21日
■翻訳:平井 肇(ひらい はじめ):1896(明治29)年5月17日~1946(昭和21)年7月7日
■底本:ディカーニカ近郷夜話 前篇:岩波文庫、岩波書店:1937(昭和12)年

ないよ。」  ▽47126.29 さう言ふと彼は、娘をしかと抱きしめて、接吻をしておいて立ち去つた。  ▽47126.30 「さやうなら、レヴコー!」ハンナは、もの思はしげに暗い森の方を見つめながら言つた。  ▽47126.31 大きい、火のやうな月が、この時、おごそかに地平線のうしろから顔をのぞけた。まだ、した半分は地平にかくれてゐるが、もう下界は▼隈なく▲、一種荘厳な光輝に満たされた。池の水の面はキラキラと揺めいた。木立の影が小暗い青草のうへにくつきりと描きだされた。  ▽47126.32 「おやすみ、ハンナ!」さういふ声がうしろで聞えると同時に、彼女は接吻されてゐた。  ▽47126.33 「あら、また戻つていらして?」さう言つて彼女は振りかへつたが、見も知らぬ若者を眼の前に見ると、咄嗟に脇へ身を   「隈なく」#106 47126.31

「隈なく」#107 47126.42

■『ディカーニカ近郷夜話 前篇』(ディカーニカきんごうやわ ぜんぺん)
■著者:ゴーゴリ ニコライ:1809年3月12日~1852年2月21日
■翻訳:平井 肇(ひらい はじめ):1896(明治29)年5月17日~1946(昭和21)年7月7日
■底本:ディカーニカ近郷夜話 前篇:岩波文庫、岩波書店:1937(昭和12)年

扉はぴつたり閉され、ギーつといふ音がして、鉄の閂が挿されたらしかつた。

47126.41 二 村長

47126.42 諸君は、ウクライナの夜を知つておいでだらうか? いやいや、ウクライナの夜は御存じあるまい! まあ、一度は見ておいて頂きたい。日は中天にかかり、宏大無辺の穹窿はいやがうへにも果しなく押しひろがつて、輝やき、息づいてゐる。下界は▼隈なく▲銀の光にあふれ、妙なる空気は爽やかにも息苦しく、甘い気懈さを孕んで、薫香の大海をゆすぶつてゐる。神々しい夜だ! 蠱惑的な夜だ! 闇にとざされた森は霊化したもののやうにさゆらぎもせず、厖大な陰影を投げてゐる。また、かの池や沼はおだやかに鎮まりかへり、その水面の闇と冷気は暗緑の園に邪慳らしく閉ぢこめられてゐる。野桜と桜桃の樹のおぼこらしい叢林は、そ   「隈なく」#107 47126.42

「隈なく」#108 47126.185

■『ディカーニカ近郷夜話 前篇』(ディカーニカきんごうやわ ぜんぺん)
■著者:ゴーゴリ ニコライ:1809年3月12日~1852年2月21日
■翻訳:平井 肇(ひらい はじめ):1896(明治29)年5月17日~1946(昭和21)年7月7日
■底本:ディカーニカ近郷夜話 前篇:岩波文庫、岩波書店:1937(昭和12)年

つてしまひさうだぞ!さう言つて、彼はしやんと立ちあがると、やけに眼をこすつた。彼はあたりを見まはした。夜が彼の眼にひときは荘麗なものに映つた。一種不可思議な、うつとりさせられるやうな輝やきが、月の光りに加はつた。彼はこんな光景をこれまで一度も見たことがなかつた。銀いろの靄があたりにたちこめてゐた。花をつけた林檎の樹や、夜ひらく草花の匂ひが地上に▼隈なく▲充ち溢れてゐた。彼はおどろきの眼を見張つて、動かぬ池の水を眺めた――さかさまに影をうつした古い地主館は、水のなかにくつきりと、ある明快荘重な趣きを現はしてゐた。陰気な鎧扉ではなしに、陽気な硝子窓や戸口が顔を覗けてゐた。清らかな窓硝子ごしにピカピカと金色のいろがきらめいた。と、あたかも窓の一つが開いたやうな気配がした。じつと息を殺して、身動きもせ   「隈なく」#108 47126.185

「隈なく」#109 55991.18

■『秋の鬼怒沼 』(あきのきぬぬま)
■著者:木暮 理太郎(こぐれ りたろう):1873~1944(昭和19)年5月7日
■初出:「山岳」1923(大正12)年5月
■親本:山の憶ひ出 上巻:龍星閣:1941(昭和16)年
■底本:山の憶い出 上:平凡社ライブラリー、平凡社:1999(平成11)年

まう。此処から眺めた奥白根の絶巓は、痛々しく筋骨をむき出してはいるが、山勢頗る峭抜して、坐ろに駒ヶ岳から仰いだ北岳の雄姿を偲ばしめるものがある。

55991.18 湯沢山の右には鹿の子斑に雪の積った会津の駒ヶ岳が広い頂上を展開している。其東に連る会津境の黒岩・孫兵衛・台倉・帝釈・田代の諸山は、一様に黒い針葉樹林に包まれて、秋らしい快い日の光に▼隈なく▲其半面を照されてはいるが、重苦しさに堪えぬが如く押し黙っている気配がある。北東には遠く吾妻山が望まれ、次で那須高原の二山塊、近くは東に日光の諸山が目睫の間に迫っている。然し最も強く私達を惹き付けたものは、此等の山でも又遠い北アルプスの雪でもなかった。それは孫兵衛山から台倉高山に至る間の山稜を超えて、翠紫を畳む幾重の山のあなたに、岸を噛む怒濤の砕   「隈なく」#109 55991.18

「隈なく」#110 55992.3

■『美ヶ原』(うつくしがはら)
■著者:木暮 理太郎(こぐれ りたろう):1873~1944(昭和19)年5月7日
■初出:「山岳」1921(大正10)年12月
■親本:山の憶ひ出 上巻:龍星閣:1941(昭和16)年
■底本:山の憶い出 上:平凡社ライブラリー、平凡社:1999(平成11)年

た。土手から一寸首を出して向うを見ると、西北の冷い風が汗ばんだ顔にひやりと当って、危峭天を刺す槍穂高の連峰が、新雪に輝く白冷の姿を眼の前に屏風だちに立ちはだからせる。其瞬間息がつまるように感じた。こんなに綺麗でそして雄勁な山の膚や輪廓を見た事がない。余り綺麗なので拵えた物ではないかと、不図そんな考が浮んだ程である。然し晴れ渡った日の午下の太陽に▼隈なく▲照り映えて、寒水の如く澄み切った晶冽な大気の中に水が滴るかと思われる位冴えに冴えた藍の肌を眤と見ていると、矢張一の大芸術品というような感じが起る。何となく名刀の焼刃の匂と似通っているような気がした。乗鞍岳にも可なり雪はあったが、御岳は割合に少なかった。笹の中に腰を卸して寒風を防ぎながら用意の昼食を済し、再び防火線について三峰山に向った。千八百米   「隈なく」#110 55992.3

「隈なく」#111 55994.5

■『黒部川奥の山旅』(くろべがわおくのやまたび)
■著者:木暮 理太郎(こぐれ りたろう):1873~1944(昭和19)年5月7日
■初出:片貝谷まで、南又を遡る、釜谷の奥、小黒部谷の入り・上(毛勝山及び猫又山)「山岳」1915(大正4)年12月 ほか
■親本:山の憶ひ出 上巻:龍星閣:1941(昭和16)年
■底本:山の憶い出 上:平凡社ライブラリー、平凡社:1999(平成11)年

日本晴れのした朝の日本海は、山へ急ぐ私達の身にも快よかった。

55994.4 昨夜は汽車の中で、同行の南日君と赤羽から一緒に乗り込んだ越後女の一隊が、終夜声自慢の謡を歌うやら笑うやら巫山戯るやら、一方ならぬ騒々しさで、夜風の涼しいにも拘らず、少しも眠ることが出来なかった。

55994.5 宵に上野を立った時は、十三夜の月が薄靄の罩めた野面を▼隈なく▲照らして、様ざまの声をした虫の音が、明け放した窓からはやてのように耳を掠めて過ぎ去るのを現ともなく聞きながら、ゆったりした気持ちで窓に倚り掛っていたのであるが、高崎あたりまで来ると、いつの間にかすっかり曇って、見覚えのある丘の頂さえ何処と指せぬ程に、低い雲が立ち迷うている。明日の天気がすぐ気に懸るという程でもないが、多少の不安が無いでもない。軽   「隈なく」#111 55994.5

「隈なく」#112 56554.7

■『初旅の大菩薩連嶺』(はつたびのだいぼさつれんれい)
■著者:木暮 理太郎(こぐれ りたろう):1873~1944(昭和19)年5月7日
■初出:「霧の旅」1933(昭和8)年5月
■親本:山の憶ひ出 下巻:龍星閣:1941(昭和16)年
■底本:山の憶い出 下:平凡社ライブラリー、平凡社:1999(平成11)年

武田君の知人である浅井君が同行することになって、三人で東京を出発したのは、雪には少し早く紅葉には既に遅い晩秋の十一月二十一日の夜であった。

56554.6 二

56554.7 二十二日。初狩駅で下車して荷拵が済むと直に歩き出す、浅井君のキャビネ版の写真機が荷物になるので皆で分担することにした。其他は二度分の食糧と少許の防寒具に過ぎない。空は▼隈なく▲晴れて陰暦十月十八日の月が照っている。真木では織物に名を得た郡内の地方だけに、電灯の光と共に梭の音の洩れて来る早起きの家もあった。やがて西奥山に通ずる道と岐れ、桑畑の間を辿って、間もなく小山の突き出している鼻を左に曲って行くと、橋を渡って真木川の右岸に移った。思いの外に岸も高く岩壁なども露出して、滝でもあるらしい水音が聞えた。こういう夜道をする   「隈なく」#112 56554.7

「隈なく」#113 56555.15

■『山と村』(やまとむら)
■著者:木暮 理太郎(こぐれ りたろう):1873~1944(昭和19)年5月7日
■初出:「山」1934(昭和9)年3月
■親本:山の憶ひ出 下巻:龍星閣:1941(昭和16)年
■底本:山の憶い出 下:平凡社ライブラリー、平凡社:1999(平成11)年

げたように黒く縮れ、一週間後でなければ新芽は芽ぶかぬ。憂目を見るのは早く掃き立てられた蚕ばかりではない、止むなく之を河に棄てねばならぬ人に取りてもさぞつらいことであろう。しかし山の展望には見逃せない日である。近い山は緑に遠い山は白く、大海のはてに砕くる蒼波かと怪しむ許りの連山を超えて、潮のようにさしひく風に吹かれながら、皺という皺、襞という襞を▼隈なく▲顕している山肌をみつめていると、いつものことながら、これが一の美術品でなくて何であろうという感じがむらむらと起って来る。いつ迄眺めていても飽くことを知らない。

56555.16 この頃にこのような風が吹くのは、最早冬が僅に残る赤城山頂の雪を殿りとして、生れ故郷の遠い北のはてへ退却するに際し、南方からの敵の追蹤を暫し阻止する為に、大返しに返した   「隈なく」#113 56555.15

「隈なく」#114 221.11

■『梓川の上流』(あずさがわのじょうりゅう)
■著者:小島 烏水(こじま うすい):1873(明治6)年12月29日~1948(昭和23)年12月13日
■親本:「小島烏水全集」全14巻:大修館書店:1979年
■底本:山岳紀行文集 日本アルプス:岩波文庫、岩波書店:1992(平成4)年

山だが、熱帯地方の二倍も高い山より偉大なるは、雪と氷に包まれているためである。穂高といわず、槍ヶ岳といわず、奥常念、大天井に至るまで、万古の雪は蒸発しないで下層から解ける雪だ、死の如く静粛に、珠の如く浄美な雪から解けた水の、純粋性の緑を有することは、言うまでもない。

221.11 神河内に流れ落ちる水の脈が、およそどれほどであろう、自分は隅々▼隈なく▲、跋渉したわけではないが、自分の下りて来た穂高山の前の短沢を始めとして、槍ヶ岳の麓の徳沢、槍沢、横尾谷、それから一ノ俣、二ノ俣、赤岩小舎の傍の赤沢、引きかえして霞沢山から押し出す黒沢というのは、炭質を含んだ粘板岩が、石版を砕いたように粉になっているもの。白沢はこれに反して、白く光る石英粒の砂岩である、その他名のない沢を合せたら幾十筋あるかも知れ   「隈なく」#114 221.11

「隈なく」#115 2426.10

■『霧の不二、月の不二』(きりのふじ、つきのふじ)
■著者:小島 烏水(こじま うすい):1873(明治6)年12月29日~1948(昭和23)年12月13日
■親本:小島烏水全集 第四巻:大修館書店:1980(昭和55)年
■底本:日本の名随筆58 月:作品社:1987(昭和62)年

と化す。雲の峰一道二道と山の腋より立ち昇りて、神女白銀の御衣を曳いて長し、我にいま少し仙骨を有するの自信あらば、駕して天際に達する易行道となしたりしならむ、下は即ち荒として、裾野も、森林も、一面に大瀛の如く、茫焉として始処を知らず、終所を弁ぜず、長流言はずや、不二の根に登りてみれば天地は、未だいくほども別れざりけりと、まことや今日本八十州、残る▼隈なく▲雲の波に浸されて、四面圜海の中、兀立するは我微躯を載せたる方幾十尺の不二頂上の一撮土のみ、このとき白星を啣める波頭に、漂ふ不二は、一片石よりも軽且小なり、仰げば無量無数の惑星恒星、爛として、吁嗟億兆何の悠遠ぞ、月は夜行性の蛾の如く、闌けて愈よ白く、こゝに芙蓉の蜜腺なる雲の糸をたぐりて、天香を吸収す、脚下紋銀白色をなせる雲を透かして、僅に瞰ひ得た   「隈なく」#115 2426.10

「隈なく」#116 5072.50

■『ドナウ源流行』(ドナウげんりゅうこう)
■著者:斎藤 茂吉(さいとう もきち):1882(明治15)年5月14日~1953(昭和28)年2月25日
■親本:齋藤茂吉全集 第五巻:岩波書店:1973(昭和48)年
■底本:日本の名随筆15 旅:作品社:1983(昭和58)年

Brege 川がこれに合する。ドナウはそこから始まるというのであった。早口で云われたのだが、前に地図で調べて置いたので、若者のいうことが略分かった。若者は出口のところまで来て、流の方を指して呉れた。

5072.50 なるほど川は直ぐ近くを流れていた。僕はそこの石橋を渡らずに右手に折れて、川に沿うて行った。明月の光は少し蒼味を帯びて、その辺を▼隈なく▲照らしているが、流は特に一いろに光って見えている。それは瀬の波から反射してくるのでなく、豊富な急流の面からくる反射であった。川沿の道は林の中に入って、川はしばらく寂しいところをながれた。うすら寒いので、僕は外套の襟を立て、両の隠しに堅くにぎった拳を入れて歩いて行った。深い林が迫って来たとおもうと、水禽が二つばかり水面から飛び立った。僕は驚いたが   「隈なく」#116 5072.50

「隈なく」#117 5082.39

■『万葉秀歌』(まんようしゅうか)
■著者:斎藤 茂吉(さいとう もきち):1882(明治15)年5月14日~1953(昭和28)年2月25日
■底本:万葉秀歌 下巻:岩波新書、岩波書店:1938(昭和13)年

鑑賞の上では、皇女の御意云々を否定し得ないのである。此一事軽々に看過してはならない。それから、この歌はどういう形式によって献られたかというに、「皇女のよみ給ひし御歌を老に口誦して父天皇の御前にて歌はしめ給ふ也」(檜嬬手)というのが真に近いであろう。

5082.39 一首は、豊腴にして荘潔、些の渋滞なくその歌調を完うして、日本古語の優秀な特色が▼隈なく▲この一首に出ているとおもわれるほどである。句割れなどいうものは一つもなく、第三句で「て」を置いたかとおもうと、第四句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。作歌当時は言語が極めて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等   「隈なく」#117 5082.39

「隈なく」#118 53058.62

■『撮影所殺人事件』(スタディオ・マーダー・ケース)
■著者:酒井 嘉七(さかい かしち):1903~1946
■初出:「ぷろふいる 三巻十一号」1935(昭和10)年11月号
■底本:酒井嘉七探偵小説選:論創ミステリ叢書、論創社:2008(平成20)年

は、手を差しのべました。  ▽53058.61 「とうとう、彼女を殺して来た。また、亜米利加だ。頼むぜ」  ▽53058.62 こう云うと、船艙の方へ走り去ったのです。しかし、二等運転手の[#「二等運転手の」はママ]職にある私が、どうして密航者を――たとえ、それが、私の無二の親友であるにしても――見逃しましょう[#「見逃しましょう」はママ]。船内を▼隈なく▲捜査しましたが、どうしても発見することができなかったのです。  ▽53058.63 それから二ヶ月目でした。私は彼からの書状を受取りました。消印は聖林になっていました。どうして、あんなに旨く、船中に隠れていたのか。また、亜米利加官憲の、鋭い監視の目を、どう逃れて上陸したのか。――こうしたことは書いていませんでしたが、無事に着いた君に感謝する[#「   「隈なく」#118 53058.62

「隈なく」#119 43672.19

■『婚姻の媒酌』(こんいんのばいしゃく)
■著者:榊 亮三郎(さかき りょうざぶろう):1872(明治5)年4月5日~1946(昭和21)年8月24日
■初出:「光壽 第二號」1921(大正10)年
■親本:「光壽 第二號」: :1921(大正10)年
■底本:榊亮三郎論集:国書刊行会:1980(昭和55)年

のともつかず、さればと云ふて僧團の一正員ともつかず、日本の軍律で云へば重營倉に入れられた軍人のやうで文官懲戒令で云へば待命謹愼中のものであり、一家で云へば、勘當とまでは行かぬが、三杯目には、そつと出す居候格の待遇で居る家族である、僧團の殘りもの、あまりものとしての格で居るから、僧殘と云ふのであると云ふ意味だから、大に明白だ、しかし、これで何事も▼隈なく▲明瞭になつたと思つたら大間違ひである。

43672.20 (七)なるほど梵語の方では僧殘罪のことは僧伽婆尸沙と云ふが、困つたことは梵語と同語系の語であつて南方錫蘭や、緬甸や、暹羅や、柬蒲塞などの佛經經典の語である「パーリ」語では、これに相當する犯罪を普通に Samghdisesa[#mは上ドット付き] と云ふのである、そしてこれを説明する南方   「隈なく」#119 43672.19

「隈なく」#120 42866.35

■『金銭無情』(きんせんむじょう)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:金銭無情「別冊文藝春秋 第三号」文藝春秋新社、1947(昭和22)年6月1日、失恋難「月刊読売 第五巻第八号」1947(昭和22)年8月1日、夜の王様「サロン 第二巻第八号」1947(昭和22)年9月1日、王様失脚「サロン 第二巻第一〇号」1947(昭和22)年11月1日
■親本:金銭無情:文藝春秋新社:1948(昭和23)年
■底本:坂口安吾全集 05:筑摩書房:1998(平成10)年

らゐの名前にわけて宿六の罵倒脅迫暴力を忍んでゐたが、急に借金の客がふへる一方、売上げがぐんぐん減るから、もとより清人は人一倍鋭敏、これは臭い曰くがあると思ひ、自分は知らぬ顔をして、旧友の一人にたのんで、お客に化けて行かせ様子を見て貰ふ、この旧友が然るに意外のその道の達人で、五日通ひ、瀬戸も絹川の顔も見て、なぜ客が減つたか法外な値段の秘密、みんな▼隈なく▲かぎだした。然し胸に一計があるから、すぐさまこれを打ち開けなかつた。

42866.36 富子はもうセッパづまつてゐた。宿六には秘密で誰かに身をまかせてお金をかせいでごまかすか、瀬戸とカケオチするか、瀬戸に心がひかれるけれども、絹川の男つぷりも捨てられないところがある、といふやうな気持もある。

42866.37 瀬戸はいさゝか酒乱で、泥酔する   「隈なく」#120 42866.35

「隈なく」#121 45795.47

■『黒谷村』(くろたにむら)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:「青い馬 第三号」岩波書店、1931(昭和6)年7月3日
■親本:青い馬 第三号:岩波書店:1931(昭和6)年
■底本:坂口安吾全集 01:筑摩書房:1999(平成11)年

速足で下りはぢめたが、自然の加速度で猛烈な速力となり麓までは夢のうちに降りたまま、麓でも止まることが出来ずに次の坂道へ十歩ほど余勢で駈けてほつと止つた。凡太は其処から、何の気もなく今駈け降りた山を振り仰いだが、もはや群衆の喚声もさだかではなかつたし、燈火も無論洩れ落ちては来ない、ただひたひたと流れるやうな哀愁が、深い一種の気分となつて彼の胎内を▼隈なく▲占領してゐた。凡太はそれにぢつと浸りながら、本街道に沿ふて平行に流れてゐる暗い嶮しい間道を伝ひ、ひつそりと音の落ちた山を二つ越えてから本街道へ現れてみると、もう黒谷村の家並を遠く通過して、熊笹ばかり繁茂した黒谷峠のただ中へ、間もなく迷ひ込むばかりの、そんな地点に当つてゐる憂鬱な杜だつた。凡太はいそがわしく廻れ右をして、今度は本街道伝ひに黒谷村へ   「隈なく」#121 45795.47

「隈なく」#122 42827.62

■『ジロリの女』(ジロリのおんな)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:前半「文藝春秋 第二六巻第四号」1948(昭和23)年4月1日、後半「別冊文藝春秋 第六輯」1948(昭和23)年4月1日
■親本:文藝春秋 第二六巻第四号::1948(昭和23)年
■底本:坂口安吾全集 06:筑摩書房:1998(平成10)年

いて、面白くもなさそうに振向いて立去るのだ。

42827.62 私は要領を心得ていた。そういう時には、できるだけバカバカしくふるまって、笑わせるに限る。だから、冷水風呂にはいれ、という。ハイ、かしこまりました、どうせハダカのついでだから、今日は縁の下の大掃除を致しましょうと云って、いきなり、下帯ひとつに箒をかついで縁の下へもぐりこみ、右に左に▼隈なく▲掃き清めてスヽだらけ黒坊主、それより冷水風呂へはいる。重労働の結果はカラダもあたゝまって冷水への抵抗もつくというもので、縁の下の大掃除には、又、それのみにマゴコロこめて虚心の活躍、これが大切なところである。

42827.63 終戦の年の暮であったが、院長が死んだその葬式に、私は喪服の未亡人、衣子を見つめつゝ、神に誓い、又、院長の霊に誓い、必ず   「隈なく」#122 42827.62

「隈なく」#123 45799.408

■『竹藪の家』(たけやぶのいえ)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:一~六「文科 第一~第四輯」春陽堂、1931(昭和6)年10月1日~1932(昭和7)年3月3日、七~九「黒谷村」1935(昭和10)年6月25日
■親本:黒谷村: :1935(昭和10)年
■底本:坂口安吾全集 01:筑摩書房:1999(平成11)年

催しおつたか?――)やがて間もなく馬が動いて、それから車の揺ぎ出す音――軋りつつ、車は牽かれ、車は急ぎ、それも聞えなくなつてしまつた。

45799.407 今日は晴れ。うらうらと晴れたる空を見るであらう。――ふと駄夫は、泌むが如くにその一事のみを心に思ひ、再び睡りに落ちてしまつた。

45799.408 翌れば(果して――)まぶしい朝の蒼空が▼隈なく▲天に耀いてゐた。静かな深い睡眠から駄夫は突然覚醒して、はぢめに運らした一つの思ひが、矢張り天候のことであつた。そつと布団を押し開いて覗くやうに窓を見たら、だしぬけに流れたものは爽やかな朝の光、つぶらな白い耀やきを空一面に張り詰めた噎ぶやうな透明であつた。満ちたる白く耀やくもの、それは、窓一杯の広さをもつて流れ込む遠い深さの波紋に見え、モヤモヤと   「隈なく」#123 45799.408

「隈なく」#124 45807.23

■『小さな部屋』(ちいさなへや)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:「文藝春秋 第一一年二号」1933(昭和8)年2月1日
■親本:文藝春秋 第一一年二号: :1933(昭和8)年
■底本:坂口安吾全集 01:筑摩書房:1999(平成11)年

つたので、故意に全てを漠然の中に据ゑたまま、とにかく小笠原は自分の親愛な同志であるやうに感じた。伊豆は小笠原の暗示したところのものを万事深く呑み込んだといふ形に、ふむふむと大袈裟に頷き、快心の小皺を鼻に刻んで上機嫌に帰宅した。

45807.23 小笠原は其の持ち前の物静かな足取で黄昏に泌り乍ら歩いてゐたが、やがて、伊豆の心に起つた全ての心理を▼隈なく▲想像することができた。彼は自分が殆んど悪魔の底意地の悪るさで痴川伊豆の葛藤を血みどろの終局へ追ひやらうとしてゐる冷酷な潜在意識を読んだ。併し驚きも周章てもしなかつた。永遠に塗りつぶされた唯一色の暗夜を独り行くやうな劇しい屈託を感じたのである。全て波瀾曲折も無限の薄明にとざされて見え、止み難い退屈を驚かす何物も予想することができなかつた。彼は冷静   「隈なく」#124 45807.23

「隈なく」#125 43209.118

■『明治開化 安吾捕物』(めいじかいか あんごとりもの)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:「小説新潮 第五巻第四号」1951(昭和26)年3月1日
■親本:小説新潮 第五巻第四号::1951(昭和26)年
■底本:坂口安吾全集 10:筑摩書房:1998(平成10)年

臓を刺しぬかれたらしい。そのモリは椅子の背にまで刺し込んでいた。そして、金庫が開け放されていた。白黒二ツの大真珠が姿を消していたのである。  ▽43209.117 キンはよく眠った。ふと目をさますと、もう夜が明けているのに良人の戻った形跡がないので、心配して船長室まで来てみると、畑中が殺されているのを発見したのである。  ▽43209.118 船内▼隈なく▲探したが、キンの良人八十吉と二ツの真珠は再び現れてこなかった。  ▽43209.119 ★  ▽43209.120 畑中変死の報に面色を失ったのは大和であった。彼の頭に先ず閃いたことは真珠であった。さっそく彼を先頭に金庫を調べると、白黒二ツの大真珠のほかには小粒一つの異常もない。  ▽43209.121 「フン。たとえ腹の中へ呑みこんで隠しても、日本   「隈なく」#125 43209.118

「隈なく」#126 43209.126

■『明治開化 安吾捕物』(めいじかいか あんごとりもの)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:「小説新潮 第五巻第四号」1951(昭和26)年3月1日
■親本:小説新潮 第五巻第四号::1951(昭和26)年
■底本:坂口安吾全集 10:筑摩書房:1998(平成10)年

ら日本へ帰るまではオレが船長代理だ。不服のある者は言ってみろ」  ▽43209.124 彼はこう云いながら船長室のヒキダシから持ちだしたピストルをガチャつかせた。  ▽43209.125 「異議なしときまれば、これから船内の捜査だ。どこへ隠しても、天眼通大和の眼力、必ず探しだしてみせるからな」  ▽43209.126 今村、清松、八十吉の部屋から順次▼隈なく▲調べた。身体検査もしたが、どこからも現れてこない。ついで船員一人々々について同じように検査をしたが、徒労であった。大和はそれしきのことで落胆しなかった。一同に足止めし、数名の者を率いて船内▼隈なく▲調べたが、出てこない。大和は益々せせら笑い、  ▽43209.127 「ナニ、今日一日で捜査が終るわけじゃアねえや。日本へ戻りつくにはまだ相当の日数がある   「隈なく」#126 43209.126

「隈なく」#127 42986.58

■『老嫗面』(ろううめん)
■著者:坂口 安吾(さかぐち あんご):1906(明治39)年10月20日~1955(昭和30)年2月17日
■初出:「文芸通信 第四巻第一〇号」1936(昭和11)年10月1日
■親本:文芸通信 第四巻第一〇号::1936(昭和11)年
■底本:坂口安吾全集 02:筑摩書房:1999(平成11)年

るにきまつてゐる、今日にも行つてきてくれと、たたみかけて言ふのであつた。さういふ語気の激しさを聞いてみれば、話半分であつたにしても、横浜に伯父のゐることは間違ひがない。来る来ないは別にして、とにかく一応行つてみようと安川は思つた。

42986.58 横浜の言はれたところへやつてきて、ひどく長い踏切を行つたり来たりしたあげく、工場地帯をぐるぐる▼隈なく▲探したが、そんな工場はどこにもなかつた。昔はあつたと言ふ人もなかつた。安川は疲れきつて帰つてきた。帰つてみると、タツノはちやうど活動から戻つたところで、横浜の話なんぞは忘れたやうな顔付だつたが、伯父の工場がなかつたといふ話をきくと、怒りのためにひきつけて、手足をばた/\うちふりながら、ころげまはつて泣き喚いた。泣き声の調子が一段高く変つたと思ふ   「隈なく」#127 42986.58

「隈なく」#128 33206.273

■『宝島』(たからじま)
■著者:スティーブンソン ロバート・ルイス:1850年11月13日~1894(明治27)年12月3日
■翻訳:佐々木 直次郎(ささき なおじろう):1901(明治34)年3月27日~1943(昭和18)年5月24日
■底本:宝島:岩波文庫、岩波書店:1935(昭和10)年

、ほとんど囚人のようにして、屋敷にずっと住んでいた。だが、海の空想や、見知らぬ島々や冒険などの恍惚となるような予想で、頭は一杯だった。私は例の地図のことを幾時間も打続けて考えた。その地図の細かいところまでみんなよく覚えていたのだ。家事管理人の室の炉火のそばに腰掛けながら、私は、空想の中で、あらゆる方向からその島に近づいて行き、その島の表面を残る▼隈なく▲踏査し、遠眼鏡山と言われるあの高い山に千回も攀じ登って、その頂上からいろいろに変化する素晴しい跳望を眺めて楽しんだ。時にはその島は野蛮人で一杯で、それと私たちは闘った。時には危険な獣がたくさんいて、それが私たちを追っかけて来た。しかし、そういうあらゆる空想の中でも、私たちが後に実際の冒険で出合ったような奇妙な傷ましい出来事は一つも思い浮ばなかっ   「隈なく」#128 33206.273

「隈なく」#129 1474.114

■『旗本退屈男』(はたもとたいくつおとこ)
■著者:佐々木 味津三(ささき みつぞう):1896(明治29)年3月18日~1934(昭和9)年2月6日
■底本:旗本退屈男:春陽文庫、春陽堂書店:1982(昭和57)年

鼓、踊り狂ういやちこき善男善女の間を縫いながら、逃げのびた女やいずこぞとしきりに行方を求めました。  ▽1474.114 だが、いないのです。本堂からお祖師堂。お祖師堂から参籠所、参籠所から位牌堂、位牌堂から経堂中堂、つづいて西谷の檀林、そこから北へ芬陀梨峯へ飛んで奥の院、奥の院から御供寮、それから大神宮に東照宮三光堂と、七堂伽藍支院諸堂残らずを▼隈なく▲尋ねたが似通った年頃の詣で女はおびただしくさ迷っていても、さき程のあの怪しき女程のウブ毛も悩ましい逸品は、ひとりもいないのです。  ▽1474.115 ぐるりと廻って、再び本堂前まで帰って来たとき、  ▽1474.116 「とうとう見つかった。こんなところにおいででござんしたか、もしえ殿様!」  ▽1474.117 不意にうしろから呼びかけた声があり   「隈なく」#129 1474.114

「隈なく」#130 4298.1168

■『霧陰伊香保湯煙』(きりがくれいかほのゆけぶり)
■著者:三遊亭 円朝(さんゆうてい えんちょう):1839年5月13日~1900(明治33)年8月11日
■親本:圓朝全集巻の三:春陽堂:1927(昭和2)年
■底本:圓朝全集 巻の三:近代文芸資料複刻叢書、世界文庫:1963(昭和38)年

のおりゅうとお駒と申す少女を辱かしめたる上に斬殺し、死骸は河の中へ投り込んで、舟で逃げたものだろう」  ▽4298.1168 と取調べ、探偵は入替り/\四五名来り、名刺を置いて帰りました。是から先ず其の筋へ訴えなければなりませんから大した騒ぎでございます。斯うなっては幸三郎も母に明さん訳には参りませんから、母にも明し、是から番頭を呼んで来まして、▼隈なく▲取調べた上、訴書を認めさせました。  ▽4298.1169 盗難御届京橋霊岸島川口町四十八番地橋本幸三郎  ▽4298.1170 明治八年九月四日午前一時頃我等別荘浅草区橋場町一丁目十三番地留守居の者共夫々取締致し打伏し居り候処河岸船付桟橋より強盗忍び入り候ものと相見え裏口より雨戸を押開け面体を匿し抜刀を携え二人とも奥の方へ押入り召使りゅう雇女駒と   「隈なく」#130 4298.1168

「隈なく」#131 350.1828

■『真景累ヶ淵』(しんけいかさねがふち)
■著者:三遊亭 円朝(さんゆうてい えんちょう):1839年5月13日~1900(明治33)年8月11日
■校訂者:鈴木 行三(すずき こうぞう):~1962(昭和37)年2月3日
■親本:圓朝全集巻の一:春陽堂:1925(大正15)年
■底本:圓朝全集 巻の一:近代文芸資料複刻叢書、世界文庫:1963(昭和38)年

暗に遣られるといけねえ」  ▽350.1825 甚「じゃア早く」  ▽350.1826 新「鋤か鍬はねえか」  ▽350.1827 甚「丁度鋤が有るから」  ▽350.1828 と有合の鋤を担いで是から二十丁もある根本の聖天山へ上って見ると、四辺は森々と樹木が茂って居り、裏手は絹川の流はどう/\と、此の頃の雨気に水増して急に落す河水の音高く、月は皎々と▼隈なく▲冴えて流へ映る、誠に好い景色だが、高い処は寒うございますので、  ▽350.1829 甚「新吉此処は滅法寒いナア」  ▽350.1830 新「なに穴を堀ると暖かくなって汗が出るよ、穴を堀りねえ」  ▽350.1831 甚「余計な事をいうな」  ▽350.1832 新「此処だ/\」  ▽350.1833 と差図を致しますから、  ▽350.1834 甚「よし   「隈なく」#131 350.1828

「隈なく」#132 2391.75

■『残されたる江戸』(のこされたるえど)
■著者:柴田 流星(しばた りゅうせい):1879(明治12)年2月28日~1913(大正2)年9月27日
■親本:残されたる江戸:洛陽堂:1911(明治44)年
■底本:残されたる江戸:中公文庫、中央公論社:1990(平成2)年

2391.72 先ずざっとこうである。吾儕はかくも趣味ある変化に富んだ実物教育を、祖父母や乳母から口ずからに授けられて、生れて二歳の舌もまだよくはまわらぬ時から、早くもその趣味性を養われてきたのである。  ▽2391.73 [#改ページ]  ▽2391.74 顔役の裔  ▽2391.75 久しい以前のこと、山の手から下町、下町から山の手と、殆んど処▼隈なく▲古ぼけた車に朴の木樫の木撫の木を載せて、いずれの太夫が用いすてたのやら、糸も切れ切れの古鼓を鳴らして、下駄の歯入れをなりわいに呼び歩く四十なにがしという爺さんがあった。この爺身にまとう衣服こそ卑しいが、どこやらに一風変った見どころがあって、その頃はたとえ古鼓にせよ、そうしたものを鳴らして下駄の歯入れに歩くものとては一人もなかった。さるを生業は卑   「隈なく」#132 2391.75

「隈なく」#133 697.158

■『癩』(らい)
■著者:島木 健作(しまき けんさく):1903(明治36)年9月7日~1945(昭和20)年8月17日
■底本:日本の文学 40 林房雄・武田麟太郎・島木健作:中央公論社:

力を入れないで、力を入れないで、といいながら、岡田の手足の急所急所を熱心に揉みはじめた。どうやら身体じゅうの淋巴腺をつかんで見ているものらしい。時々医者が何かいうと、岡田はそのたびに首を軽く縦にふったり、横にふったりする。 

697.158 ――そういうようなことをおよそ半時もつづけ、それから眼を診たり、口を開けさせてみたり、――身体じゅうを▼隈なく▲調べた上で三人の医者は帰って行った。

697.159 その後よほど経ってのち、同じように窓の上と下で最後に岡田と逢った時、太田はこの時の診察について彼に訊いてみた。「今ごろどうしたんです? 今まで誤診でもしていたんで診なおしに来たんじゃないのですか」事実太田はそう思っていた。そう思うことが、空頼みにすぎないような気もするにはしたが。しかし岡田   「隈なく」#133 697.158

「隈なく」#134 47383.156

■『癩』(らい)
■著者:島木 健作(しまき けんさく):1903(明治36)年9月7日~1945(昭和20)年8月17日
■底本:島木健作作品集 第四卷:創元社:1953(昭和28)年

それから、力を入れないで、力を入れないで、といひながら、岡田の手足の急所々々を熱心に揉みはじめた。どうやら身體ぢうの淋巴腺をつかんで見てゐるものらしい。時々醫者が何かいふと、岡田はその度に首を輕く縱にふつたり横にふつたりする。

47383.156 ――さういふやうな事を凡そ半時もつゞけ、それから眼を診たり、口を開けさせてみたり、――身體ぢうを▼隈なく▲調べた上で三人の醫者は歸つて行つた。

47383.157 その後餘ほど經つてのち、同じやうに窓の上と下で最後に岡田と逢つた時、太田はこの時の診察について彼に訊いて見た。「今頃どうしたんです? 今まで誤診でもしてゐたんで診なほしに來たんぢやないのですか。」事實太田はさう思つてゐた。さう思ふことが、空頼みにすぎないやうな氣もするにはしたが。しかし   「隈なく」#134 47383.156

「隈なく」#135 46985.39

■『鬼退治』(おにたいじ)
■著者:下村 千秋(しもむら ちあき):1893(明治26)年9月4日~1955(昭和30)年1月31日
■初出:「赤い鳥」赤い鳥社、1925(大正14)年7月
■底本:あたまでっかち――下村千秋童話選集――:茨城県稲敷郡阿見町教育委員会:1997(平成9)年

の梢からは雨も降っていないのに滴がぽたりぽたりと垂れ、風もないのに梢の上の方にはコーッという森の音がこもっていた。

46985.39 やがて寺の本堂へついた。大きな屋根は朽ち、広い回廊は傾きかけ、太い柱は歪み、見るから怪物の住みそうなありさまに、勘太郎も始めはうす気味悪くなった。しかしぐっと胆力をすえて、本堂の中へ入ってみた。そして中の様子を▼隈なく▲調べた。それから廊下つづきの庫裡の方へ入って行った。そこも雨は漏り、畳は腐り、天井には穴があき、そこら中がかびくさかった。勘太郎は土間の上がり框のところにある囲炉裏の所へ行ってみた。と、自在鉤の掛かっている下には、つい昨夜焚火をしたばかりのように新しい灰が積もり、木の枝の燃えさしが散らばっていた。さらによく見るとその炉端には、鳥の羽根や、獣の毛   「隈なく」#135 46985.39

「隈なく」#136 2.36

■『三十三の死』(さんじゅうさんのし)
■著者:素木 しづ(しらき しづ):1895(明治28)年3月26日~1918(大正7)年1月29日
■底本:現代日本文學全集 85 大正小説集:筑摩書房:1957(昭和32)年

その時初めて心のなかにうつした男の戀しさを考へたのである。白梅の散るころ、明るく輝き出した目のなかに、お葉はその青年の姿を見たのだつた。  ▽2.35 青年は折々彼女の家に遊びに來た。  ▽2.36 暗い階子を登つて灯のついてない二階に登つて來た時、マッチをすつて瓦斯をつけて呉れた。夕闇のなかに俯向いて坐つてたお葉が夢から覺めたやうに首を上げた時、▼隈なく▲明るくなつた部屋のなかに、美しい青年の瞳が輝いてゐたのである。お葉はその青年が堪へられなく戀しい時があつた。青年はお葉を愛してゐた。  ▽2.37 彼女はいま夢のやうな心のうちに、物悲しい氣分が彼女の心をつつんで行くのを覺えた。今自分は愛されるといふ幸福の爲めに、死を忘れてしまふんぢやないかと思つたのである。そして戀しいと思ふ心の惰性に引ずられて   「隈なく」#136 2.36

「隈なく」#137 50191.3

■『「はつ恋」解説』(「はつこい」かいせつ)
■著者:神西 清(じんざい きよし):1903(明治36)年11月15日~1957(昭和32)年3月11日
■底本:はつ恋:新潮文庫、新潮社:1952(昭和27)年

の第一根拠が見いだせるように私は思うのですが、ツルゲーネフの場合はどうでしょう。彼はもちろん医者でもなく、自然科学者でもなかったが、その思想的な立場から言えば、青年時代から晩年に至るまで、終始かわらぬ西ヨーロッパ的知性の確固たる信奉者――いわゆる西欧派であったのです。彼はこの西欧派的な開かれた眼をもって、ロシアの現実の蒙昧と暗愚と暴圧とを、残る▼隈なく▲見きわめ見通し、そこに絶望と期待とが微妙に混り合った彼独特の詩的リアリズムの世界が展開されたのでした。

50191.4 こういうふうに眺めてくると、ツルゲーネフの憂愁なるものの性質も、またその憂愁にもかかわらず彼が終生変らぬ毅然たる進歩的信念の持主であった所以も、ほぼうなずかれるはずですが、なおその上にもう一つ、彼の詩的人生観に一層の深まりや   「隈なく」#137 50191.3

「隈なく」#138 1532.279

■『千鳥』(ちどり)
■著者:鈴木 三重吉(すずき みえきち):1882(明治15)年9月29日~1936(昭和11)年6月27日
■底本:日本文学全集18 鈴木三重吉 森田草平集:集英社:1969(昭和44)年

へ帰る船ではなかったろうか。今の藤さんの船は、靄の中のがこちらへ出てきたのではあるまいか。自分はわが説が嘲りの中に退けられたように不快を感ずる。もしかなたの帆も同じくこちらへ帰るのだとすると、実際の藤さんの船はどれであろう。あちらへ出るのには今の場合は帆が利かぬわけである。けれども帆のない船であちらへ行くのは一つもない。右から左へ、左から右へと▼隈なく▲探しても一つもない。自分は気がいらだってくる。それでは先に靄の中へ隠れたのが藤さんのだ。そしてもう山を曲って、今は地方の岬を望んで走っているのである。それに極めねば収まりがつかない。むりでもそれに違いない、と権柄ずくで自説を貫いて、こそこそと山を下りはじめる。

1532.280 下りる途中に、先に投げた貝殻が道へぽつぽつ落ちている。綺麗な貝殻   「隈なく」#138 1532.279

「隈なく」#139 43527.538

■『私の小売商道』(わたしのこうりしょうどう)
■著者:相馬 愛蔵(そうま あいぞう):1870(明治3)年11月8日~1954(昭和29)年2月14日
■親本:私の小賣商道 :高風館:1952(昭和27)年
■底本:相馬愛蔵・黒光著作集4:郷土出版社:1981(昭和56)年

、非常に行儀がよかったと褒められ嬉しく思った。店員は一人二人、特に抜擢はせぬ方針である。これは入店の際に厳選が利いているから、その必要を認めないばかりでなく、家族的の朗さのためでもある。  ▽43527.537 典型的な人  ▽43527.538 スタンレー・オホッキーは、ロシヤの製菓技師である。菓子製造に従事することすでに三十余年、ほとんど世界を▼隈なく▲渡り歩いて技術を研究して来た男であった。技術の優秀なる点では、残念ながら日本人でならぶものがなかった。  ▽43527.539 私の店では、以前、ロシヤ菓子は直接ハルピンから輸入して販売していた。それでは新しい品物を得ることが出来ない。いつも技師を雇ってこちらで造ったらと考えて居るところへ、その頃偶然にもモスコウから来たのが、我がスタンレー・オホ   「隈なく」#139 43527.538

「隈なく」#140 238.6

■『老ハイデルベルヒ』(アルトハイデルベルヒ)
■著者:太宰 治(だざい おさむ):1909(明治42)年6月19日~1948(昭和23)年6月13日
■初出:「婦人画報」1940(昭和15)年3月
■親本:筑摩全集類聚版太宰治全集:筑摩書房:1975(昭和50)年
■底本:太宰治全集3:ちくま文庫、筑摩書房:1988(昭和63)年

も残りませんでした。

238.5 「佐吉さん。僕、貧乏になってしまったよ。君の三島の家には僕の寝る部屋があるかい。」

238.6 佐吉さんは何も言わず、私の背中をどんと叩きました。そのまま一夏を、私は三島の佐吉さんの家で暮しました。三島は取残された、美しい町であります。町中を水量たっぷりの澄んだ小川が、それこそ蜘蛛の巣のように縦横無尽に残る▼隈なく▲駈けめぐり、清冽の流れの底には水藻が青々と生えて居て、家々の庭先を流れ、縁の下をくぐり、台所の岸をちゃぷちゃぷ洗い流れて、三島の人は台所に座ったままで清潔なお洗濯が出来るのでした。昔は東海道でも有名な宿場であったようですが、だんだん寂れて、町の古い住民だけが依怙地に伝統を誇り、寂れても派手な風習を失わず、謂わば、滅亡の民の、名誉ある懶惰に耽って   「隈なく」#140 238.6

「隈なく」#141 52375.2

■『諸君の位置』(しょくんのいち)
■著者:太宰 治(だざい おさむ):1909(明治42)年6月19日~1948(昭和23)年6月13日
■初出:「月刊文化學院 第二巻第二号」1940(昭和15)年3月30日
■底本:太宰治全集11:筑摩書房:1999(平成11)年

。お前たちにおれは之を遺産とし、永遠の領地として贈つてやる。さあ、仲好く分け合ふのだ。」忽ち先を爭つて、手のある限りの者は四方八方から走り集つた。農民は、原野に繩を張りらし、貴公子は、狩獵のための森林を占領し、商人は物貨を集めて倉庫に滿し、長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、市長は市街に城壁をらし、王者は山上に大國旗を打ち樹てた。それぞれ分割が、殘る▼隈なく▲すんだあとで、詩人がのつそりやつて來た。彼は、遙か遠方からやつて來た。ああ、その時は、地球の表面に存在するもの悉くに、其の持主の名札が貼られ、一坪の青草原さへ殘つてなかつた。「ええ情ない! なんで私一人だけがみんなから、かまつて貰へないのだ。この私が、あなたの一番忠實な息子が?」と大聲に苦情を叫びながら、彼はゼウスの玉座の前に身を投げた。「勝手   「隈なく」#141 52375.2

「隈なく」#142 52677.15

■『支那を識るの途』(しなをしるのみち)
■著者:橘 樸(たちばな しらき):1881(明治14)年10月14日~1945(昭和20)年10月25日
■初出:「月刊支那研究 第一巻第一號」1924(大正13)年12月1日
■底本:月刊支那研究復刻版全四冊 第一冊:龍渓書舎:1979(昭和54)年

して居ると信じたがるのであらう。併ながら事實は全く之と正反對に、生命ある儒教は其宗教性と共に早やく二千年前に滅亡し、爾來朝廷の政治的威力と支配階級の社會的勢力とに依り、只其形骸のみが辛うじて今日まで維持されて居るに過ぎぬのである。之に反して原始民族教の嫡統と見なすべき道教は徹底的に、即ち支配階級たると被支配階級たるとを問はず、支那社會の隅々に迄▼隈なく▲行き渡り今も尚力強く彼等の私生活を左右して居るのである。從つて私は若し強ひて「日支親善」を希望するならばポケツト論語をストーブにくべて、それの代りにポケツト老子を印刷し之を支那に擔ぎ込むだ方が寧ろ適當だらうと言ふのである。有名な支那學者プロフエツサー、レツグはその支那宗教論の中に「老子は相當に價値ある書物だが今日の道教を調べて見ても兩者の間に何   「隈なく」#142 52677.15

「隈なく」#143 4481.75

■『立山の亡者宿』(たてやまのもうじゃやど)
■著者:田中 貢太郎(たなか こうたろう):1880(明治13)年3月2日~1941(昭和16)年2月1日
■親本:日本怪談全集:桃源社:1970(昭和45)年
■底本:日本の怪談(二):河出文庫、河出書房新社:1986(昭和61)年

考えていた。  ▽4481.73 「案内人が迎えに来ないうちに、逃げようじゃないか」と小八は女の手をぐっと握った。  ▽4481.74 三  ▽4481.75 亡者宿の案内者は、日の出になったので客を迎いに往ったが、どうしたことか客の姿は見えなかった。不審に思って帰って来て主翁に話をすると、主翁はまた山に精しい者を二人ばかりやって、地獄池のある谷間を▼隈なく▲探さしたが、二人の者も見当らないと云って帰って来た。それでは何かまちがいがあったかも知れないと云って、亡者になる人達を置いてある家へ人をやって、亡者になった女を呼ばしたが、その女も家を出たきりで帰らないと云った。いよいよまちがいが出来たに相違ないので、今度は主翁も出て六七人で手を分って谷から谷にかけて探した。  ▽4481.76 夕方になってその   「隈なく」#143 4481.75

「隈なく」#144 4365.152

■『踊る地平線』(おどるちへいせん)
■著者:谷 譲次(たに じょうじ):1900(明治33)年1月17日~1935(昭和10)年6月29日
■親本:一人三人全集 第十五巻:新潮社:1934(昭和9)年
■底本:踊る地平線(上):岩波文庫、岩波書店:1999(平成11)年

じしんも知らない――を待ち望んでいる都会だから。  ▽4365.151 泣き顔に塗った白粉。死んだ伯父が愛用した古いふるい動かない銀時計。そんな言葉がよく当てはまるほど、私はハルビンを地球上にユニイクな市街だと思う。その光りと影、その廃頽と暗示、私は哈爾賓の持つ蕪雑な詩趣を愛する。  ▽4365.152 そこでは、この夜更けにも夕ぐれの色とにおいが▼隈なく▲往きわたって、いまこうしてキタイスカヤ街をまがろうとしている私と彼女に、眼のまえの「飯店」の裏口に貼った紙がはっきりと読めるのだ。  ▽4365.153 閑人免進悪狗咬人  ▽4365.154 君子自重面欄莫怪  ▽4365.155 はじめの一行は「無用の者入るべからず」。  ▽4365.156 あとの君子自重は、其角の「このところ小便無用花の山」に似   「隈なく」#144 4365.152

「隈なく」#145 4366.8

■『踊る地平線』(おどるちへいせん)
■著者:谷 譲次(たに じょうじ):1900(明治33)年1月17日~1935(昭和10)年6月29日
■親本:一人三人全集 第十五巻:新潮社:1934(昭和9)年
■底本:踊る地平線(上):岩波文庫、岩波書店:1999(平成11)年

子供を引いて去った。光る雨ならまだしも五月のにおいを運んで、そこに植物の歓声も沸けば、しずかな詩のこころも見出されようというものだが、これは夜もひるもない暗い騒がしい雨なのだ。朝となく夕方となくろんどんを包む湿気の連続なのだ。よし一しきり雨がやんで、白い日光がぼんやりと落ちてくることがあっても、それはまた直ぐ水の線に変って、太陽よりもっと平均に▼隈なく▲そそぐであろう。傘とレイン・コウトの倫敦に名物の薄明が覆いかぶさる。夜に入って一そうの雨だ。

4366.9 すると、ちょうど前の往来に立っている古風な街灯のひかりが流れこんで、雨の真夜中でも新聞の見出しが読めるほど部屋はあかるかった。私たちの間借りしているパアム街一〇九番の三階建の家は、完全におなじ建築と外観の住宅が何哩も何哩も、ほとんど地球   「隈なく」#145 4366.8

「隈なく」#146 43496.44

■『金の十字架の呪い』(きんのじゅうじかののろい)
■著者:チェスタートン ギルバート・キース:1874(明治7)年5月29日~1936(昭和11)年6月14日
■翻訳:直木 三十五(なおき さんじゅうご):1891(明治24)年2月12日~1934(昭和9)年2月24日
■底本:世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚:平凡社:1930(昭和5)年

いた。柊から一歩か二歩の所で、青白い海に向って真黒く、動かない人間が立っていた。しかしそれの暗い灰色の着物から考えて「あの男は、わたりがらすか鳥のように見えますね」と彼等が墓地の方へ向って行った時に、スメールが言った。「悪い前兆の鳥について人々は何んと言いますかね?」

43496.44 彼等はそろそろと墓地に這入った。アメリカの古物好きの眼は▼隈なく▲照っている日の光をさえぎって夜のように見える水松の樹の大きな、そして底知れない暗い繁茂や屋根附墓地の荒れた屋根の上にためらっていた。その通路は芝生の盛りあがった中にはい上っていた。それはある塚の記念碑の像であるかもしれなかった。しかし師父ブラウンは直ちに肩の上品な猫背と重々しく上の方へつき出た短い髯に何事かをみとめた。

43496.45 「や   「隈なく」#146 43496.44

「隈なく」#147 4662.32

■『箱根の山々』(はこねのやまやま)
■著者:近松 秋江(ちかまつ しゅうこう):1876(明治9)年5月4日~1944(昭和19)年4月23日
■底本:現代日本紀行文学全集 東日本編:ほるぷ出版:1976(昭和51)年

青な白茅に蔽はれた駒ヶ岳の背を九十九折りの山徑を傳うて登つてゆく人の姿が數へられる。私はどんなに其等の人の健康を羨んで見てゐたか知れなかつた。私も早く初秋の風が山の背を渡る頃を待つて身内に元氣が囘復して來たならば、少女でさへあゝして登つてゐる駒ヶ岳の頂を一度は是非とも踏んで見たいものである。蘆の湯五十日の逗留の間そこらの山道といふ山道は殆ど殘る▼隈なく▲歩いてみた。たゞ一つ殘るは駒ヶ岳である。

4662.33 その日は朝の内は少しく二百二十日前の風が荒れてゐた。けれども清い秋の日は朗かに照り、浴舍のすぐ背に聳えてゐる寶藏岳の木々は細い梢の尖までも數へられる程に大氣は澄んで、黄金色の日光が其等の青い葉々に透きとほるやうに美しく漲つてゐる。天地渾然として瑠璃玉の如く輝いてゐる。駒ヶ岳にも今日は風   「隈なく」#147 4662.32

「隈なく」#148 46482.236

■『手紙』(てがみ)
■著者:知里 幸恵(ちり ゆきえ):1903(明治36)年6月8日~1922(大正11)年9月18日
■底本:銀のしずく 知里幸恵遺稿:草風館:1996(平成8)年

って喜んでいらっしゃいました。  ▽46482.235 高央さんは相変らず、音沙汰はありません。真志保の漫画はかゝさず訪れます。  ▽46482.236 此の頃、夜飛行機が飛ぶので随分賑かです。奥様と坊ちゃんと夕涼に出ては見物してゐます。高いお空を赤や青のあかりをつけて飛ぶのです。昨夜などは飛行機で花火をあげた、いゝえ花火を下げたのかも知れません。▼隈なく▲晴れた夕空に二つ三つ星がまたゝいてゐる時、ズドンと微かな音とともに、星ともまがふ金色の玉がパッとあらはれて、アッと思ふ暇も無くそれがパーッと砕けて赤く青く太陽のやうに天空を照したかと思ふと、一時にスッと消えてしまふ美しさは何とも云はれません。  ▽46482.237 飛行機でなくても此の頃はよく花火があがります。上野の方であがるのださうです。昼は   「隈なく」#148 46482.236

「隈なく」#149 5.2

■『あいびき』(あいびき)
■著者:ツルゲーネフ イワン:1818年11月9日~1883(明治16)年9月3日
■翻訳:二葉亭 四迷(ふたばてい しめい):1864年4月4日~1909(明治42)年5月10日
■底本:日本文学全集1 坪内逍遥・二葉亭四迷集:集英社:1969(昭和44)年

もなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかッたが、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな私語の声であった。そよ吹く風は忍ぶように木末を伝ッた。照ると曇るとで、雨にじめつく林の中のようすが間断なく移り変ッた。あるいはそこにありとある物すべて一時に微笑したように、▼隈なく▲あかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた、細かな、落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、頭をかきむしッたような「パアポロトニク」(蕨の類い)のみごとな茎、しかも熟えすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなくもつれつからみつして、目前に透かして見られた。

5.3   「隈なく」#149 5.2

「隈なく」#150 42294.781

■『怪奇人造島』(かいきじんぞうとう)
■著者:寺島 柾史(てらしま まさし):1893(明治26)年10月24日~1952
■初出:「日本少年 付録」1937(昭和12)年8月号
■底本:少年小説大系 第8巻 空想科学小説集:三一書房:1986(昭和61)年

ているのが、この飛翔機だ。いやむしろ、風船といった方がいい。  ▽42294.781 幸い、二人の科学者が、協力してくれる。科学者は、不可能なことを可能ならしむるに妙を得た神人だ。殊に老博士は、人造島を創案した大科学者だ。彼は幽霊船中にある帆布や、麻布を、僕等に集めさした。それを縫合すのは、生理学者の怪老人の仕事だった。そのままに、僕等は、船内を▼隈なく▲探し廻って、蝋や、ゴム類を夥しく集めて来た。  ▽42294.782 「それを、麻布に塗りたまえ」  ▽42294.783 老博士の命令どおり、たんねんに麻布に塗った。  ▽42294.784 まもなく長さ数メートルの大きな蝋塗りの麻袋が出来上った。それに幾本かの麻縄を結び、その端に、ハンモックを取付けた。  ▽42294.785 「これでよい。この原   「隈なく」#150 42294.781

「隈なく」#151 42294.894

■『怪奇人造島』(かいきじんぞうとう)
■著者:寺島 柾史(てらしま まさし):1893(明治26)年10月24日~1952
■初出:「日本少年 付録」1937(昭和12)年8月号
■底本:少年小説大系 第8巻 空想科学小説集:三一書房:1986(昭和61)年

92 「それなら、僕もそうおもうね。渦巻く海面から、忽然と消えて無くなるなンか、やっぱり幽霊船だった」そのまに、飛行機は、もう可成り遠くまで飛んでいた。  ▽42294.893 「大尉殿。もう一度、あの大渦巻の中心を探して下さい」僕は、あきらめ切れず、そう云うと将校は、  ▽42294.894 「いくら探しても無駄さ。あのとおり、八ツの眼で、下界を▼隈なく▲探したが、見つからなかったのだから、もうあきらめた方がいいぜ」  ▽42294.895 「でも、あの科学者が、行方不明になったのが、ほんとに惜しいンですもの」  ▽42294.896 「われわれだって、惜しい人物を、魔の海で失って、残念におもうよ。何しろ、人造島をつくった博士や、心臓を入替たり、生命を永久保存することを発見した大科学者だからね」  ▽   「隈なく」#151 42294.894

「隈なく」#152 43570.419

■『話の種』(はなしのたね)
■著者:寺田 寅彦(てらだ とらひこ):1878(明治11)年11月28日~1935(昭和10)年12月31日
■初出:「東京朝日新聞」1907(明治40)年9月~1908(明治41)年10月(不定期88回連載)
■底本:寺田寅彦全集 第十二巻:岩波書店:1997(平成9)年

したとの記事もあったが、この頃また英国でクニューデンという人が非常に簡単な写真図画等の無線電送法を発見し大分評判になっているようである。その法はなんでもない。写真の種板が十分乾かぬうちに粉のようなものを振りかけると、光に感じている処だけ粉が粘着しそこだけ突起する。そこで今この種板の面に接近して針のようなものを万遍なく動かし、針の尖端が板の全面を▼隈なく▲通過するようにする。そして針と種板に発電器の両極をつないでおけば、針が種板の突起すなわち光に感じた部に触れるごとに電流が通る。この電流で適当の電波を起せば、この波は空中を伝わって目的地に達し受信器に感じて普通の無線電信と同様小さい針を動かす。この針の下には煤を塗った硝子板のようなものを置き、この板の上を針が往復運動する事ちょうど発信所と同じくし   「隈なく」#152 43570.419

「隈なく」#153 42704.5

■『文学の中の科学的要素』(ぶんがくのなかのかがくてきようそ)
■著者:寺田 寅彦(てらだ とらひこ):1878(明治11)年11月28日~1935(昭和10)年12月31日
■初出:「電気と文芸」1921(大正10)年1月
■底本:寺田寅彦全集 第五巻:岩波書店:1997(平成9)年

しかしかくのごとくして出来た科学の別天地はもともと便宜上から所知者を切り離して出来たものであるから、問題が能知者との関係にわたる場合には科学の範囲を脱して、科学ばかりではもう始末の付かぬ事は明らかである。この点に対する誤解から種々な謬見が生れる事は識者の日常目撃するところである。科学のどこを掘り返しても「不可不」は出て来ないし、その縄張りの中を▼隈なく▲捜しても「神」は居ない。そうして科学の中にこれがないという事は、それがどこにもないという証拠には少しもならない。もしそういう人があれば、それは室中を捜して魚が居ないというようなものである。

42704.6 芸術とは何であるか。これについては科学の場合のように簡単な定義を与える事は困難である。しかし前述の考えを対照させて次のごとく考える事も出来   「隈なく」#153 42704.5

「隈なく」#154 46996.387

■『イーリアス』(イーリアス)
■著者:ホーマー :~
■翻訳:土井 晩翠(どい ばんすい):1871(明治4)年12月5日~1952(昭和27)年10月19日
■底本:イーリアス:冨山房:1940(昭和15)年

382 不法に祭司斥けて更に罵辱の言加ふ。  ▽46996.383 祭司怒りて退きて祈を捧ぐ、かくて見よ、 380  ▽46996.384 アポローン彼を愛すれば其訴を納受しつ、  ▽46996.385 無慘の飛箭射放てばアルゴス人は紛々と  ▽46996.386 共にひとしく斃れ伏す、續きて神の怒の矢、  ▽46996.387 更にアカイア全軍の四方に▼隈なく▲降り注ぐ、  ▽46996.388 その時豫言者銀弓の神の御旨を宣り示す、 385  ▽46996.389 その時我は先んじて神意解く可く諫めたり。  ▽46996.390 されど權威にいや誇るアートレ、デースいきどほり、  ▽46996.391 立ちて威嚇の言を述べ、其言遂に遂げられつ、  ▽46996.392 かくて少女を眼光るアカイア人の輕舟に  ▽   「隈なく」#154 46996.387

「隈なく」#155 46996.1010

■『イーリアス』(イーリアス)
■著者:ホーマー :~
■翻訳:土井 晩翠(どい ばんすい):1871(明治4)年12月5日~1952(昭和27)年10月19日
■底本:イーリアス:冨山房:1940(昭和15)年

兩者再び一心に結ばゝ敵のトロイアの  ▽46996.1006 禍難允に遠からじ、禍難素より小ならじ。 380  ▽46996.1007 さもあれ今は戰鬪の備のために食に就け、  ▽46996.1008 おのおの鋭く鎗琢け、おのおの楯を整へよ。  ▽46996.1009 おのおの糧を駿足の群に與へて飽かしめよ、  ▽46996.1010 おのおの戰鬪心して▼隈なく▲兵車檢し見よ、  ▽46996.1011 夕陽沈み入らん迄奮戰苦鬪爲さんため。 385  ▽46996.1012 暗夜到りて衆軍の勇み抑ゆること無くば、  ▽46996.1013 瞬く隙も戰鬪を中止することあらざらん。  ▽46996.1014 かくしておのおの胸の上身を蓋ふ楯の革紐は  ▽46996.1015 汗にまみれむ、長鎗を揮ふ堅腕倦み果てん、    「隈なく」#155 46996.1010

「隈なく」#156 45340.86

■『暗号舞踏人の謎』(あんごうぶとうじんのなぞ)
■著者:ドイル アーサー・コナン:1859年5月22日~1930(昭和5)年7月7日
■翻訳:三上 於菟吉(みかみ おときち):1891(明治24)年2月4日~1944(昭和19)年2月7日
■底本:世界探偵小説全集 第四卷 シヤーロツク・ホームズの歸還:平凡社:1929(昭和4)年

顫えるような力で押えるのでした。私は妻を振り放そうとしましたが、彼の女は全く必死でした。私はやっと振り払って、外に出てその物置へ行った時は、もうその姿は見えませんでした。しかしたしかにその者は来た形跡はあって、扉の上には例の舞踏人姿の画がかかれてありました。それは以前に二度かかれたものと同じものですが、その写しはこれです。それから私は周囲を残る▼隈なく▲探しましたが、もうその他には何の痕跡もありませんでした。しかしそれから更に驚いたことには、その者はその後も現われたらしく、翌朝になって私は、例の扉の上を見ましたら、私が前夜見ておいたものの下に、更に新らしいのが画かれてありました」

45340.87 「その新らしいのも写し取りましたか?」

45340.88 「えい、とても短いものですが、これ   「隈なく」#156 45340.86

「隈なく」#157 3601.327

■『世界の一環としての日本』(せかいのいっかんとしてのにほん)
■著者:戸坂 潤(とさか じゅん):1900(明治33)年9月27日~1945(昭和20)年8月9日
■親本:世界の一環としての日本:白揚社:1937(昭和12)年
■底本:戸坂潤全集 第五巻:勁草書房:1967(昭和42)年

し無意義な生活も決して同情に値いしない。凡そそうしたキタない生活から自分達は自由だ。自分達は優れた専門家であり、かけ代えのないエキスパートだ。ただの素人とはわけが違う、こうした貴族意識は彼等のかくれた心事であるようである。

3601.327 高踏主義・貴族主義・も一つの趣味として或いは尊重されていいかも知れぬ。だが、この趣味が彼等の社会生活を▼隈なく▲支配し始めると、それはも早や趣味だといって済ませなくなる。それははしなくも科学者や技術家の階級意識又は階級性の地層をのぞかせることになるのである。

3601.328 科学者や技術家の一種の貴族趣味は、彼等に、社会の大衆からの優越従って又超越を意識させる。イデオローゲンもそうした意識を有たないのではないが、科学者乃至技術家はその技術的素養からい   「隈なく」#157 3601.327

「隈なく」#158 42441.5

■『阿亀』(おかめ)
■著者:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■初出:「文芸春秋」1925(大正14)年10月
■底本:豊島与志雄著作集 第二巻(小説Ⅱ):未来社:1965(昭和40)年

、しっくりと調和して落着いていた。天井の高い広間の明るみの中に、白々と浮出していながら、殆んど人の注意を惹かないくらいまで、安らかに落着き払っていた。  ▽42441.4 が、或る晩、その阿亀の面が、本当ににこにこっと笑い出した、と云って佐竹謙次郎が、次のような話をした。  ▽42441.5 風がなくて、霧が深かった。満腹していた。酒の酔が、全身に▼隈なく▲廻っていた。うまい煙草でも吹かしたい気持だった。――だから、僕は木谷についていった、もう十時過ぎだというのに。  ▽42441.6 「十時といったって、撞球場ではまだ宵のうちだぜ。看板は十二時迄だが、大抵一時過ぎになるんだから。」  ▽42441.7 然し僕は、木谷みたいに、そこの家の常連ではない。それに、撞球はからっ下手でさほどの興味もない。ただ   「隈なく」#158 42441.5

「隈なく」#159 42404.186

■『愚かな一日』(おろかないちにち)
■著者:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■初出:「太陽」1920(大正9)年1月
■底本:豊島与志雄著作集 第一巻(小説Ⅰ):未来社:1967(昭和42)年

、すぐ眠れそうだ。早く眠りっこをしよう。」  ▽42404.184 「ええ。」と答えて彼女は眼で微笑んだ。  ▽42404.185 彼はそっと蒲団で眼を隠した。淋しい涙が眼瞼を溢れてきた。そしていつまでも続いた涙が漸く乾きかける頃には、彼は我知らずうとうととしていた。  ▽42404.186 翌朝彼はいつになく遅く眼を覚した。朝日の光りが斜に、障子を▼隈なく▲照していた。その障子を開かせると、露と霜とに濡れた爽かな庭が、すぐ眼の前にあった。彼はそっと床の上に上半身を起して、庭の方へ向き直った。弾力性を帯びたように思われる黒い大地が、彼の心を惹きつけた。素足のままその上を歩いてみたい欲望が、胸の底からこみ上げてきた。もうだいぶ長く土を踏まないなという考えが、根こぎにせられたような佗しさを彼の心に伝えた   「隈なく」#159 42404.186

「隈なく」#160 42633.64

■『コーカサスの禿鷹』(コーカサスのはげたか)
■著者:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■底本:豊島与志雄童話集:海鳥社:1990(平成2)年

いたしましょう」  ▽42633.62 雷の神がうまく策略にのったので、禿鷹はしめたと思って微笑みました。雷が落ちるのを見定めれば、どれが一番高い山だかすぐにわかるし、またそれで、今まで嘘をついた山の霊を、罰するわけにもなるのです。  ▽42633.63 五  ▽42633.64 そこで禿鷹は、ある高い山の上に飛び上がって、その頂の岩の影から、四方を▼隈なく▲うかがい始めました。  ▽42633.65 谷間から遠く低く平地へかけて、ぼーっともやがかかっていまして、その間から方々に、高い山の頂がそびえ立って、きらきらと日に照らされています。  ▽42633.66 するうちに、いつのまにか、日の光が隠れてしまって、今まで低い麓の方にしか出たことのないまっ黒な夕立雲が、驚くほど高く空の上に出てきて、むくむくと   「隈なく」#160 42633.64

「隈なく」#161 42635.17

■『狸のお祭り』(たぬきのおまつり)
■著者:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■初出:「赤い鳥」1921(大正10)年2月
■底本:豊島与志雄童話集:海鳥社:1990(平成2)年

しょう、大きな石が弾丸に当たって、二つに割れて転がっているのです。  ▽42635.15 二人はばかばかしいやら口惜しいやらで、じだんだふんで怒りました。きっと狸に化かされたに違いないと、そう思いました。そして、是非とも狸を退治してやろうと相談しました。  ▽42635.16 二  ▽42635.17 翌日二人は、八幡様の小さな森に出かけて、狸の巣を▼隈なく▲探し廻りました。しかしどこにもそれらしいのは見当りませんでした。けれども、晩にはまた出て来るかも知れないと思って、月が出るのを待って再び行ってみました。  ▽42635.18 月は前の晩と同じように、綺麗に輝いていました。昼間のように遠くまで見渡せました。二人は八幡様の前へ行って、例の椋の木を見上げました。すると狸はいませんでしたが、たくさんの椋   「隈なく」#161 42635.17

「隈なく」#162 42601.1454

■『レ・ミゼラブル』(レ・ミゼラブル)
■著者:ユゴー ヴィクトル:1802年2月26日~1885(明治18)年5月22日
■翻訳:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■底本:レ・ミゼラブル(一):岩波書店:1987(昭和62)年

信じていた。今はもう手を握りしめることだけであった。  ▽42601.1453 彼の方には大丈夫な手下がついているので、ジャン・ヴァルジャンがいかに勇気あり力あり死にもの狂いになったとて、抵抗しようなどとは思いもよらぬことだった。  ▽42601.1454 ジャヴェルは徐々に進んで行った。あたかも盗人のポケットを一々探るように、その街路のすみずみを▼隈なく▲探りながら進んだ。  ▽42601.1455 ところがその蜘蛛の巣のまんなかまで行くと、そこにはもう蠅はかかっていなかった。  ▽42601.1456 彼の憤激は察するに余りある。  ▽42601.1457 彼はドロア・ムュール街とピクプュス小路との角を番していた警官に尋ねてみた。警官は泰然自若としてその場所に立っていたが、あの男が通るのは見かけもし   「隈なく」#162 42601.1454

「隈なく」#163 42601.1464

■『レ・ミゼラブル』(レ・ミゼラブル)
■著者:ユゴー ヴィクトル:1802年2月26日~1885(明治18)年5月22日
■翻訳:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■底本:レ・ミゼラブル(一):岩波書店:1987(昭和62)年

かなり低い壁が幾つもあって、庭に接しており、庭の囲いは広い荒地に接していた。ジャン・ヴァルジャンは確かにそこから逃げ出したに違いないと思われた。そして実際、彼もも少しジャンロー袋町のうちにはいり込んで行ったら、きっとそのとおりにして、ついに[#「ついに」は底本では「つい」]捕えられたであろう。ジャヴェルはそれらの庭と荒地とを、針でもさがすように▼隈なく▲探索した。  ▽42601.1465 夜が明くるにおよんで、彼は怜悧な二人の手下を残して見張りをさせ、あたかも盗人に捕えられた間諜のように恥じ入って、警視庁へ引き上げた。  ▽42601.1466 [#改ページ]  ▽42601.1467 第六編 プティー・ピクプュス  ▽42601.1468 一 ピクプュス小路六十二番地  ▽42601.1469 ピク   「隈なく」#163 42601.1464

「隈なく」#164 42603.1116

■『レ・ミゼラブル』(レ・ミゼラブル)
■著者:ユゴー ヴィクトル:1802年2月26日~1885(明治18)年5月22日
■翻訳:豊島 与志雄(とよしま よしお):1890(明治23)年11月27日~1955(昭和30)年6月18日
■底本:レ・ミゼラブル(三):岩波書店:1987(昭和62)年

ってくれると言っていたんだもの。」  ▽42603.1113 「ふーむ。」とガヴローシュは答えた。  ▽42603.1114 「お母さんはね、」と年上のは言った、「ミス嬢といっしょに住んでるんですよ。」  ▽42603.1115 「へえー。」とガヴローシュは言った。  ▽42603.1116 そのうちに彼は立ち止まって、しばらくそのぼろ着物のすみずみを▼隈なく▲手を当ててさがし回った。  ▽42603.1117 ついに彼はただ満足して頭を上げたが、しかし実は昂然たる様子になった。  ▽42603.1118 「安心しろよ。三人分の食事ができた。」  ▽42603.1119 そして彼は一つのポケットから一スー銅貸を引き出した。  ▽42603.1120 ふたりが驚いて口を開く間もなく、彼はふたりをすぐ前のパン屋の   「隈なく」#164 42603.1116

「隈なく」#165 2518.195

■『大阪を歩く』(おおさかをあるく)
■著者:直木 三十五(なおき さんじゅうご):1891(明治24)年2月12日~1934(昭和9)年2月24日
■底本:直木三十五作品集:文藝春秋:1989(平成元)年

確高血圧にも、よかったと憶えている)。塩昆布は、茶漬として淡白この上無しと、私は愛用している。別に私が、大阪に生れたからでなく、昆布は確にうまい物である。

2518.195 私の本郷の下宿時代、私の所へ逃げてきた、私の女房(女房になってから、逃げてきたのでなく、逃げてきて、いつの間にか、女房になったのである)が、此奴、昆布好きで、本郷界隈を、▼隈なく▲、昆布の為に、歩いて、藪蕎麦が、天神さんの中にあること、シュークリームが、近くにある事だけを発見して戻ってきた事がある。

2518.196 今でも、昆布を求めようとすると、見当がつかない。里見の愛人、お竜さん(これは私の愛人と少し、意味がちがう)が、いつも私が、大阪へ行くと聞いて「昆布を買ってきて」と註文する(尤も、大抵私は忘れて、またと叱ら   「隈なく」#165 2518.195

「隈なく」#166 45567.13733

■『南国太平記』(なんごくたいへいき)
■著者:直木 三十五(なおき さんじゅうご):1891(明治24)年2月12日~1934(昭和9)年2月24日
■底本:直木三十五作品集:文藝春秋:1989(平成元)年

決死の色が見えていた。  ▽45567.13730 「税所殿、矢張り、おびえなさるか」  ▽45567.13731 「はい、夜に入りますと、物の怪にでも、おそわれるように、急に、お泣き出しになり、お熱が高く――」  ▽45567.13732 「床下、天井、その外、お調べになりましたか?」  ▽45567.13733 「以前の例もござりますれば、若侍共、▼隈なく▲捜しましたが、怪しいところは、ござりませぬ」  ▽45567.13734 「吉井殿は」  ▽45567.13735 「お次におられましょうと、存じますが」  ▽45567.13736 哲丸は、いつもの、熟した果物のような赤味と、艶とを失って、濁った白い頬をして眠入っていた。  ▽45567.13737 「良伯、これで、御重体か」  ▽45567.1373   「隈なく」#166 45567.13733

「隈なく」#167 52359.389

■『つゆのあとさき』(つゆのあとさき)
■著者:永井 荷風(ながい かふう):1879(明治12)年12月3日~1959(昭和34)年4月30日
■親本:荷風全集 第八巻:岩波書店:1963(昭和38)年
■底本:つゆのあとさき:岩波文庫、岩波書店:1987(昭和62)年

の家はあの広告のついたり消えたりしている横町だと思うと、一昨日から今夜へかけてまず三日ほど逢わないのみならず、先刻富士見町で芸者から聞いたはなしも思い出されるがまま、とにかくそっと様子を窺って置くに若くはないと思定め、堀端を歩いて、いつもの横町をまがった。

52359.389 角の酒屋と薬屋の店についている電燈が、通る人の顔も見分けられるほど▼隈なく▲狭い横町を照している。清岡は去年から丁度一年ほど、四、五日目にはここを通るので、店のものにも必顔を見知られているにちがいないと、俄に眉深く帽子の鍔を引下げ、急いで通り過ると、その先の駄菓子屋と煙草屋の店もまだ戸をしめずにいたが、ここは電燈も薄暗く店先には人もいない。路地の入口の肴屋はもう表の戸を閉めているので、ちょっと前後を見廻し、暗い路地へ進   「隈なく」#167 52359.389

「隈なく」#168 49673.43

■『霊廟』(れいびょう)
■著者:永井 荷風(ながい かふう):1879(明治12)年12月3日~1959(昭和34)年4月30日
■親本:荷風随筆 一~五:岩波書店:1981(昭和56)年
■底本:荷風随筆集(上):岩波文庫、岩波書店:1986(昭和61)年

品をも聯想せしめない、全く特種の美しい空想を湧起せしめた事を記憶している。強いて何かの聯想を思い出させれば、やはり名所の雪を描いた古い錦絵か、然らずば、芝居の舞台で見る「吉野山」か「水滸伝」の如き場面であろう。けれども、それらの錦絵も芝居の書割も決して完全にこの珍らしい貴重なる東洋固有の風景を写しているとは思えない。

49673.43 寒月の▼隈なく▲照り輝いた風のない静な晩、その蒼白い光と澄み渡る深い空の色とが、何というわけなく、われらの国土にノスタルジックな南方的情趣を帯びさせる夜、自分は公園の裏手なる池のほとりから、深い樹木に蔽われた丘の上に攀じ登って、二代将軍の墳墓に近い朱塗の橋を渡り、その辺の小高い処から、木の根に腰をかけて、目の下一面に、二代将軍の霊廟全体を見下した事がある。

   「隈なく」#168 49673.43

「隈なく」#169 3332.572

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■初出:第五巻「竜神の巻」「都新聞」1915(大正4)年 6月12日~7月23日
■親本:大菩薩峠 一:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠2:ちくま文庫、筑摩書房:1995(平成7)年

3332.570 たしかにそれ。そうしてどこかに負傷している。眼を洗っていた――かの火薬の烟に眼を吹かれたのでもあろうかと、兵馬は直ちに想像しました。  ▽3332.571 兵馬はこれに力を得て、息もつかず竜神まで追いかけ、さまざまの人の手を借りて、今日まで三日さがしたけれども、更にその行方が知れないのであります。  ▽3332.572 竜神八所を▼隈なく▲探すというのは容易なことではないが――これより遠くへは落ちられないわけがあるから、兵馬は必ずや、この附近で竜之助を見出し得るものと思うています。  ▽3332.573 そうしてかの七兵衛は、お松をつれて近いうち、ここへ来るはずになっていました。  ▽3332.574 兵馬は、尋ねあぐんでもなお気を落さない。今宵も、この境内を抜けてみようとするのは気   「隈なく」#169 3332.572

「隈なく」#170 4060.666

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 二:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠3:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

油差と床几を手に持って外へ出た米友が、こんなことを言いました。そうして社の鳥居のところから始めて幾つもある木の燈籠や、石の燈籠をいちいち見て歩いて、消えそうなやつへは油を差して歩きました。歩くといっても、やはり米友は跛足です。それに背が低いからいちいち床几を下へ置いてその上へのって、それから油を差して歩きます。

4060.666 境内を残る▼隈なく▲見廻って、油を差すべきものには差し終ってから米友は、また茶所へ帰って来ました。そうして熱いお茶を一杯いれて呑んでから、烏帽子を取って叩きつけるように抛り出して、また前のところへ胡坐をかいて、前のようにぼんやりとして、接待の茶釜の光るのと炭火のカンカンしているのをながめていましたが、程経てまた大欠伸をはじめてしまいました。

4060.667 「   「隈なく」#170 4060.666

「隈なく」#171 4504.893

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 四:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠6:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

、その前後の模様について訊問を試みました。  ▽4504.893 馬子の答うるところを綜合してみると、第一その斬り手は大兵ではなかったこと、むしろ小兵の男で、覆面をしていたこと、斬った後に失策った! というような叫びを残して行ったこと、その声は細い声であったというようなこと、それらのことが、ほんの取留めのない参考になるだけで、なお四辺を提灯の光で▼隈なく▲探して見たけれど、証拠になるべきものは塵一つ落してはありません。  ▽4504.894 その晩、江戸の西の郊外を只走りに走っているのは、宇津木兵馬であります。  ▽4504.895 兵馬の挙動は尋常ではありません。その髪は乱れているし、その眼は血走っているし、第一、どこまで走るつもりか、その見当さえついていないようです。  ▽4504.896 道を誤   「隈なく」#171 4504.893

「隈なく」#172 4505.895

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 四:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠6:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

立つの大きさであります。  ▽4505.894 それはさておいて、今、月明を仰いでこの高原の薄原の中に、ひとり立つ机竜之助はこの時、もう眼があいていました。いな、少なくとも月の微光をながめ得るほどには、眼が開いていなければならないはずです。  ▽4505.895 すすき尾花の中に西を向いている、たったひとりの人影に、ちょうど、天心に到る十六日の月が▼隈なく▲照しています。  ▽4505.896 もし、煙霧がなければ白根山の峰つづきが見ゆるあたりに、竜之助はいつまでか立ち尽しているが、風はそよとも吹かず、ただ高原の夜気が水のように流れているだけです。  ▽4505.897 鳥も通わぬ白根の山に  ▽4505.898 月の光りがさすわいな  ▽4505.899 多分、その白根の山ふところに心残りがあるのでしょ   「隈なく」#172 4505.895

「隈なく」#173 3066.334

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 四:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠7:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

ございますから、とても神様をお悦ばせ申すのなんのと、左様なだいそれた了見は持っておりませんのでござりまする。ただまあこうも致しまして、わたくしの心だけが届きさえ致せば、それでよろしいのでございますから、もう暫くのところお待ち下さいませ、せめてこの一くさりだけを語ってしまいたいのでござりまする、旧き都を来て見れば、浅茅ヶ原とぞ荒れにける、月の光は▼隈なく▲て、秋風のみぞ身には沁む、というところの、今様をうたってみたいと思いますから、どうぞ、それまでの間お待ち下さいませ、それを済ましさえ致せば、早々立退きまするでござりまする」

3066.335 一息にこれだけの弁解をしてしまったから、さすがの社人も相当に呆れたと見えます。ただ呆れただけならいいが、どうもそのこましゃくれた弁解ぶりが、癪にもさわっ   「隈なく」#173 3066.334

「隈なく」#174 4338.48

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 五:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠7:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

4338.45 この幕間に、ちょっと手間がかかりました。  ▽4338.46 「何しろ驚いたものですな、今度はジプシー・ダンス。ええと、つまり西洋の手踊りといったようなものだそうで」  ▽4338.47 お茶を飲み、煙草を吸って休養を試みているところへ、春日長次郎がまた改めて口上言いに出ました。  ▽4338.48 これより先、開場の前までは、場内を▼隈なく▲めぐって気を配っていたお角、開場と共に、楽屋と表方の間に隠れて、始終の気の入れ方を見ている。  ▽4338.49 「梅ちゃん、この次は西洋の踊りですから、向うへ行って、よく見てごらん」  ▽4338.50 附いていたお梅に、参考としてのジプシー・ダンスを見学さすべく、お附の役目を解いて暫時のお暇を与えると、娘分のお梅は有難く、喜んでお受けをして、    「隈なく」#174 4338.48

「隈なく」#175 4338.487

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 五:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠7:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

た形跡は蔽うことができません。もし、ここに相当の陣地を構えていたものならば、逸早く退却してしまったものに相違なく、その退却ぶりを見ると、その形跡こそ狼藉たるものだが、武器や生活の要具は一つも落ちのこされていないことによって、かなり鮮かな退却ぶりだといわなければなりません。  ▽4338.487 兵馬は勘八の手から松明を借受けて、狼藉たる陣地の跡を▼隈なく▲照らし見ようとした刹那、猟犬の縄をゆるめたものですから、犬はまっしぐらに一方へ向いて飛んで行きました。二人がおどろいてその方向を見ると、栗の大樹があって、その根もとに人らしいものがうずくまっている。  ▽4338.488 勘八は鉄砲を取り直しましたが、兵馬はしかと見定め、  ▽4338.489 「人がつながれている」  ▽4338.490 これも危険   「隈なく」#175 4338.487

「隈なく」#176 4506.1899

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 五:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠8:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

きながら、歩き出しました。  ▽4506.1898 どこへ行くのだろう。多分、屋敷へ引返すのだろうと、松の上から七兵衛は、足もとあぶなく、槍を力に、ふらふらと歩いて行く主膳の姿を、こころもとなく見返っていましたが、それも、まもなく、呉竹の蔭なる小路に隠れて、見えずなりました。  ▽4506.1899 あとで、ゆっくりと、高見の見物で、千隆寺の境内を▼隈なく▲見おろしていた七兵衛。いいかげんの時刻に、ひとり合点をして、その松を下りようとすると、例の呉竹の小路の間から、足音が聞えました。  ▽4506.1900 また思い出して、神尾主膳が戻って来たな、見つかっては面倒だと、いったん下りて来た七兵衛が、そのまま、松の茂みの間に身をひそめています。  ▽4506.1901 歩いて来たのは二人連れ。神尾主膳が戻   「隈なく」#176 4506.1899

「隈なく」#177 4319.1798

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 六:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠10:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

9.1795 では、中身が更に水底深く沈んでいるに違いない。  ▽4319.1796 水練の達者は、水面は浅いが、水深はかなり深い水底へくぐって行ったが、やや暫くあって、浮び出た時には藁をも掴んではいなかった。  ▽4319.1797 つづいて、もう一人の水練が、飛び込んでみたがこれも同様。  ▽4319.1798 水深一丈もあるところを、沈みきって▼隈なく▲探しはしたけれど、なんらの獲物がない。  ▽4319.1799 そこで、また問題が迷宮に入る。  ▽4319.1800 いしょうだけがあって、中身がないとすれば、その中身はどこへ行った。  ▽4319.1801 ああ、また一ぱい食った!  ▽4319.1802 太閤秀吉が、蜂須賀塾にいた時分とやらの故智を学んで、着物だけを投げ込んで、人目をくらましてお   「隈なく」#177 4319.1798

「隈なく」#178 4508.773

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 六:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠11:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

おりません。  ▽4508.771 「おや?」  ▽4508.772 せっかく、雨を冒して帰って来たのは、鯨の親に呼ばれたのみではない、早く家へ帰って見たいからだ。一つは、お嬢さんに心配させまいとの心づくしだ。それだのに、相手はいっこう張合いがなく、こっちがあせって来るほど、待ちこがれもなにもしやしない。  ▽4508.773 茂太郎は室内へ入って、▼隈なく▲見たけれども、何者の姿をも見出すことはできません。  ▽4508.774 ただ、たった今まで、ここに人がいた形跡はたしかにある。人がいたというのは別人ではない、お嬢様その人がたしかにいたことは、残されて、半分ばかり始末をしかけた化粧道具の、取散らかしが説明する。  ▽4508.775 では、相当のおめかしをして、どこぞへ出かけて行ったのか。近いとこ   「隈なく」#178 4508.773

「隈なく」#179 4321.2647

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 七:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠11:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

程度まで見定めるには、これが上なる人――お雪ちゃんにとってはよい機会でありました。  ▽4321.2647 笠を阿弥陀にして、ふり仰いでいるその人は、いやでもその面影の全面を上へ向けなければなりません。そこへ、なおこちらに幸いすることには、月光が上から照らしつけてある上に、その当人の腰にさしていた提灯というものが、向うから推輓するように、ほとんど▼隈なく▲輪郭を照らしてくれました。  ▽4321.2648 その時に、お雪は、二重三重の意外に見舞われて、胸を轟かすことが加わってしまいました。  ▽4321.2649 笠のうちなる人の面影は、今まで全く見なかった人です。ここに冬籠りをして熟しきっている同宿の人たちのうちの一人でないことは勿論――先般来、出入りして、相当の波瀾と印象とを残して行った二三の人   「隈なく」#179 4321.2647

「隈なく」#180 4323.960

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 八:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠13:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

を、暴民らは如何ともすることができず、手を振り、足を踏んで、徒らに叫びわめくのみでありました。  ▽4323.958 二十三  ▽4323.959 郁太郎を背負うた与八が、大菩薩峠を越えたのはあれから三日目。峠の上には雪がありました。  ▽4323.960 ここには自分の建てた地蔵菩薩、その台座のあとさきに植えた撫子も雪に埋れたのを掻き起して、あたり▼隈なく▲箒をあて、持って来た香と花とを手向ける。  ▽4323.961 幼きものを御衣の、もすその中に掻き抱き給うなる大慈大悲の御前、三千世界のいずれのところか菩薩捨身の地ならざるはなし、と教えられながらも、特にこの地点が与八のためには忘れられないものにもなり、立去り難いものにもなるが、何をいうにも六千尺の峠、時は初冬、天候の程も測りがたない、背に負うた   「隈なく」#180 4323.960

「隈なく」#181 4340.995

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 九:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠14:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

くり上げた蒸気船よりも、七兵衛の親譲りの健脚の方が、遥かに速かったのは是非もないことです。  ▽4340.994 磐城平方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻の港へ、一足飛びに到着して見ました。  ▽4340.995 駒井の殿様の一行の船はどうだ――もう着いているか知らと、宿も取らぬ先に港へ出て▼隈なく▲見渡したけれど、それらしい船はいっこう見当りません。  ▽4340.996 でも、七兵衛はガッカリしませんでした。何しても前例のない処女航海ではあり、極めて大事を取って船をやるから、到着の期限は存外長引くかも知れない。万一また、途中、天候その他の危険をでも予想した場合には、不意に意外のところへ碇泊してしまうかも知れない。それにしても目的地は石巻に   「隈なく」#181 4340.995

「隈なく」#182 4342.179

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠17:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

こか漏れるところがある。これから先、山河幾百里の関柵をあけて通る鍵だ。その唯一の旅行免状を取落して何になる。これではさすがの強情者も、浮かぬ面をして取って返さざるを得ない出来事だと、白雲も思いやりました。  ▽4342.179 しかし、事実はここで役人に提示したのだから、これよりあとへ飛んで戻るはずはない。柳田平治はまず店先よりはじめて、その辺を▼隈なく▲探し求めましたけれども、ついにそれらしい何物もありません。  ▽4342.180 柳田はついにその長剣を背中へ廻して、低い縁の根太の下まで探してみたけれども見出せないのです。白雲も同情して、そこらあたりを漁って見てやったけれども、発見することができません。  ▽4342.181 さしもの豪傑も、ここに至っていたく銷沈気味でした。  ▽4342.182   「隈なく」#182 4342.179

「隈なく」#183 4342.381

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠17:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

山白雲もおしてたずねようともせず、閑々として歩みつづけます。  ▽4342.381 かくて大小二つの黒法師は、いよいよ広原の中の月光の下に、鮮かに黒法師ぶりを発揮しながら無言の進行をつづけましたが、この二人ともに、遠目では、かく悠々閑々たるそぞろ歩きを続けているように見えるが、事実上は、歩みながら絶えず、往手と左右の草原から、沼、橋、森蔭をまで、▼隈なく▲見透さんとした身構えで歩んでいるのであります。  ▽4342.382 そのかなり細心に働いている首筋の異動と、眼光のつけどころを見ていると、ただ月に乗じて浮かれ出したものでないことは明らかであります。何か目的あって、それを探し索めるために出動したものと見なければならないのです。  ▽4342.383 それが微吟となったり、閑話となったりして洩れて来   「隈なく」#183 4342.381

「隈なく」#184 4342.1185

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠17:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

、特に誰かが附添って、説明と監視とに当るという設備もなく、その身そのままで、自由なる室内の拝観を許されたのでした。

4342.1185 そこで、覆面の客は少女を後に従えて、ずっと玄関を通ってしまって、ゆるゆると内部の見学にとりかかったのだが、それにしてもこの女客は、堂内へ入ってすらもその覆面を取ることをしませんでした。覆面をしたままで、堂内を▼隈なく▲見学にとりかかりましたのです。

4342.1186 寺の人が誰も附添わないし、またどこにも看視の人が附いていないとは言いながら、この態度は甚だ不作法のものと言わなければならない。普通の人間の住居へ入ってさえ、人は被りものを取るのを礼儀とする。霊場として人のあがむる屋内で、仮りにも頭巾のままの通行は許し難いものがある。まして女のことです。女も躾   「隈なく」#184 4342.1185

「隈なく」#185 4343.1365

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十一:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠18:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

はそのまま取って返して、ランタンを振り照らしつつ、前のメーン・マストの下まで再び検分の気持で来て見ると、茂太郎は早くも帆柱から下りて、白雲を待っているもののように、そこに立っています――  ▽4343.1364 六十七  ▽4343.1365 田山白雲は、茂太郎には無言で、ランタンをそこらあたりに振り照らして、狼藉の行われたらしいマストの下あたりを▼隈なく▲照らして見たが、  ▽4343.1366 「嗚呼――」  ▽4343.1367 と、白雲に似合わしからぬ深い歎息をして、  ▽4343.1368 「茂――」  ▽4343.1369 「はい」  ▽4343.1370 「お前、御苦労だが、箒を持って来て、ここをすっかり掃いてくれ」  ▽4343.1371 「はい」  ▽4343.1372 「ゴミは一切かまわず、   「隈なく」#185 4343.1365

「隈なく」#186 4343.1603

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十一:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠18:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

起りつつあるのです  ▽4343.1599 白雲は、それを聞いた時に、この辺で発言禁止をしなければならないと感じて、  ▽4343.1600 「茂、もうでたらめをやめろ!」  ▽4343.1601 六十九  ▽4343.1602 「茂、もういいからキャビンへ行って寝てしまえ」  ▽4343.1603 田山白雲は、茂太郎を甲板の下へ押しやって、自分は、なお▼隈なく▲上層を検分して、また船室の方へ下って行き、お松の室の前を通りかかると、中から燈光が漏れる。  ▽4343.1604 「お松さん、まだ寝ませんか」  ▽4343.1605 「はい」  ▽4343.1606 立派に起きて仕事をしているような緊張味のある返事です。ドアを少し開いて、  ▽4343.1607 「まだ御勉強ですな」  ▽4343.1608 「いいえ   「隈なく」#186 4343.1603

「隈なく」#187 4343.2244

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十一:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠18:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

ません、万事の奉仕は拙者一人が致します、出入りの者にも感づかれてはなりません。拙者は大丈夫です、こうして昔と変った仲間小者のいでたちで、留守居を頼まれたようにしていれば、誰も怪しむものはありません、ことにここは一城廓とも言っていい別天地ですもの――そうして、名古屋城下に程遠くもない地の利を占めていますもの、ここを根拠として、これから名古屋城下を▼隈なく▲、私がたずねます。万一、見知る者があってはと存じ、面を少々灼くことに致しました」

4343.2245 梶川少年から、頼もしい限りの言葉を聞かされた銀杏加藤の奥方は、その最後の一句に至って、美しい面を曇らせて、

4343.2246 「それはいけませぬ、面を灼くとおっしゃいましたね、梶川様、どういうことをなさるのか知れないが、それだけは思い留ま   「隈なく」#187 4343.2244

「隈なく」#188 4345.1094

■『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)
■著者:中里 介山(なかざと かいざん):1885(明治18)年4月4日~1944(昭和19)年4月28日
■親本:大菩薩峠 十二:筑摩書房:1976(昭和51)年
■底本:大菩薩峠19:ちくま文庫、筑摩書房:1996(平成8)年

うと、  ▽4345.1091 「あ、左様でございますか、それは失礼を致しました」  ▽4345.1092 「もしや、壁の隅の方を見てごらんなさい、あちらの方にいるかも知れません」  ▽4345.1093 「左様でございますか」  ▽4345.1094 猫をたずぬる主は手燭を点して来ましたが、それをかざして室内を照らそうとしたが、室内が広きに過ぎて光が▼隈なく▲届きません、そこで、おもむろに一足、また一足、いずれにも尋ぬる物の体が一目には見出し難いものですから、ややもすれば消えなんとする手燭を袖屏風にして、また一足、また一足、怖い人穴の中へ忍び入るような足どりも、愛するもののため故の勇気で、その愛するものというのが、人でなくして猫であるだけの相違でした。でも、かよわい女が、この夜中に、知ってか、知らず   「隈なく」#188 4345.1094

「隈なく」#189 4525.15

■『白瓜と青瓜』(しろうりとあおうり)
■著者:長塚 節(ながつか たかし):1879(明治12)年4月3日~1915(大正4)年2月8日
■底本:長塚節全集 第二巻:春陽堂書店:1977(昭和52)年

であります。暫くたつてそれが止んだと思ふ頃庄次は目を開いて見ました。少し月の光が疎く成つたと思ふやうでも、まだ瓜畑には一杯の明るさであります。蚊帳越しではありますが彼の目には白い瓜がやつぱり目に映るのでありました。木戸の外は垣根のやうな蜀黍が遮つて何物も見えないのであります。で間もなく夜が明けました。

4525.15 翌る朝になつて庄次は畑を▼隈なく▲見ましたが瓜は一つも盜まれてはありません。次の夜も又番をしましたが、さういふことがありました。庄次には合點が行きません。彼れは人からよく能くいひ觸らされてるやうに貉か狸の惡戲ではないかとまで思ひました。然し誰にもいひはしませんでした。

4525.16 然るところ其次の夜は元のやうに爺さんが泊りました。木戸口のこそ/\といふ音は爺さんの耳にも響   「隈なく」#189 4525.15

「隈なく」#190 1745.1224

■『土』(つち)
■著者:長塚 節(ながつか たかし):1879(明治12)年4月3日~1915(大正4)年2月8日
■親本:土:春陽堂:1912(明治45)年
■底本:長塚節名作選 一:春陽堂書店:1987(昭和62)年

てぢより/\とこそつぱい口の泥をぴよつと吐き出してそれから口を衣物でこすつた。彼は又煙草を吸ひつけようとしては羅宇に罅が入つたのを知つた。彼はくた/\に成つた紙を袂から探り出してそれを睡で濡らして極めて面倒にぐる/\と其の罅を捲いた。卯平はそれからふいと出て夜まで歸らなかつた。勘次は鷄の拔毛を見て鼬が出たのではないかといふ懸念を懷いて其處ら中を▼隈なく▲見た。鷄は他の鷄が悉く塒に就いても歸らなかつた。鼬は一羽殺せば必ず復他を襲ふので勘次は少からず其の心を騷がしたのであつた。  ▽1745.1225 「爺打つとばしたんだわ」與吉は勘次へいつた。  ▽1745.1226 「どうしてだ」勘次は驚いた眼をつて慌てゝ聞いた。  ▽1745.1227 「座敷へ上つたら煙管打つゝけたんだ。そんで俺れ煙管とつてやつ   「隈なく」#190 1745.1224

「隈なく」#191 53201.18

■『イグアノドンの唄』(イグアノドンのうた)
■著者:中谷 宇吉郎(なかや うきちろう):1900(明治33)年7月4日~1962(昭和37)年4月11日
■初出:「文藝春秋」1952(昭和27)年4月1日
■親本:イグアノドンの唄:文藝春秋新社:1952(昭和27)年
■底本:中谷宇吉郎随筆集:岩波文庫、岩波書店:1988(昭和63)年

の著者は、まことに巧いことをいっている。古代インカ帝国の住民が使っていたのと、全く同じ筏を造って、この若い探検家は、南米からタヒチ島の近くまで、自分で漂流をしてみたのである。そして南太平洋の大洋の真中で、いろいろ不思議な生物に遭遇している。

53201.18 近代の文明人は、大きいそして強力な汽船を造って、即ち科学の巨大な力を利用して、七洋を▼隈なく▲調べつくしているが、唯一つ大切なことを忘れている。それはそういう立派な汽船は、船体も大きくまたスクリューの音も大きいということである。近代の探検船では遭遇しなかった怪物を、筏の漂流者が目撃することがあっても、別に不思議ではない。海面すれすれのところに、じっと坐り込んで、二カ月以上も潮流と風だけに送られて、あの広大な太平洋の真中を漂ってみた人は外   「隈なく」#191 53201.18

「隈なく」#192 53219.24

■『地球の円い話』(ちきゅうのまるいはなし)
■著者:中谷 宇吉郎(なかや うきちろう):1900(明治33)年7月4日~1962(昭和37)年4月11日
■初出:「思想」1940(昭和15)年2月1日
■親本:続冬の華:甲鳥書林:1950(昭和25)年
■底本:中谷宇吉郎随筆集:岩波文庫、岩波書店:1988(昭和63)年

子を用いて重力を測るという方法が考案され、実際に世界各地の海でその測定がなされたのである。

53219.24 しかし潜水艦というものは大変苦しいものの由で、その中で普通に働くことすら、実は大変な忍耐を要するという話である。まして潜水状態で、前に言ったような極度に精密を要する測定をするのは生易しいことではない。それでこの方法で世界中の七つの海を▼隈なく▲探るという案は先ず実行不可能である。

53219.25 ところが人間の智力もまた恐ろしいもので、この頃動揺する船の上でも、まるでコンクリートの台の上と同じように、重力を精密に測り得る装置が考案された。それは我が国の坪井忠二博士の手で出来たものであって、その主旨は、複雑な船の動揺を詳しく分析究明して、動揺の各要素について、それぞれその振動の影響   「隈なく」#192 53219.24

「隈なく」#193 52216.616

■『青銅の基督』(せいどうのキリスト)
■著者:長与 善郎(ながよ よしろう):1888(明治21)年8月6日~1961(昭和36)年10月29日
■親本:改造: :1923(大正12)年
■底本:現代日本文學大系 36 長與善郎・野上彌生子集:筑摩書房:1971(昭和46)年

「オヽ!」と叫んで飛び上つた。  ▽52216.614 「オヽ、之だ! 之だ!」彼は拳を空に打ち振つて喚いた。「オヽ、今こそ、俺はあの聖像を造らう! あゝ、もう俺に造れる! 造れる! 有り難い!」  ▽52216.615 一四  ▽52216.616 其翌日、彼が伯母に起された時にはもう午を過ぎたうらゝかな日が真上から長崎の町を照らしてゐる頃だつた。▼隈なく▲晴れ上つた紺青の冬の空の下に、雪にぬれた家々の甍から陽炎のやうに水蒸気がゆらゆらと長閑に立ち上つてゐた。  ▽52216.617 伯母は彼の枕許で役人が来た事を知らせてゐた。  ▽52216.618 「え? 役人?」  ▽52216.619 裕佐はドキリとして思はず身を起した。「掴まへに来たのか?」彼は昨夜捕手に向つて云ひ放つた自分の夢中な言葉を不意   「隈なく」#193 52216.616

「隈なく」#194 760.75

■『硝子戸の中』(がらすどのうち)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「朝日新聞」1915(大正4)年1月13日~2月23日
■親本:筑摩全集類聚版夏目漱石全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:夏目漱石全集10:ちくま文庫、筑摩書房:1988(昭和63)年

た。  ▽760.73 私は服薬の時間を計るため、客の前も憚からず常に袂時計を座蒲団の傍に置く癖をもっていた。  ▽760.74 「もう十一時だから御帰りなさい」と私はしまいに女に云った。女は厭な顔もせずに立ち上った。私はまた「夜が更けたから送って行って上げましょう」と云って、女と共に沓脱に下りた。  ▽760.75 その時美くしい月が静かな夜を残る▼隈なく▲照らしていた。往来へ出ると、ひっそりした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。私は懐手をしたまま帽子も被らずに、女の後に跟いて行った。曲り角の所で女はちょっと会釈して、「先生に送っていただいてはもったいのうございます」と云った。「もったいない訳がありません。同じ人間です」と私は答えた。  ▽760.76 次の曲り角へ来たとき女は「先生に送   「隈なく」#194 760.75

「隈なく」#195 776.490

■『草枕』(くさまくら)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「新小説」1906(明治39)年9月
■親本:筑摩全集類聚版夏目漱石全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:夏目漱石全集3:ちくま文庫、筑摩書房:1987(昭和62)年

.490 すぽりと浸かると、乳のあたりまで這入る。湯はどこから湧いて出るか知らぬが、常でも槽の縁を奇麗に越している。春の石は乾くひまなく濡れて、あたたかに、踏む足の、心は穏やかに嬉しい。降る雨は、夜の目を掠めて、ひそかに春を潤おすほどのしめやかさであるが、軒のしずくは、ようやく繁く、ぽたり、ぽたりと耳に聞える。立て籠められた湯気は、床から天井を▼隈なく▲埋めて、隙間さえあれば、節穴の細きを厭わず洩れ出でんとする景色である。

776.491 秋の霧は冷やかに、たなびく靄は長閑に、夕餉炊く、人の煙は青く立って、大いなる空に、わがはかなき姿を托す。様々の憐れはあるが、春の夜の温泉の曇りばかりは、浴するものの肌を、柔らかにつつんで、古き世の男かと、われを疑わしむる。眼に写るものの見えぬほど、濃くまつ   「隈なく」#195 776.490

「隈なく」#196 1746.1581

■『それから』(それから)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「東京朝日新聞」、「大阪朝日新聞」1909(明治42)年6月27日〜10月4日
■底本:漱石全集 第六巻:岩波書店:1994(平成6)年

に観て、一順其関係比例を頭の中で調べた上、  ▽1746.1580 「善からう」と云つて、又家を出た。さうして一二丁歩いて、乗り付けの帳場迄来て、奇麗で早さうな奴を択んで飛び乗つた。何処へ行く当もないのを好加減な町を名指して二時間程ぐる/\乗り廻して帰つた。  ▽1746.1581 翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立つて、左右前後を一応▼隈なく▲見渡した後、  ▽1746.1582 「宜しい」と云つて外へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶら/\歩いて帰つた。  ▽1746.1583 三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡つて、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかつたかの様に、  ▽1746.1584 「何故夫から入らつしやらなかつたの」と聞いた   「隈なく」#196 1746.1581

「隈なく」#197 56143.1499

■『それから』(それから)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「東京朝日新聞」、「大阪朝日新聞」1909(明治42)年6月27日〜10月4日
■底本:それから:新潮文庫、新潮社:1948(昭和23)年

一順その関係比例を頭の中で調べた上、  ▽56143.1498 「善かろう」と云って、又家を出た。そうして一二丁歩いて、乗り付けの帳場まで来て、奇麗で早そうな奴を択んで飛び乗った。何処へ行く当もないのを好加減な町を名指して二時間程ぐるぐる乗り廻して帰った。  ▽56143.1499 翌日も書斎の中で前日同様、自分の世界の中心に立って、左右前後を一応▼隈なく▲見渡した後、  ▽56143.1500 「宜しい」と云って外へ出て、用もない所を今度は足に任せてぶらぶら歩いて帰った。  ▽56143.1501 三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡って、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかったかの様に、  ▽56143.1502 「何故それからいらっしゃらなかったの」   「隈なく」#197 56143.1499

「隈なく」#198 765.351

■『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「朝日新聞」1912(明治45)年1~4月
■親本:筑摩全集類聚版夏目漱石全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:夏目漱石全集6:ちくま文庫、筑摩書房:1988(昭和63)年

間に女の坐っているすぐ傍まで行って背中合せに第二列の食卓につこうとした。その時男は顔を上げて、まだ腰もかけず向も改ためない敬太郎を見た。彼の食卓の上には支那めいた鉢に植えた松と梅の盆栽が飾りつけてあった。彼の前にはスープの皿があった。彼はその中に大きな匙を落したなり敬太郎と顔を見合せたのである。二人の間に横わる六尺に足らない距離は明らかな電灯が▼隈なく▲照らしていた。卓上に掛けた白い布がまたこの明るさを助けるように、潔ぎいい光を四方の食卓から反射していた。敬太郎はこういう都合のいい条件の具備した室で、男の顔を満足するまで見た。そうしてその顔の眉と眉の間に、田口から通知のあった通り、大きな黒子を認めた。

765.352 この黒子を別にして、男の容貌にこれと云った特異な点はなかった。眼も鼻も口も   「隈なく」#198 765.351

「隈なく」#199 765.1016

■『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「朝日新聞」1912(明治45)年1~4月
■親本:筑摩全集類聚版夏目漱石全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:夏目漱石全集6:ちくま文庫、筑摩書房:1988(昭和63)年

で半ば呆れたような顔をして、「何ですね女の癖にそんな軽機な真似をして。これからは後生だから叔母さんに免じて、あぶない悪ふざけは止しておくれよ」と頼んでいた。千代子はただ笑いながら、大丈夫よと答えただけであったが、ふと縁側の椅子に腰を掛けている僕を顧みて、市さんもそう云う御転婆は嫌でしょうと聞いた。僕はただ、あんまり好きじゃないと云って、月の光の▼隈なく▲落ちる表を眺めていた。もし僕が自分の品格に対して尊敬を払う事を忘れたなら、「しかし高木さんには気に入るんだろう」という言葉をその後にきっとつけ加えたに違ない。そこまで引き摺られなかったのは、僕の体面上まだ仕合せであった。

765.1017 千代子はかくのごとく明けっ放しであった。けれども夜が更けて、母がもう寝ようと云い出すまで、彼女は高木の事   「隈なく」#199 765.1016

「隈なく」#200 782.4771

■『明暗』(めいあん)
■著者:夏目 漱石(なつめ そうせき):1867年2月9日~1916(大正5)年12月9日
■初出:「朝日新聞」1916(大正5)年5月26日~12月14日
■親本:筑摩全集類聚版夏目漱石全集:筑摩書房:1971(昭和46)年
■底本:夏目漱石全集9:ちくま文庫、筑摩書房:1988(昭和63)年

なったりする不定な渦が、妙に彼を刺戟した。

782.4771 あたりは静かであった。膳に向った時下女の云った通りであった。というよりも事実は彼女の言葉を一々首肯って、おおかたこのくらいだろうと暗に想像したよりも遥かに静かであった。客がどこにいるのかと怪しむどころではなく、人がどこにいるのかと疑いたくなるくらいであった。その静かさのうちに電灯は▼隈なく▲照り渡った。けれどもこれはただ光るだけで、音もしなければ、動きもしなかった。ただ彼の眼の前にある水だけが動いた。渦らしい形を描いた。そうしてその渦は伸びたり縮んだりした。

782.4772 彼はすぐ水から視線を外した。すると同じ視線が突然人の姿に行き当ったので、彼ははっとして、眼を据えた。しかしそれは洗面所の横に懸けられた大きな鏡に映る自分の   「隈なく」#200 782.4771

「隈なく」#201 54622.170

■『銭形平次捕物控』(ぜにがたへいじとりものひかえ)
■著者:野村 胡堂(のむら こどう):1882(明治15)年10月15日~1963(昭和38)年4月14日
■初出:「オール讀物」文藝春秋社、1931(昭和6)年6月号
■底本:錢形平次捕物全集第九卷 幻の民五郎:同光社磯部書房:1953(昭和28)年

笹野新三郎に別れて、八丁堀の往來へ出ると、ポンと彈き上げたのは、例の錢占の青錢、落ちて來るのを平掌に受けて開くと、それが形。  ▽54622.168 「――吉と來あがる、しめ、しめ」  ▽54622.169 兩袖を合せてポンと叩くと、そのまゝ彌造を拵へて、小日向へ早足になります。  ▽54622.170 赤井の屋敷に着いて、足尾喜内に案内さして、邸内▼隈なく▲探しましたが、今度は千兩箱と違つて、泉水に沈める筈もなし、全く見當が付きません。  ▽54622.171 主の左門に逢つて、  ▽54622.172 「人に怨を受ける覺えは――?」  ▽54622.173 と聽くと、若い時は名題の疳癖で、隨分横車を押し切つて居るから、何處から怨を受けて居るか、見當も付かないと言ふ有樣、今度は赤井左門も萎れ返つて、口を   「隈なく」#201 54622.170

「隈なく」#202 55649.106

■『銭形平次捕物控』(ぜにがたへいじとりものひかえ)
■著者:野村 胡堂(のむら こどう):1882(明治15)年10月15日~1963(昭和38)年4月14日
■初出:「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年8月号
■底本:錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞:同光社磯部書房:1953(昭和28)年

兄哥に言はせると、これも怪しいんだらう、行つて訊いてみな」  ▽55649.103 「へツ」  ▽55649.104 八五郎一ぺんに悄氣て了ひました。河内山の芝居でも解る通り、寛永寺の役僧は見識のあつたもので、町方の御用聞などは、指も差せるものではありません。  ▽55649.105 四  ▽55649.106 萬七と清吉とガラツ八は、もう一度寺の中を▼隈なく▲見て廻りました。庫裡の八疊の床の間には、濡れた千兩箱を三つ置いて、少し汚點になつた跡が今でも判りますが、押入にも、納戸にも、床下にも、天井裏にも、須彌壇の下にも、位牌堂にも、竈の下にも、千兩箱などは影も形もありません。小さいものと違つて、かなり大きい上、一つ/\の重さが五六貫目もあるのですから、これだけ搜してなければ、先づ寺内にはないものと思は   「隈なく」#202 55649.106

「隈なく」#203 55649.397

■『銭形平次捕物控』(ぜにがたへいじとりものひかえ)
■著者:野村 胡堂(のむら こどう):1882(明治15)年10月15日~1963(昭和38)年4月14日
■初出:「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年8月号
■底本:錢形平次捕物全集第十三卷 焔の舞:同光社磯部書房:1953(昭和28)年

を覺悟で口を緘んでゐるのは、全く何うしようもなかつたのでした。  ▽55649.395 平次は毎日のやうにお通の茶店へ行きました。  ▽55649.396 「その時川に船は居なかつた――。二人であの大夕立の中を三つの千兩箱を持つて遠くへ逃げられる道理はない」  ▽55649.397 平次はさういつた見當で、橋の下、石垣、川の中、近所の物置、床下など、▼隈なく▲搜しましたが、何として見付かりません。  ▽55649.398 丁度一月目。  ▽55649.399 平次は搜し疲れて、お通の茶店の奧に、うつら/\と居睡りして居りました。  ▽55649.400 「おや、もう正午かい」  ▽55649.401 上野の鐘を遠く聞いて、思はず起上ると、目の下の川の水肌に、何やら光る物が浮いて居ります。平次はその儘手摺を飛   「隈なく」#203 55649.397

「隈なく」#204 47768.19

■『撞球室の七人』(どうきゅうしつのしちにん)
■著者:橋本 五郎(はしもと ごろう):1903(明治36)年5月1日~1948(昭和23)年5月29日
■初出:「探偵」駿南社、1931(昭和6)年6月号
■底本:「探偵」傑作選 幻の探偵雑誌9:光文社文庫、光文社:2002(平成14)年

ここではその冗々しい取り調べの様を叙述する必要はない。黒子の男は確に短刀様の兇器で殺られたものであること、年齢は三十六七歳で、懐中には大型蟇口一個、現金四十五円参銭、それから女持金指輪二個を所有していた他、身許を知るよすがともなるようなものは一切発見出来なかったこと――くらいで充分であろう。いや確かに他殺と認められたに拘わらず、その兇器が、室内▼隈なく▲、それから七人の男達の検査が厳重にされたにも拘わらず、ついに発見出来なかったことだけは書き落してはならない。

47768.20 ゲーム取りの言葉によれば、黒子の男は福原某と呼んで、話の様子ではこれと決った商売はないらしい。近くとのことではあるが家もどのあたりか解らない。三ヶ月ばかり前から、毎夜のようにやって来る常連のひとりだとのことであった。   「隈なく」#204 47768.19

「隈なく」#205 45987.20

■『芳川鎌子』(よしかわかまこ)
■著者:長谷川 時雨(はせがわ しぐれ):1879(明治12)年10月1日~1941(昭和16)年8月22日
■親本:近代美人伝:サイレン社:1936(昭和11)年
■底本:新編 近代美人伝 (上):岩波文庫、岩波書店:1985(昭和60)年

ろうと思ったが黙っている訳に行かぬから、今回情死した鎌子夫人の許可を得て置こうと思ってその室に訪ねて行って見ると、夫人の姿も見えない。多分御隠居(顕正伯)の室にでもいるだろうと思ってこの事を家令に告げた。家令は御隠居のところに行って見たが其処にも夫人の姿は見えない。ところへ主人の寛治氏が帰って来たので、鎌子夫人及び運転手のおらぬ事を告げ、邸内を▼隈なく▲探したがとんとわからぬ。すでに夜も遅いことなり、いずれ帰って来るだろうと思ってそのままに寝てしまった。然るに七日の朝になっても帰らぬので寛治氏も大いにおどろき、この事を友人なる自分に電話をかけ、昨夜来のことを告げるので、自分は『そんな事があるものか』と直に自動車で伯邸に赴いた。前記の次第をきいて、事実の疑うべからざるに驚いた。それで自分は警視庁   「隈なく」#205 45987.20

「隈なく」#206 42752.91

■『時と永遠』(ときとえいえん)
■著者:波多野 精一(はたの せいいち):1877(明治10)年7月21日~1950(昭和25)年1月17日
■底本:時と永遠:岩波書店:1943(昭和18)年

が――優越性とを付與しつつ、固定することによつて行はれる。自己性の契機のみを代表するものとして斯の如き形象即ち純粹形相は、生の最も顯はなる姿それの眞實の存在――プラトンが onts on 又は ousia と呼んだもの――を開示するであらう。他者性を代表する形象は後ろに置き棄てられるゆゑ、客體面の凹凸波動は跡を絶ち、實在性の曇りは吹き拂はれて、▼隈なく▲澄みわたる客體面に、各それ自らの明るさに照りはえる存在の靜かな姿のみが、見入る觀想の眼に留まるであらう。これが哲學の世界である。文化的生の及ぶ限り自然的生よりの解放は哲學において最も完全に行はれる。

42752.92 尤も異なつた第二の道を取る可能性はなほ殘されてゐる。客體の他者性の強化それの實在性への徹底はかくの如き純粹形相純粹客體の場合に   「隈なく」#206 42752.91

「隈なく」#207 42752.201

■『時と永遠』(ときとえいえん)
■著者:波多野 精一(はたの せいいち):1877(明治10)年7月21日~1950(昭和25)年1月17日
■底本:時と永遠:岩波書店:1943(昭和18)年

ぬ。殘るは觀想である。吾々が觀想及びそれの時間的性格について語つた所は大要次の通りである(一)。觀想も一種の活動である。ただそれは自ら活動でありながら活動の性格を脱却し克服することによつて文化的生本來の志向を貫徹しようとする。そのことは主體が自己表現を成就して他者を自己性の實現の從順なる器と化せしめるを意味する。客體は主體を表現し盡し主體は殘る▼隈なく▲顯はとなることによつて、もはや働きかける自己性も働きかけられる他者性も跡を留めず、自己性と他者性との間の緊張動搖は全く解除を告げるに至る。自らの隱れたる中心を有せぬ觀念的存在者としての本來の性格を完全に發揮し得た客體に對し、主體は靜かに息ひつつ客體の澄み切つた顯はなる姿に見入るのみである。これが觀想である。觀想において文化的生の時間的性格も徹底   「隈なく」#207 42752.201

「隈なく」#208 42752.220

■『時と永遠』(ときとえいえん)
■著者:波多野 精一(はたの せいいち):1877(明治10)年7月21日~1950(昭和25)年1月17日
■底本:時と永遠:岩波書店:1943(昭和18)年

界をさらにそれの根源の高次的實在者へと、還元しようとする。しかるにそのことは超越なしには不可能であり、超越は高次的客體によつてなされねばならぬ故、結局は内在的形而上學も超越的形而上學によつてのみ形而上學の資格を得るのである。それ故觀念主義の形而上學以外に形而上學は無いといつても過言ではないであらう。さて觀念的存在者は、純粹の本質においては、殘る▼隈なく▲顯はなるものとして、何ものかがその中に入り來るを拒む隱れたる中心、實在者としての中心、を全く缺く故、それを直接に實在者の位に据ゑることは本來禁じられてゐる事柄である。しかもプラトン以來數多くの大思想家たちがこの許されぬ道に踏入つた事實は、實在者との交はりによつてのみ生は成立つこと、從つて實在者への希求は人間性の最深最奧の本質に根ざすことを教へる   「隈なく」#208 42752.220

「隈なく」#209 42752.311

■『時と永遠』(ときとえいえん)
■著者:波多野 精一(はたの せいいち):1877(明治10)年7月21日~1950(昭和25)年1月17日
■底本:時と永遠:岩波書店:1943(昭和18)年

といふやうな多義性・不連續性は存在しない。しかるにかくの如き事態は宗教的象徴の場合においては發生するのである。尤も神の愛が單純なる事實となり永遠性のみが純粹に存在の性格をなすに至つたと假定すれば――かくの如き事態は後にも説く如く宗教的主體の切なる希望の對象であるに相違ないが――假りにこの事態が實現されたとすれば、一切の存在は、直接的にしかも殘る▼隈なく▲餘す蔭もなく、神聖者を顯はにする象徴となるであらう。そこでは、現實の世界においては避けられぬ或る程度の間接性、即ち觀念と觀念との間に存する多義性、一がそれ自らでありながら更に他と聯關しつつ他を表現し又は他によつて表現され、更にいづれも内容的他者でありながら同一自己性の表現としての性格を擔ふといふ程度の多義性さへも全く跡を絶つ。かくの如き純粹なる   「隈なく」#209 42752.311

「隈なく」#210 42752.360

■『時と永遠』(ときとえいえん)
■著者:波多野 精一(はたの せいいち):1877(明治10)年7月21日~1950(昭和25)年1月17日
■底本:時と永遠:岩波書店:1943(昭和18)年

り、いづれにせよ自らの力によつて、死に打勝ちつつ固有の存在を繼續するとなす點に存する。この思想の根源を突止めれば、有はあくまでも有であり、自己はあくまでも自己であり、他者と相容れず無を斥けるといふ自然的文化的生並びにそれの惡しき有限性と根本惡との立場に還元される。この立場即ち現實的生の立場に立つ以上、有が底の底まで無であるといふこと、自己が殘る▼隈なく▲他者の象徴となるといふこと、は考へ難き事である。永遠の光に照されぬ以上、考へ難き事を有り得ぬ事として排斥するは當然である。しかもこの不可能事が事實として起るのが惠みである。すでにこの現實的生においても愛の啓示はかかる不思議かかる奇蹟であつた。その奇蹟の徹底化、永遠そのものの、屈折による閃きだけではなく、目のあたり見る否全身をもつて浴びる光の直射   「隈なく」#210 42752.360

「隈なく」#211 1847.4

■『苦しく美しき夏』(くるしくうつくしきなつ)
■著者:原 民喜(はら たみき):1905(明治38)年11月15日~1951(昭和26)年3月13日
■底本:夏の花・心願の国:新潮文庫、新潮社:1973(昭和48)年

横わると、殆どすべての抵抗がとれて、肉体の疵も魂の疼も自ら少しずつ医されてゆく椅子――そのような椅子を彼は夢想するのだった。その純白なサナトリウムは気に満ちた山の中腹に建っていて、空気は肺に泌み入るように冷たいが、陽の光は柔かな愛撫を投げかけてくれる。そこでは、すべての物の象ががっちりとして懐しく人間の眼に映ってくる。どんな微細な症状もここでは▼隈なく▲照らし出されるのだが、そのかわり細胞の隅々まで完膚なきまで治療されてゆく。厳格な規律と、行きとどいた設備、それから何よりも優しい心づかい、……そうしたものに取囲まれて、静かな月日が流れてゆく。人は恢復期の悦びに和らぐ眸をどうしても向うに見える樹木の残映にふりむけたくなるのだ……。

1847.5 今、あたりは奇妙に物静かだった。いつも近所合壁の   「隈なく」#211 1847.4

「隈なく」#212 46129.85

■『顎十郎捕物帳』(あごじゅうろうとりものちょう)
■著者:久生 十蘭(ひさお じゅうらん):1902(明治35)年4月6日~1957(昭和32)年10月6日
■底本:久生十蘭全集 Ⅳ:三一書房:1970(昭和45)年

の間は役人溜りで弓矢鉄砲などもおいてある。表の間は船頭溜り、※[#「舟+夾」、186-上-17]の間は船頭と二番頭の部屋で、艫の間は釜場になっている。下棚の艫の間は牢格子のついた四間四方の船牢になり、表の間と胴の間は船倉で島々へおくる米、味噌、雑貨などを積みこむ。  ▽46129.85 漁師たちは手わけをして、ひと手は上棚、ひと手は下棚にくぐって▼隈なく▲さがしまわったが、依然としてどこにもひとの姿はない。しまいには、下棚の底板を剥がして敷や柱床までのぞきこんだが、鼠一匹でてこなかった。  ▽46129.86 帆さきと艫に油灯がついているところを見ると、すくなくとも昨夜の六ツ半ごろまではたしかにこの船にひとのいたということは、油灯の菜種油のへりぐあいを見てもすぐわかる。  ▽46129.87 ゆうべ   「隈なく」#212 46129.85

「隈なく」#213 46103.61

■『奥の海』(おくのうみ)
■著者:久生 十蘭(ひさお じゅうらん):1902(明治35)年4月6日~1957(昭和32)年10月6日
■初出:「別冊週刊朝日」1956(昭和31)年4月
■底本:久生十蘭全集 Ⅱ:三一書房:1970(昭和45)年

で差し出るのは、少々、念が入りすぎている。しっかり者とは知っているが、これには金十郎も、ちょっと脅えた。  ▽46103.61 どうしたのか、その夜も帰ってこない。実家へ遊びに行って、帰りそびれているのだろうと、召次の舎人に聞きあわせると、実家にお帰りはなかったという。御菜の油屋へも行っていない。尼院の築地の中にでも隠れこんだかと、足を棒にして、▼隈なく▲探しまわったが、消息ほどのものも、つかむことはできなかった。  ▽46103.62 八月十二日に大風が吹いた。八朔の朝、奥羽に吹き起って関東一帯を荒れまわり、田畑を流して不作にとどめを刺した。天保四年の夏嵐のつづきだが、京都の近郊では、樹々の倒れるもの数知れず、諸所の堤が切れて洪水になった。  ▽46103.63 長屋では、瓦が飛んで壁がぬけるとい   「隈なく」#213 46103.61

「隈なく」#214 46076.2153

■『魔都』(まと)
■著者:久生 十蘭(ひさお じゅうらん):1902(明治35)年4月6日~1957(昭和32)年10月6日
■初出:「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
■底本:久生十蘭全集 Ⅰ:三一書房:1969(昭和44)年

土蔵の腰巻が始まる。貝折釘に飛び付きさえすれば容易に下まで降りることが出来るが、土蔵の釘は料理場の棟より約一尺ほど下についているので、この四尺の露次を隔ててうまくそれに飛び付くことは、よほどの熟練を要するわけである。真名古は「すず本」を出て、質屋と庇合の露次口へ廻り、土蔵の壁に梯子を立て掛けて先ほどの貝折釘の側まで登って行き、折釘の周囲の壁面を▼隈なく▲懐中電燈で照らして見る。見廻すほどもなく、その壁面に、ある人間の行動を説明するに足る、興味ある象形文字が描かれているのを発見した。それは何であるかといえば、爪で引っ掻いたような三本の掻き痕である。土蔵の壁は堅いのでさほど深くは抉れていないが、それでも明瞭に読み取ることが出来るほどで、貝折釘の二寸ほど下のあたりから垂直に一尺ほど掻き取られてある。   「隈なく」#214 46076.2153

「隈なく」#215 46076.2154

■『魔都』(まと)
■著者:久生 十蘭(ひさお じゅうらん):1902(明治35)年4月6日~1957(昭和32)年10月6日
■初出:「新青年」博文館、1937(昭和12)年10月~1938(昭和13)年10月
■底本:久生十蘭全集 Ⅰ:三一書房:1969(昭和44)年

条件はまず充分である。真名古は縁側の雨戸を繰り開けて注意深く庭先に降り立つ。この頃の霜壊で庭の土が極めて脆くなり、地面が鼠の塚のように盛れ上って、堅い地面との間は空隙が出来ているから、わりに軽い物体でもその上に置かれれば跡を残さないということはない。現に真名古の靴跡などは、ちょうど灰の中に靴を踏み込んだように二寸ほど土の中にめり込んでしまった。▼隈なく▲そのあたりを探してみたが、足跡らしいものは一つもない。十二月二十七日以来東京には降雨がなく、また風も吹かない。四銃士の一人が、庭の方からは絶対に人が抜け出した跡がないと調査の結果を述べたのは、この器質的な条件のことをいったのである。印東の隣りの部屋はその夜客がなく、一つおいた奥の部屋に村雲笑子とサクソフォーン吹きのウイルソンというのがいた。その   「隈なく」#215 46076.2154

「隈なく」#216 1858.552

■『晶子鑑賞』(あきこかんしょう)
■著者:平野 万里(ひらの ばんり):1885(明治18)年5月25日~1947(昭和22)年2月10日
■底本:晶子鑑賞:三省堂:1949(昭和24)年

は簡単に極めてしまつて疑はない。しかし妻である私はさうは思はない、半信半疑である、死んだやうでもあり、そのうちに旅から帰つて来さうでもある。他人の様に簡単に片づけられないのが妻の場合である。  ▽1858.551 麦の穂の上なる丘の一つ家隈無く戸あけ傘造り居ぬ  ▽1858.552 恐らく昔の渋谷の奥の方ででも見た実景を単に写生したものであらうが、▼隈なく▲戸あけが旨いと思ふ、景色の中心がよく掴まれてゐる。  ▽1858.553 人の世に君帰らずば堪へ難し斯かる日既に三十五日  ▽1858.554 如何かしてまた帰つて来るうな気がして毎日を送つて居るのだが、ほんたうにこの世へは帰らないのだとすればそれは堪へ難いことである。斯ういふ空頼めを抱いての日送りも既に三十五日になるが何時迄続くのであらう。  ▽1   「隈なく」#216 1858.552

「隈なく」#217 3198.40

■『文学方法論』(ぶんがくほうほうろん)
■著者:平林 初之輔(ひらばやし はつのすけ):1892(明治25)年11月8日~1931(昭和6)年6月15日
■底本:平林初之輔文藝評論集 上巻:文泉堂書店:1975(昭和50)年

かを辿ることで満足しなければならぬ。自然主義以後にも、重要な文学の諸流派が起つたことは事実であるが、それらは、あまりに雑多性と複雑性とに富んでをり、且つ、それらの起つた時代が、あまりに現代に接近し過ぎてゐるために、科学的研究の素材とするには不適当でもあるし、私の現在の企画は、たゞ、私の研究方法の例証を示すことにあるのであつて近代文学の諸相を残る▼隈なく▲研究することではないからでもある。  ▽3198.41 二  ▽3198.42 古典文学は、如何なる社会的環境のもとに発生し、成育していつたか? 私は、テエヌが、『芸術哲学』の中で、フランスの古典悲劇について語つてゐるところを殆んどそのまゝこゝで引用することによつて、この問に最もよく答へ得ると思ふ。  ▽3198.43 彼は、中世紀の文明と建築との関   「隈なく」#217 3198.40

「隈なく」#218 18330.725

■『ワンダ・ブック――少年・少女のために――』(ワンダ・ブック――しょうねん・しょうじょのために――)
■著者:ホーソーン ナサニエル:1804年7月4日~1864年5月19日
■翻訳:三宅 幾三郎(みやけ いくさぶろう):1897(明治30)年10月15日~1941(昭和16)年5月1日
■底本:ワンダ・ブック:岩波書店、岩波文庫:1937(昭和12)年

18330.725 その老夫婦は、こんな風にして、長い長い間その邸宅に暮らして、だんだん年を取って、大変な年寄になりました。ところが、とうとう夏の或る朝のこと、いつもならば二人のやさしい顔に、同じような、親切な微笑を一杯に浮かべて、ゆうべから泊まっている客を朝飯に呼びに来るのに、その姿が見えませんでした。客達は、その広い邸宅の上から下まで、▼隈なく▲捜してみましたが、まるで駄目でした。しかし、いろいろと頭をひねった末、彼等は玄関の前に、二本の古い木を見つけました。昨日まで、誰もそんなところに木の生えているのを見た覚えはなかったのです。それでも、それらの木は、根を深く土におろして生えていて、その大きくひろがった枝葉が、邸宅の正面一杯に影を落していました。一本は樫の木で、他の一本は菩提樹でした   「隈なく」#218 18330.725

「隈なく」#219 1872.376

■『法窓夜話』(ほうそうやわ)
■著者:穂積 陳重(ほづみ のぶしげ):1855年8月23日~1926(昭和元)年4月7日
■親本:法窓夜話:有斐閣:1926(大正15)年
■底本:法窓夜話:岩波文庫、岩波書店:1980(昭和55)年

であるが、一日我輩は岡田朝太郎博士ら数名とともにこのエジェリヤの遺跡というを訪ねた事があった。清冽掬するに堪えたる涙泉の前に立って、我輩は巻煙草を燻らしながら得意にエジェリヤの昔譚を同行の諸氏に語りつつ、時の移るを忘るるほどであったが、いざ帰ろうという時になって、先ほど煙草の口を切ったはずのナイフの見えぬのに気が付いた。ここか、かしこかと、残る▼隈なく▲一同で尋ねて見たけれども、遂に見当らぬので、結局涙泉の中に落したのであろうということに定った。この時岡田博士、即座に、  ▽1872.377 エジェリヤがワイフ気取りの聖森  ▽1872.378 ナイフ落してシクジリの森  ▽1872.379 [#改ページ]  ▽1872.380 四五 伊達氏の法典「塵芥集」  ▽1872.381 「塵芥集」とは奥州の伊   「隈なく」#219 1872.376

「隈なく」#220 47912.70

■『詩集「窓」』(ししゅう「まど」)
■著者:堀 辰雄(ほり たつお):1904(明治37)年12月28日~1953(昭和28)年5月28日
■初出:「むらさき 第五巻第三号」1938(昭和13)年3月号
■底本:堀辰雄作品集第五卷:筑摩書房:1982(昭和57)年

人の別離を歌つた詩だ。插繪は一人の若い女が窓に身をのり出して、去りゆく戀人に向つて絶望したやうに手を振つてゐる。髮さへふりみだしながら……  ▽47912.67 別れるとき窓から身をのり出すやうにしてゐた  ▽47912.68 お前の姿をまざまざと目にしながら、  ▽47912.69 私ははじめてわが身うちの深淵に氣づき、  ▽47912.70 それを▼隈なく▲知つてわが物となした……  ▽47912.71 お前はその腕を闇の方へ向けて  ▽47912.72 私にそれを振つて見せながら、  ▽47912.73 私がお前から切り離して自分と一しよに持つて來たものを、  ▽47912.74 私から更に切り離して、それを出て行かせた。……  ▽47912.75 お前のその別離の手ぶりは、  ▽47912.76 永久の別   「隈なく」#220 47912.70

「隈なく」#221 47935.115

■『窓』(まど)
■著者:リルケ ライネル・マリア:1875(明治8)年12月4日~1926(昭和元)年12月29日
■翻訳:堀 辰雄(ほり たつお):1904(明治37)年12月28日~1953(昭和28)年5月28日
■初出:「晩夏」甲鳥書林、1941(昭和16)年9月20日
■底本:堀辰雄作品集第五卷:筑摩書房:1982(昭和57)年

いと、  ▽47935.109 お前の姿ははつきりと掴めない。  ▽47935.110 いまは全くその姿を包んでゐるお前の窓掛け、  ▽47935.111 おお、空虚の衣!  ▽47935.112   ▽47935.113 最後の日の窓に身を傾けてゐた  ▽47935.114 お前の姿を目のあたりに見ながらだつた、  ▽47935.115 私がわが身の深淵を▼隈なく▲知つて、  ▽47935.116 それをはじめてわが物となしたのは。  ▽47935.117 お前はその腕を闇の方へ向けて  ▽47935.118 私にそれを振つて見せながら、  ▽47935.119 私がお前から切り離して自分と一しよに持つて來たものを  ▽47935.120 私から更に切り離して、逃げて行つてしまはせた……  ▽47935.121 お前   「隈なく」#221 47935.115

「隈なく」#222 46473.139

■『運命のSOS』(うんめいのエスオーエス)
■著者:牧 逸馬(まき いつま):1900(明治33)年1月17日~1935(昭和10)年6月29日
■底本:世界怪奇実話Ⅰ:桃源社:1969(昭和44)年

四日の日曜は、終日全力を挙げてこの運命の目的地へ急いだ訳だ。午前は一等船客の礼拝、晩餐後、二等船客がサルンに集まって讃美歌を合唱する。  ▽46473.137 皆聞き慣れた祈祷の文句と歌調を耳に宿して寝に就く。  ▽46473.138 非道い寒さで、散歩に甲板へ出るどころではなかった。  ▽46473.139 好奇と感嘆の眼を輝かして、暇に任せて船内▼隈なく▲見て廻った船客の誰もが気が付かなかった一つの欠点を、タイタニック号は有っていた。それは、これだけの船でたった二十の救命艇しか積んでいなかった一事である。しかも、そのうち最大のボウトでさえも、僅かに六十人を収容するに足る大きさだった。が、船客の中に、こんな瑣末なことに注意を払う者のないのに不思議はない。この、絶対に沈まない船タイタニック号こそはそ   「隈なく」#222 46473.139

「隈なく」#223 46477.10

■『双面獣』(そうめんじゅう)
■著者:牧 逸馬(まき いつま):1900(明治33)年1月17日~1935(昭和10)年6月29日
■底本:世界怪奇実話Ⅰ:桃源社:1969(昭和44)年

一本道である。捜すといったところで、マッカアセイ夫人がケネスのお守りをしている間、シュナイダア夫人とマッカアセイは、その 712 Lorraine Avenue, Brent Creek のシュナイダア家から、学校のある Mt. Morris 町までの途を、ドロシイの歩いて来るであろう逆に、二人で辿ってみるより他なかった。勿論ブレント入江一帯は▼隈なく▲捜索したし、学校友達の家や其処ここの商店にも一々這入り込んで訊いて廻ったが、ドロシイの消息は何処にも発見出来なかった。軈てそろそろ事態の急を意識して、マウント・モウリス町の代理検察官 Harry D. Gleason ハアリイ・D・グリイスンの助力が求められた。近処の店の者なども参加して、今はそれは相当の人数の捜査隊になっていた。彼らは改めて、   「隈なく」#223 46477.10

「隈なく」#224 52894.56

■『青白き公園』(あおじろきこうえん)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「少女 第九十五(十一月号)、九十七、一〇〇、一〇二、一〇五号(御渡欧記念の巻 九月号)」時事新報社、1920(大正9)年10月6日、12月、1921(大正10)年3月、5月、8月8日
■親本:少女 第九十五(十一月号)、九十七、一〇〇、一〇二、一〇五号(御渡欧記念の巻 九月号):時事新報社:1920(大正9)年
■底本:牧野信一全集第一巻:筑摩書房:2002(平成14)年

瞼に青く  ▽52894.49 ちりばめられし宝玉の数々  ▽52894.50 触れなむとせば、  ▽52894.51 われにしも  ▽52894.52 はからぎりき、そは  ▽52894.53 われ流せる涙にてはありしよ  ▽52894.54 さんさんと涙はながる  ▽52894.55 空の果に  海の彼方に……  ▽52894.56 と、口吟みつゝ、月光の▼隈なく▲照り添ふてゐる露台に、両の腕を軽く胸のあたりに組み合せて「春はあけぼの、やう/\白うなりゆく」微風の如くに、そよろと忍び出たのは、「青白き公園」の最初の主人公であるサラミヤ姫なのでありますから――と、姫の心に寄せて、あのお星様を御覧下さい。(「ながれのきしのひともとは」といふ歌は定めし皆さんは御存じの事だらうと想像いたします。)で――。  ▽52   「隈なく」#224 52894.56

「隈なく」#225 45433.12

■『悪筆』(あくひつ)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「新潮 第二十三巻第一号」新潮社、1926(大正15)年1月1日
■親本:新潮 第二十三巻第一号:新潮社:1926(大正15)年
■底本:牧野信一全集第二巻:筑摩書房:2002(平成14)年

に好い工夫はないかな。」  ▽45433.11 別段、反対する程の積極性もなかつたが私は、彼女がそんな重さうな何々色の布などを遥々と買ひに出かける姿を想像したゞけでも何だか憶劫だつた。  ▽45433.12 日増しに陽が深く部屋の中まで射し込むやうになり、この頃では朝私が眼を醒す頃にはすつかり雨戸が明け拡げられて陽は、奥行の二間あまりしかない部屋を▼隈なく▲突き透してゐた。――私は、陽を逃げて、屹度、寝た時とは飛んでもない方向に頭を置いて、それでもまぶしく陽が射して、亀のやうに夜着の中にもぐり込んでゐた。これに辟易して私は、何年振りかで朝起きをするやうになつた。……いつも、春先きの砂浜で昼寝をした時のやうにフラフラと懶い空ツぽの頭で起きあがるべく余儀なくされてゐた。  ▽45433.13 「これで生   「隈なく」#225 45433.12

「隈なく」#226 45433.77

■『悪筆』(あくひつ)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「新潮 第二十三巻第一号」新潮社、1926(大正15)年1月1日
■親本:新潮 第二十三巻第一号:新潮社:1926(大正15)年
■底本:牧野信一全集第二巻:筑摩書房:2002(平成14)年

5433.74 「雨! 雨!」  ▽45433.75 隣室で妻が呟いだ。  ▽45433.76 「雨!」と、私は、吃驚りしたやうに椅子を蹴つて立ちあがつた。パラパラと屋根に鳴る音には私は気づいてゐたのである。落葉の音とばかりに思つて、歯を浮かせてゐたのであつた。  ▽45433.77 みんな葉を落しきつてゐる樹々が、曇つた空に枝を伸べてゐた。見事に、▼隈なく▲樹々の枯葉は落ちきつてゐた。  ▽45433.78 Nからは、その後何の音信にも接しなかつた。――此方の手紙があまりに乾燥無味なのに興を失ふたのかも知れない――などゝ私は、成るべく自分に都合の好いやうな、それにしても一寸寂し気な苦笑を浮べた。  ▽45433.79 また、冬らしい麗らかな日が続き始めたので私は、相変らず昼間のうちは日光室の幕の中で、   「隈なく」#226 45433.77

「隈なく」#227 45423.170

■『環魚洞風景』(かんぎょどうふうけい)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「女性 第八巻第二号」プラトン社、1925(大正14)年8月1日
■親本:女性 第八巻第二号:プラトン社:1925(大正14)年
■底本:牧野信一全集第二巻:筑摩書房:2002(平成14)年

方が聞き返したくなる程の、ウワ言を呟いだ。――もう“Hurrah!”とは聞えなかつた、通俗的な寝言の形容詞通り、ムニヤ/\/\であつた。  ▽45423.168 三  ▽45423.169 「おい、もう好い加減に起きないか! 好い天気だよ、今朝は!」  ▽45423.170 斯う云つた藤村の晴々しい声で私は、突然夢を破られた。――なるほど、飴色の陽が▼隈なく▲満ち溢れてゐた。開け放された窓から射し込んだ光りが、一杯私の顔にまであたつてゐた。――道理で、昏々と眠つてゐた私は、月から滾れ落ちる冷い滴が、乾いた喉をうるほすのに足りないで、水に浮んだ魚の姿で夢中になつてパクパクと滴を貪つてゐた。酒を飲んで寝るので大概私は、何かしら水に関する夢を見るのが常だつたが、この昼間の月の夢は、その滴が、折角稀に落ちて   「隈なく」#227 45423.170

「隈なく」#228 45421.209

■『競馬の日』(けいばのひ)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「祖国 第二巻第十二号」學苑社、1929(昭和4)年12月1日
■親本:西部劇通信:春陽堂:1930(昭和5)年
■底本:牧野信一全集第三巻:筑摩書房:2002(平成14)年

  ▽45421.207 それが、何時もの失策続きと異つて、何も彼も斯んなに円満に解決したかのやうな状態は、何とまあ珍らしい現象だらう!  ▽45421.208 見よ、あのおだやかな妻の姿! 森とユキ子の楽し気な様子! 冬子の眼の輝き! ――私は、順々に彼等の生々とした姿を眺めてゐるだけだつた。  ▽45421.209 そのうちに私の頭も青空のやうに▼隈なく▲晴れ渡つた。  ▽45421.210 「トラベラスを囲んで皆なで写真を撮らうぢやないか!」  ▽45421.211 厩舎の方へ行つてゐた青野が皆なを誘ひに来た。――皆なは即座に賛成して立ちあがつた。  ▽45421.212 「百合ちやん、お父さんを起しておくれよ。トラベラスの輝かしいパトロンがこの写真に入らないといふ法はない。」  ▽45421.213   「隈なく」#228 45421.209

「隈なく」#229 52844.5

■『月評』(げっぴょう)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「読売新聞 第二〇九〇八号、第二〇九〇九号、第二〇九一〇号、第二〇九一二号」読売新聞社、1935(昭和10)年4月26日、27日、28日、30日
■親本:読売新聞 第二〇九〇八号、第二〇九〇九号、第二〇九一〇号、第二〇九一二号:読売新聞社:1935(昭和10)年
■底本:牧野信一全集第六巻:筑摩書房:2003(平成15)年

の文芸調とは云ひ難い。君の逞しい特質と、新時代作家にふさはしい描破力とを僕は別の作で知つてゐる。通俗小説の亡霊になど取り憑かれて、折角の悩みを二倍したまふな。徳田一穂氏の近頃のものは、一連を成す主観的なものであり、僕が読んだ限りでは全部佳作であつた。生活といふものに対して、随分と凝つた眼の所有者であり、淡々と叙してゐる中に、実にも鋭敏なる神経が▼隈なく▲行き渡り、理解力の典雅さに充ち、透明度も深く、そして視野計の狂ひなどは何処にも見出せなかつた。今月の二作「遊び仲間」(文藝)「怠け者」(新潮)など、双つながら、何気ない短篇でありながら、読む者をして舌を巻かせる類ひの力量を示したもので感心した。このやうな生活者に対して、批難の側から声を放つたならば、また何のやうにでも云へるかも知れないが、作者の   「隈なく」#229 52844.5

「隈なく」#230 45351.63

■『心象風景(続篇)』(しんしょうふうけい(ぞくへん))
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「文藝春秋 第十一巻第三号」文藝春秋社、1933(昭和8)年3月、「文藝春秋 第十一巻第六号」文藝春秋社、1933(昭和8)年6月
■親本:酒盗人:芝書店:1936(昭和11)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

なかつたのだらう? 私は、余つ程、あけつぱなしの進化論者のやうに洒々として、その理由を訊ねて見ようかとも思つたが、忽ち嶮しくなりさうな自分の表情を怕れて、思はず罪深い夢を内攻させてしまつた。その翌日私は、画に描いてゐた漁場の、憧れの三階に移つて見たが、三方が硝子張りの、巨大な行灯に似た明る過ぎる展望室には到底居たゝまれなかつた。水槽の魚のやうに▼隈なく▲人々の眼から眺められる自分の姿に戦いて、夜も待たずに薄暗い離室に引きさがるより他に身の置場所を選べなかつた。

45351.64 私は行灯を点した。歌の文字が母の筆蹟であることを確かめた。私は小机の上に展げてある「月光のなかの吊籠」の上に突つ伏して深い吐息を衝いた。

45351.65 籔蔭の撥釣瓶に夕陽の射すところが印象的なので、やがては画に   「隈なく」#230 45351.63

「隈なく」#231 45419.89

■『西瓜喰ふ人』(すいかくうひと)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「新潮 第二十四巻第二号」新潮社、1927(昭和2)年2月1日
■親本:新進傑作小説集12 瀧井孝作集 牧野信一集:平凡社:1929(昭和4)年
■底本:牧野信一全集第三巻:筑摩書房:2002(平成14)年

。電灯を消したことさへ無い。それも以前から見ると、余程大きなのを用ゐてゐるらしく、煌々たる光りが三方の硝子戸を透してあたりの闇を圧しのけてゐる。雨戸であつた頃には、障子の明るさが、そして此処から見ると其処の格構も行灯に違ひなかつた。日が暮れてからは、余等が通りさへしなければ全く人通りの無い処だから好いが、万一通るものがあれば滝の模様は梟の眼にも▼隈なく▲映ずるであらう。

45419.90 あれでは、独りの時は、余以上に退屈なのも無理もない。相手を欲しがつてゐるのはその証拠だらう。余の知らなかつた頃の夜の滝が、矢張あゝだつたのかと思ふとそゞろに憐れみの感さへ涌く。凧の製作に熱中でもするより他に思案の尽きたのも道理だ。何故彼は、余技的な気持で文章が書けないのだらうか、凧の製作の場合だつて彼は、い   「隈なく」#231 45419.89

「隈なく」#232 947.39

■『ゼーロン』(ゼーロン)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「改造」1931(昭和6)年10月
■底本:日本の短篇 下:文藝春秋:1989(平成元)年

る地主の家では井戸換えの模様らしく、一団の人々が庭先に集って眩しく立働いているさまが見える。この一団に気づかれたら、矢っ張り私は追跡されるであろう、なぜなら地主の家で買収した経川の「」を、私は森の拳銃使いの手先きとなって盗み出したことがある。「」の行方に関してはその後私は知らなかったが、地主の一党は私に依ってそれの緒口をつかもうとして私の在所を▼隈なく▲諸方に索めているそうだ。――また遥か左手の社の門前にある居酒屋の方へ眼を転じると、亭主が往来の人をとらえて何か頻りと激した身振りで憤激の煙を挙げているらしい。彼は実に気短かな男で、経川と私が少しばかりの酒代の負債が出来たところが、いつかその支払命令に山を越えてアトリエにやって来た時丁度経川の労作の「マキノ氏像」が完成して二人でそれを眺めていると   「隈なく」#232 947.39

「隈なく」#233 45214.117

■『吊籠と月光と』(つるべとげっこうと)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「新潮」1930(昭和5)年3月
■底本:ゼーロン・淡雪 他十一篇:岩波文庫、岩波書店:1990(平成2)年

みに着用して茶友達の評を仰いで見給え! などと勿体をつけて贈り、絶大な感謝を享けたことがある。)  ▽45214.114 そんな風にしていい争っていたが、七郎丸は不意に手を離してじっと息を殺したかと思うと、片手の平を耳の傍らに翳して、  ▽45214.115 「聞えるだろう!」  ▽45214.116 と力を籠めて囁いた。  ▽45214.117 外は▼隈なく▲冴え渡った月夜である。で、僕は和やかな波の合間に耳を澄して見ると、遥かの彼方からカチン、カチンと頻りに響いている鑿の音が伝って来る。僕は吸い込まれるようにその音の方に耳をそばだてた。  ▽45214.118 あたりの漁家は既にもう一様に燈火を消して眠りに就いたらしい中で、浜辺近くの松林の傍らにある船大工の工房だけが夜業に励んでいるさまが窺われた。   「隈なく」#233 45214.117

「隈なく」#234 45355.32

■『天狗洞食客記』(てんぐどうしょっかくき)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「経済往来 第八巻第八号」日本評論社、1933(昭和8)年7月5日
■親本:酒盗人:芝書店:1936(昭和11)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

.30 「お師匠さんのお許しが出るまでは、お弟子は決して外へ出ることは出来ませんのよ。」

45355.31 と遮つた。

45355.32 ――「その小間使の名前はテルヨさんといふんですがね、主人はとてもこのテルヨさんの上に神経過敏なんだよ。うつかり客がテルヨさんにながしめでも送らうものなら、忽ち木剣を振りあげてお面を喰はさうと、応待中主人は▼隈なく▲監視の眼を光らせてゐるわけなんだから――。ちよいとテルヨさんの方へ挨拶の眼を向けたといふだけでも、忽ち御免蒙るわと来るんだからまあ大概の人は落第するのが常例ですよ、何しろそのテルヨさんといふのが全く夢のやうな、物語にでも出て来さうな美人なんだから誰だつてうつかり見惚れてしまふのさ。――この点、然し、君だけは凡そ不安はなからうと皆なではなし合つて   「隈なく」#234 45355.32

「隈なく」#235 45355.133

■『天狗洞食客記』(てんぐどうしょっかくき)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「経済往来 第八巻第八号」日本評論社、1933(昭和8)年7月5日
■親本:酒盗人:芝書店:1936(昭和11)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

.132 「ひゆう……るるるる……」といふやうな不思議な叫びをあげて私は立ちあがり、腕を構へ、頤(鬚)を撫でゝ、ぎよろりと彼等の姿を視守つたが、忽ち柱のやうに前へのめつて、悶絶しかゝつた。が私は、直ぐに、斯んな態を見られてはこれまでの辛棒も水の泡だ! と呟くと、蜿たる竜の鬚の坂道を、死者狂ひの尺取虫と化けて降りはじめた。  ▽45355.133 ▼隈なく▲紺青に晴れ渡つた空では、一羽の鳶が諧調的な叫びを挙げて、悠々たる大輪を描いてゐた。今、私は自分の感嘆の叫びとおもつたのは、どうやら空を舞ふ鳶の声を聴き間違へたものであつたらしい。  ▽-----------------  ▽  ▽45355.134 底本:「牧野信一全集第五巻」筑摩書房  ▽45355.135 2002(平成14)年7月20日初版第1刷   「隈なく」#235 45355.133

「隈なく」#236 45366.191

■『まぼろし』(まぼろし)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「文藝春秋 オール讀物 第三巻第四号」文藝春秋社、1933(昭和8)年4月1日
■親本:文藝春秋 オール讀物 第三巻第四号:文藝春秋社:1933(昭和8)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

が身装ひを整へるまでの間を此処で待つことを考へると音田は、寧ろその時間が長ければ長い程愉快であつた。彼は石灯籠の裾に蛙のやうにうづくまつて、凝つと浴室のあたりへ眼を凝した。若芽の伸びた藤の房が、もう四五寸で灯籠の蓋にとゞきさうなのが、浴室からの明りでぼんやりと認められた。――いつかの晩の田上達の話の通り、ほんとうに庭先から眺めると家の中の様子が▼隈なく▲窺はれて、まつたく此処で、あんな人影を見たら、活動写真を見るやうだつたらうなどゝ思ひ出すと音田は、その晩のことが、わけもなく滑稽となり、それに引きかへて今宵の自分の立場の悠々たるおもむきが勿体なかつた。

45366.192 「お月様は何時頃あがるんだらう?」

45366.193 海に向つた浴室の窓を開けて、不図百合子が誰かに話す声を音田は耳   「隈なく」#236 45366.191

「隈なく」#237 45221.3

■『村のストア派』(むらのストアは)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「新潮 第二十五巻第六号」新潮社、1928(昭和3)年6月1日
■親本:新進傑作小説集12 瀧井孝作集 牧野信一集:平凡社:1929(昭和4)年
■底本:牧野信一全集第三巻:筑摩書房:2002(平成14)年

赤鉛筆で共鳴の傍線があちこちに誌してある「抽象的観念の実在」――そんな項目の頁を微風に翻してゐた。

45221.3 ついこの間までは大きな鯉が悠々と泳いでゐたが樽野が悉く売り払つてしまつたので泉水は霜枯れ時の運動場のやうに静かで、間が抜けてゐた。いつもなら赤、白、青の鯉が行列をつくつて游ぎ回つてゐるので水底は不断にもや/\と煙つてゐたが、今は▼隈なく▲すき透つて藻の蔭に沈んでゐる蒸汽船や瀬戸物の破片などまでがはつきりと見えたし崖の小笹の間から滾れる水を招んで気ながに湛えた泉水の水なので、一度濁ると容易に魚の姿が判別出来るまでには澄まなかつたが、斯んなに澄み透つた水が満々としてゐるのを見ると妙に空々しく不自然であつた。

45221.4 樽野は庭などを眺めるために椅子に凭つてゐるのではない。彼   「隈なく」#237 45221.3

「隈なく」#238 45369.45

■『夜見の巻』(よみのまき)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「文藝春秋 第十一巻第十二号」文藝春秋社、1933(昭和8)年12月1日
■親本:文壇出世作全集:中央公論社:1935(昭和10)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

方へ火の粉のやうに飛び散つてゐるのだ。彼等はあたふたと逃げ惑つて、道を選ぶ余裕なく取るものも取りあへず流れへ飛び込み田畑をまたいで、雲を霞と壮烈な遁走を試みるのであつた。  ▽45369.44 ゼーロンも私も、あまりに突然の出来事に呆然として、しばし不動の姿勢で、実にも奇異なるけしきを見守るばかりであつた。  ▽45369.45 静かな大空は水色に▼隈なく▲晴れ渡つて、遥かの緑青色に映えた足柄連山の背後にひと塊りの真白な積乱雲が凝つて停滞してゐた。見渡す限りの稲田の中に点々と飛び交ふてゐる人々の有様は蝗採りが始まつたかのやうな光景であつた。  ▽45369.46 ゼーロンは真黒な図太い鼻腔を栓を抜いたやうに開放して息絶れの吐息を濛々と吐き、長い舌を横口からだらりと垂したまゝ、奥の院への坂径をまつしぐ   「隈なく」#238 45369.45

「隈なく」#239 45370.120

■『夜の奇蹟』(よるのきせき)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「文藝春秋 オール讀物号 第一巻第八号(十一月号)」文藝春秋社、1931(昭和6)年11月
■親本:文藝春秋 オール讀物号 第一巻第八号(十一月号):文藝春秋社:1931(昭和6)年
■底本:牧野信一全集第四巻:筑摩書房:2002(平成14)年

「駄目だよ、池部さん、そんな言葉つきぢや――何と今宵の月は、ものゝ見事に澄み渡つてゐることではござらぬか――といふ風に、科白を気をつけて貰ひたいね。」  ▽45370.119 傍らから三谷が、もう大分酩酊して池部と滝尾の膝をポンポンと扇子で叩いたりした。  ▽45370.120 「おゝ、さう云へば三谷殿――夜来の雨は見事に晴れて、庭辺に月の光りが▼隈なく▲冴えた趣きはまことに画に見る風情――早う舞姫達の舞が始まれば好いが……」  ▽45370.121 三谷の隣りにゐる大名の顔を見ると、馬飼ひの親爺であつた。一様に同形の鬘を戴いて、そろひの着附けをつけてゐるので、容易に見定めがつかなかつたが滝尾が順々に注意して見ると、いつの間にか村長や校長や消防隊員の面々などが次々に控へてゐるのであつた。久しい間絶   「隈なく」#239 45370.120

「隈なく」#240 52837.76

■『浪曼的月評』(ろうまんてきげっぴょう)
■著者:牧野 信一(まきの しんいち):1896(明治29)年11月12日~1936(昭和11)年3月24日
■初出:「早稲田文學 第二巻第三号~第五号」早稲田文學社、1935(昭和10)年3月1日~5月1日
■親本:早稲田文學 第二巻第三号~第五号:早稲田文學社:1935(昭和10)年
■底本:牧野信一全集第五巻:筑摩書房:2002(平成14)年

しい悩みの雨に打たれながら勃々たる意気に炎えてゐる彼とを連想することがかなつた。以下のことだつて例を挙げて説明も出来るが、それは兎も角、読みきれなかつたといふのは決して黙殺したといふわけではなく、四五日前も知人から、福田清人氏の「脱出」、豊田三郎氏の「弔花」、中谷孝雄氏の「残夢」等について意見を求められ、少くとも今日は手にする限りの雑誌のものは▼隈なく▲読み、そんな遺憾を繰り返さぬといふところだつたので、必ずとゴツスの誓ひをもつて後日を約したのである。そればかりでなく、わたしは先月坪田譲治氏の「お化けの世界」を、まんまと読み違えて、途方もない非情な言葉を放つてしまつた。それについては、きのふ別の感想記の中に誌したのであるが、同氏がわたし達の先輩であるといふ観念から、見苦しくもわたしは、その多難   「隈なく」#240 52837.76

「隈なく」#241 47601.2158

■『小説 円朝』(しょうせつ えんちょう)
■著者:正岡 容(まさおか いるる):1904(明治37)年12月20日~1958(昭和33)年12月7日
■親本:小説 圓朝:三杏書院:1943(昭和18)年
■底本:小説 圓朝:河出文庫、河出書房新社:2005(平成17)年

47601.2156 「圓朝さん、お前生涯にいっぺんだけそういう装りがしてみたかったんだろう、生れてから今日日までお前の身の周りは何もかもズーッと真っ黒ずくめだったんだものなあ」  ▽47601.2157 ある日、しみじみと文楽師匠だけはこういってくれた。  ▽47601.2158 その通り、まさにその通りだった。何ももう改めていうがことはない。▼隈なく▲心の中を天眼鏡で見透されたような気がした。何てよく分ってくれる人なんだろう、私の心の中のことが。  ▽47601.2159 「分るよく分るよ、俺にゃお前の心持が。やんねえ遠慮なくやんねえ、誰になんの気兼もなく。飽きる迄、やってやってやり通すことだ」  ▽47601.2160 さらにまたさらにこうも元気をつけてくれた。  ▽47601.2161 二十六   「隈なく」#241 47601.2158

「隈なく」#242 5007.87

■『唯物史観と現代の意識』(ゆいぶつしかんとげんだいのいしき)
■著者:三木 清(みき きよし):1897(明治30)年1月5日~1945(昭和20)年9月26日
■初出:人間學のマルクス的形態「思想 第六十八号」岩波書店、1927(昭和2)年6月号、マルクス主義と唯物論「思想 第七十号」岩波書店、1927(昭和2)年8月号、プラグマチズムとマルキシズムの哲学「思想 第七十四号」岩波書店、1927(昭和2)年12月号
■親本:唯物史観と現代の意識:岩波書店:1928(昭和3)年
■底本:三木清全集 第三巻:岩波書店:1966(昭和41)年

て綜合に重きがおかれるのは自然の勢ひであらう。實際ヘーゲルの辯證法にあつてはその通りである。そしてこのことはまた次のことと關係する。汎神論では存在の諸規定と價値の諸規定とが合致する。從てそこでは存在の高まりゆく規定に於て同時に價値的に否定的なるもの、矛盾的なるものが次第に肯定と調和とに昇つてゆき、かくて遂には宇宙に於ける神の、絶對的價値の支配が▼隈なく▲認識されねばならない。神の攝理が到るところ現實に實現されてあるといふことを理解するのが汎神論の大いなる關心である。宇宙は矛盾と鬪爭とを經つつも究極は調和と和解とに於てあり、世界に於ける否定的なもの、反價値的なものも神の普遍的現在を妨げるものではない、といふことを闡明することは、それの關心すべき目的である。このやうにして、ヘーゲルは彼の歴史哲學的   「隈なく」#242 5007.87

「隈なく」#243 50534.107

■『煤煙の匂ひ』(ばいえんのにおい)
■著者:宮地 嘉六(みやち かろく):1884(明治17)年6月11日~1958(昭和33)年4月10日
■初出:「中外」1918(大正7)年7月号
■底本:現代日本文學大系 49 葛西善藏 嘉村礒多 相馬泰三 川崎長太郎 宮路嘉六 木山捷平 集:筑摩書房:1973(昭和48)年

今日は好い天気だ、そこいらまで歩いて見ませうか。」と食後に嘉吉は云ふと客も直ぐそれに同意した。

50534.107 「正坊もお父さんがつれて行つてやるからなう、母ちやんに足袋をはかして貰つてなう、帽子も冠つて……。」と亭主は子供に云つた。丸田も一緒に伴ふことになつた。子供は父親の肩車に乗せて貰つた。かうして練兵場の方までぶら/\行つた。朝日は▼隈なく▲照つてゐた。嘉吉と妹婿とは歩きながら仕事の話をした。丸田は二人に遅れがちに歩いた。嘉吉はまるでそんなことには無頓着だつた。然し子供は父親の肩車の上から丸田を絶えず振り返つて見た。それが「何故をぢさんは坊やのお父さんと話しをしてくれないのだらう……。」と子供心にも気にかけてゐるやうに見える。

50534.108 「発明な児だから、あれで何でもち   「隈なく」#243 50534.107

「隈なく」#244 7931.9

■『秋の夜』(あきのよる)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「宮本百合子全集 第二十九巻」新日本出版社、1981(昭和56)年12月25日
■底本:宮本百合子全集 第二十九巻:新日本出版社:1981(昭和56)年

7931.1 月そそぐいずの夜  ▽7931.2 揺れ揺れて流れ行く光りの中に  ▽7931.3 音もなく一人もだし立てば  ▽7931.4 萌え出でし思いのかいわれ葉  ▽7931.5 瑞木となりて空に冲る。  ▽7931.6 乾坤を照し尽す無量光  ▽7931.7 埴の星さえ輝き初め  ▽7931.8 我踏む土は尊や白埴  ▽7931.9 木ぐれに潜む物の▼隈なく▲  ▽7931.10 黄朽ち葉を装いなすは  ▽7931.11 夜光の玉か神のみすまるか  ▽7931.12 奇しき光りよ。  ▽7931.13 常珍らなるかかる夜は  ▽7931.14 燿郷の十二宮  ▽7931.15 眼くるめく月の宮  ▽7931.16 瑠璃の階 八尋どの  ▽7931.17 玉のわたどの踏みならし  ▽7931.18 打ち連れ舞わん桂乙女   「隈なく」#244 7931.9

「隈なく」#245 4115.1

■『あとがき(『明日への精神』)』(あとがき(『あすへのせいしん』))
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「明日への精神」実業之日本社、1940(昭和15)年9月
■親本:宮本百合子全集 第十五巻:河出書房:1953(昭和28)年
■底本:宮本百合子全集 第十八巻:新日本出版社:1981(昭和56)年

725.html  ▽4115.1 今日の私たちの生活にとって、明日というものは、世界の歴史のなかで考え得る最も複雑な内容で予想されるものとなって来ている。きょうからあしたへのうつりが、ただ夜から朝へのうつりかわりだと感じているひとは、もう一人もいないだろうと思われる。明日をよく迎えたい心は、今日の生活を一層切実に愛し、そこから学べるだけのものを▼隈なく▲とって、明日へつづく自分たちの二度とはない生命を花咲かせたい願いをもたせる。  ▽4115.2 私たち女のその願いの熱い脈搏が、ここに集められたもののなかに響いていて、その自然な響きが又ほかのいくつかの胸の裡に活々とした生活への脈動をめざまさしてゆくことが出来るとしたら、ほんとうに歓ばしいと思う。  ▽4115.3 昭和十五年九月〔一九四〇年九月〕   「隈なく」#245 4115.1

「隈なく」#246 2926.7

■『あられ笹』(あられささ)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「女靴の跡」高島屋出版部、1948(昭和23)年2月発行
■親本:宮本百合子全集 第八巻:河出書房:1952(昭和27)年
■底本:宮本百合子全集 第十二巻:新日本出版社:1980(昭和55)年

6.6 大変親愛なのは、宗達がそのように背景をなす自然を様式化して扱いながら、その前に集散し行動している人々の群や牛などを、いかにも生気にみちた写生をもとにしているところである。

2926.7 眺めていると、きよらかな海際の社頭の松風のあいだに、どこやら微かに人声も聴えて来るという思いがする。物蔭の小高いところから、そちらを見下すと、そこには▼隈なく▲陽が照るなかに、優美な装束の人たちが、恭々しいうちにも賑やかでうちとけた供まわりを随えて、静かにざわめいている。

2926.8 黒い装束の主人たる人物は、おもむろに車の方へ進んでいる。が、まだ牛は轅につけられていない。華やかな人間の行事にも無関心な動物の自然さで、白と黒との立派な斑牛はのんびり鼻面をもたげ主人にそびらを向け、生きていることが気   「隈なく」#246 2926.7

「隈なく」#247 16020.2

■『草の根元』(くさのねもと)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■底本:宮本百合子全集 第三十巻:新日本出版社:1986(昭和61)年

点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。  ▽  ▽16020 ================================  ▽宮本 百合子『草の根元』  ▽16020_30007.html  ▽16020.1 五時に近い日差しが、ガラス窓にうす黄色くまどろんで居る。  ▽16020.2 さっきまで、上を向いて見ると、眼の底から涙のにじみ出すほど▼隈なく▲はれ渡って、碧い色をして居た空にいつの間にかモヤモヤした煤の様な雲が一杯になってしまって居る。  ▽16020.3 桜が咲きかけて居るのに、晩秋の様な日光を見て居ると、何となくじめじめした沈んだ気になる。  ▽16020.4 暖かなので開け放した部屋が急にガランとして見えて、母が居ない家中は、どことなし気が落ちつかない。火がないので、真黒にむさくる   「隈なく」#247 16020.2

「隈なく」#248 1987.122

■『小祝の一家』(こいわいのいっか)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「文芸」1934(昭和9)年1月号
■親本:宮本百合子全集 第四巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第四巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

.121 寝しずまったアスファルトの大通りから、ガソリン屋について左へ左へと曲り、家並のまばらな新開地へ出ると、月は急に高く冴え冴えと、乙女の小さい影を地べたに落した。

1987.122 遠く、近く欅の木立が月の光のとけこんだ靄につつまれ、空には、軽い白い雲が浮んでいる。まわりに大きく暈をかけた曇りない月を見ながら歩いて行くと、乙女は月の光の▼隈なく▲ふりそそぐ微妙な音を、自分の裾や草履の跫音だけがかき乱しているように感じた。そんな時間に独り歩くのは淋しく、こわかった。が、せめてこういう路でも歩いているうちに、新宿へ女給見習に通っている乙女はやっと人心地にかえるのであった。

1987.123 アヤは方面委員の世話で慈恵病院に入ったが、附添はこっち持ちで、そのための交通費がいったし、祖父ちゃ   「隈なく」#248 1987.122

「隈なく」#249 3079.12

■『国際無産婦人デーに際して』(こくさいむさんふじんデーにさいして)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:日本プロレタリア作家同盟中央常任委員会及び同婦人委員会共同署名のビラ、1932(昭和7)年2月
■親本:宮本百合子全集 第九巻:河出書房:1952(昭和27)年
■底本:宮本百合子全集 第十四巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

本プロレタリア作家同盟は、婦人作家をこめて正しい線に立つ全プロレタリア作家がその文学活動においてこれまでは大衆の半数者としての婦人の闘争の注意深い取扱いをやや見落していたことを厳しく自己批判した。この立ちおくれを急速にとりかえし、プロレタリア文学の中に解放運動における婦人大衆の独特な歴史的実践が階級全体の闘争との生々しい連関においてもっともっと▼隈なく▲描かれるように、婦人のプロレタリア・農民作家がドシドシ文学サークル員・通信員の中から養成されるように、日本プロレタリア作家同盟の全活動を鼓舞するため、婦人委員会というものが設けられたのだ。

3079.13 日本プロレタリア作家同盟が、婦人の文学における活動へ特別こういう注意を向けたことは、階級的なあらゆる見地から正しい。

3079.14 な   「隈なく」#249 3079.12

「隈なく」#250 33188.321

■『獄中への手紙』(ごくちゅうへのてがみ)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■底本:宮本百合子全集 第二十巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

えしと、手紙とで過ぎた如くでした。が、それはやはりそれとして、実に収穫がありました。本年は一歩前進です。出かけて、そして書いて行きます。

33188.320 ――○――

33188.321 きょうは、よくお話しするバラさん(榊原)が来たので、あのひとは大塚から西巣鴨にかけての地理をよく知っているので、一緒に来て貰って、西巣鴨二、三丁目を随分▼隈なく▲歩きました。そして、何と皆それぞれ納っているのだろうとかこちました。そちらの向い側です、バスの通りを挾んで。それから、今度はそちら側にうつって、ずーっと池袋駅に出る迄の裏をさがしましたが、これもナシ。工場といかがわしきカフェーがちゃんぽんに櫛比して居ります。鉄、キカイの下うけ工場があり、ゴムの小工場がある。昨日歩いたところとは同じ側のすこしずれ   「隈なく」#250 33188.321

「隈なく」#251 33189.1408

■『獄中への手紙』(ごくちゅうへのてがみ)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■底本:宮本百合子全集 第二十一巻:新日本出版社:1980(昭和54)年

アンスがそこにあります。

33189.1408 好ちゃんがいい感受性をもっていて、戯曲の「谷間のかげ」をよんだときの亢奮したよろこびの表情をそれにつけ思いおこします。若々しい顔立ちが精神の歓喜のために引きしまって而も燃え立つ表情をたたえているときの輝やかしさ。精神が微妙に溌溂に動いて、対象のあらゆる文学的生命にふれ、その味いをひき出し、のこる▼隈なく▲という表現のとおりにテーマの発展を可能にしてゆく理解力。

33189.1409 本がそのように読まれるよろこばしさで呻かないのは不思議と、よく話しましたね。字というものは、何と多くのもちこたえる力ももっているでしょう。其を思うと可愛いことね。感動のきわまったとき私が膝の力がぬけるとき字はやっぱりそれをもちこたえて表現してゆくのですもの。字で表   「隈なく」#251 33189.1408

「隈なく」#252 33190.236

■『獄中への手紙』(ごくちゅうへのてがみ)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■底本:宮本百合子全集 第二十一巻:新日本出版社:1980(昭和54)年

へ読書へ方向づけられて行き得たこと。やはり今日には期待出来ないかもしれませんね。こんなに書いていたら、大変その少女が書きたくなりました。あの憤懣と大人の常識への不快さが甦って来るようで。

33190.236 「今日の読者の性格」の終りは、きっともう枚数ギリギリで苦しまぎれに圧縮してしまったのね、あれは新聞のものでした。どうもありがとう。本当に▼隈なく▲よんで下すって。よく、ユリが「だ」で文章を区切るのを気になすったことを思いおこします、まるをつけられたわねえ。

33190.237 どこまでも自分の文章という文章で書きたいものだと思います。文学的な香気もつけたものでなくね、おのずから馥郁たるものでありたいと思います、詩情というものが、人間の深い理性の響から輝きかえって来るものであること、やさ   「隈なく」#252 33190.236

「隈なく」#253 1984.59

■『一九三二年の春』(せんきゅうひゃくさんじゅうにねんのはる)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「改造」(はじめの約15枚分)1932(昭和7)年8月号、「プロレタリア文学」(残りを追加して再掲)1933(昭和8)年1~2月号
■親本:宮本百合子全集 第四巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第四巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

人の文学的自発性を鼓舞・指導し、プロレタリア文学の影響のもとに組織する任務をもっている。一九二九年の世界経済恐慌以来、日本の農村と都会との勤労婦人は、労働条件の悪化、日常生活の困窮化によって急速なテンポで階級性に目ざめつつある。これらの勤労婦人たちが、解放に向って闘う階級の半身として熱烈に現実生活の細部で行っている闘争の実践、そのいろいろな姿は▼隈なく▲日本プロレタリア文学の中に活かされなければならない。同時に、そういう勤労婦人たちが、工場の職場、寄宿舎の片隅、或は村の農家の納戸の奥で鉛筆を永い間かかって運びながら丹念に書く通信、小説は、たとえ現在では片々として未熟なものであろうと、大胆にプロレタリア文学の未来の苗床として包括されて行かなければならない。下手であろうとも、それらの文章はまず勤労   「隈なく」#253 1984.59

「隈なく」#254 2012.2732

■『道標』(どうひょう)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:第一部「展望」筑摩書房、1947(昭和22)年10月号~1948(昭和23)年8月号 ほか
■親本:宮本百合子全集 第十三巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第七巻:新日本出版社:1980(昭和55)年

夕刻になっても保は帰って来ない。父が事務所から帰ったときは、和一郎が何となし不安になって、日頃保が親しくしていた二三人の友達の家へ電話をかけたところだった。保はどこへも行っていなかった。きのう来たというところもなかった。まして、家へ泊ったという返事をした友人はなかった。われらの不安は極度に高まり、二日夜は深更に到るまで和一郎と協議し、家じゅうを▼隈なく▲捜索せり。

2012.2733 よみ終った頁を一枚ずつ素子にわたしながらそこまでよみ進んだ伸子は、鳥肌だった。和一郎とつれだった泰造が、平常は活動的な生活のいそがしさから忘れている家のなかの隅々や、庭の茂みの中に保をさがすこころの内はどんなだったろう。伸子は、白い紙の上にかかれている文字の一つ一つを、父の苦渋の一滴一滴と思った。

2012.   「隈なく」#254 2012.2732

「隈なく」#255 2011.1934

■『二つの庭』(ふたつのにわ)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号
■親本:宮本百合子全集 第十巻:河出書房:1952(昭和27)年
■底本:宮本百合子全集 第六巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

んから軽蔑して、いくつかの小説にそのこころもちをかいていながらも。――

2011.1934 伸子は自分の机のところへ、その朝の新聞をもって行って、ひとりで見ていた。新聞の写真の上に目をおとし、自分とほとんど同じ頃文学者として出発し、声名を博し、僅かの年長で生涯を断って逝ったひとのことを思いつめると、伸子は、また、刃の鈍い桑切庖丁のようなもので▼隈なく▲からだを刻まれるような苦しみを感じた。機智をつくし、知的な精緻をこらして自分の生活と文学とをもって来た相川良之介が、「ある旧友への手紙」で、こんなに淳朴に、若々しく、流露する心情を語っていることに、伸子は涙を抑えようとしても抑えかねた。「ある旧友への手紙」でだけはこう書くしかなかった相川良之介の人間としての一生にたいして恐怖と感動があった。どの   「隈なく」#255 2011.1934

「隈なく」#256 1999.180

■『二人いるとき』(ふたりいるとき)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「新女苑」1938(昭和13)年1月号
■親本:宮本百合子全集 第五巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第五巻:新日本出版社:1979(昭和54)年

に沈んだような街筋を行くと、思いもかけない家と家との庇合いから黒く物干が聳えて見えたり、いつもとは違う生活の印象的な風景である。とある坂の途中に近頃開拓された分譲地のところへ来ると、彼等は思わずどっちからともなくそこへ立ち止った。  ▽1999.179 「何て感じでしょう!」  ▽1999.180 截りたての石で直線に畳まれた新しい石垣の層々の面に▼隈なく▲月が灌いでいて、柔かい土の平らな湿った黒さ、樹木の濃淡ある陰翳が、燦く石面の白さと調和して、最も鋭敏な黒・白の版画の効果で現れている。  ▽1999.181 多喜子は参吉の腕をじっと自分の胸にひきよせて、息をのむようにこの冷たい、荒い、夜景の美しさに見とれた。  ▽1999.182 「思い出すわ、私。――ほら、私たちが一緒になって間もなく、大塚の公   「隈なく」#256 1999.180

「隈なく」#257 2825.9

■『文学精神と批判精神』(ぶんがくせいしんとひはんせいしん)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「法政大学新聞」1940(昭和15)年6月20日号
■親本:宮本百合子全集 第七巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第十一巻:新日本出版社:1980(昭和55)年

批評として本質的な客観性を失い、評価の力を失ったということは、避けがたい必然の成行であったと思う。

2825.9 批判の精神という声さえ、憎悪をもって聞かれた当時の心理も、こう見て来れば肯けよう。批判の精神が人間精神の不滅の性能であることやその価値を承認することは、とりも直さず客観的観照の明々白々な光の下に自身の自我の転身の社会的文学的様相を▼隈なく▲曝すことになり、それは飽くまで主観的な出発点に立っている精神にとって決して愉快なことであり得ない。のぞましいことでもない。日本文学の歴史において一つの画期を示したこの自我の転落は、当事者たちの主観から、未来を語る率直悲痛な堕落としては示されず、何か世紀の偉観の彗星ででもあるかのような粉飾と擬装の下に提示され、そこから、文学的随筆的批評というよう   「隈なく」#257 2825.9

「隈なく」#258 2822.10

■『文学のディフォーメイションに就て』(ぶんがくのディフォーメイションについて)
■著者:宮本 百合子(みやもと ゆりこ):1899(明治32)年2月13日~1951(昭和26)年1月21日
■初出:「帝国大学新聞」1940(昭和15)年5月27日号
■親本:宮本百合子全集 第七巻:河出書房:1951(昭和26)年
■底本:宮本百合子全集 第十一巻:新日本出版社:1980(昭和55)年

観的なよりどころがそれ等の作家たちに必要とされるわけであろうと思う。さもなければ、それらの作家たちは現実の一部として自分にも内在する人生の歴史的な歪曲の姿とそれなりに馴れ合ってしまうしかしかたがないことになって来るのである。

2822.10 「嫌な奴」を作家が観照の圏外に追放しただけで文学の生命が純血に保たれないのは勿論であるし、文学が現実を▼隈なく▲とらえてゆく意味でのリアリティを失ってゆくのも実際であるが、小説のなかにただそういう性格が実際生活の中でと同様に跋扈するという現象と、時代と社会がディフォームしたものとして露呈している現実を典型として文学のディフォーメイションの裡に批判し再現してゆくということとは全く別なのである。バルザックのリアリズムは、この意味でディフォームされた素材を、そ   「隈なく」#258 2822.10

「隈なく」#259 673.99

■『阿部一族』(あべいちぞく)
■著者:森 鴎外(もり おうがい):1862年2月17日~1922(大正11)年7月9日
■初出:「中央公論」1913(大正2)年1月
■底本:日本の文学 3 森鴎外(二):中央公論社:1972(昭和47)年

。そののち夜明けまで何事もなかった。

673.98 かねて近隣のものには沙汰があった。たとい当番たりとも在宿して火の用心を怠らぬようにいたせというのが一つ。討手でないのに、阿部が屋敷に入り込んで手出しをすることは厳禁であるが、落人は勝手に討ち取れというのが二つであった。

673.99 阿部一族は討手の向う日をその前日に聞き知って、まず邸内を▼隈なく▲掃除し、見苦しい物はことごとく焼きすてた。それから老若打ち寄って酒宴をした。それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさせ、高声に念仏をさせて夜の明け   「隈なく」#259 673.99

「隈なく」#260 2058.866

■『渋江抽斎』(しぶえちゅうさい)
■著者:森 鴎外(もり おうがい):1862年2月17日~1922(大正11)年7月9日
■初出:「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
■親本:鴎外選集 第6巻:岩波書店:1979(昭和54)年
■底本:渋江抽斎:岩波文庫、岩波書店:1940(昭和15)年

は成善に宛ててある。並に訣別の書で、所々涙痕を印している。石川は弘前を距ること一里半を過ぎぬ駅であるが、使のものは命ぜられたとおりに、優善が駅を去った後に手紙を届けたのである。  ▽2058.866 五百と成善とは、優善が雪中に行き悩みはせぬか、病み臥しはせぬかと気遣って、再び人を傭って捜索させた。成善は自ら雪を冒して、石川、大鰐、倉立、碇関等を▼隈なく▲尋ねた。しかし蹤跡は絶て知れなかった。  ▽2058.867 優善は東京をさして石川駅を発し、この年一月二十一日に吉原の引手茶屋湊屋に著いた。湊屋の上さんは大分年を取った女で、常に優善を「蝶さん」と呼んで親んでいた。優善はこの女をたよって往ったのである。  ▽2058.868 湊屋に皆という娘がいた。このみいちゃんは美しいので、茶屋の呼物になってい   「隈なく」#260 2058.866

「隈なく」#261 45225.3

■『文づかひ』(ふみづかい)
■著者:森 鴎外(もり おうがい):1862年2月17日~1922(大正11)年7月9日
■初出:「新著百種 第12号」吉岡書籍店、1891(明治24)年1月28日
■親本:鴎外全集第二巻:岩波書店:1971(昭和46)年
■底本:舞姫・うたかたの記 他三篇:岩波書店、岩波文庫:1981(昭和56)年

らしき壮観なりければ、近郷の民ここにかしこに群をなし、中に雑りたる少女らが黒天鵝絨の胸当晴れがましう、小皿伏せたるやうなる縁狭き笠に草花插したるもをかしと、携へし目がね忙はしくかなたこなたを見廻らすほどに、向ひの岡なる一群きは立てゆかしう覚えぬ。

45225.3 九月はじめの秋の空は、けふしもここに稀なるあゐ色になりて、空気透徹りたれば、残る▼隈なく▲あざやかに見ゆるこの群の真中に、馬車一輛停めさせて、年若き貴婦人いくたりか乗りたれば、さまざまの衣の色相映じて、花一叢、にしき一団、目もあやに、立ちたる人の腰帯、坐りたる人の帽の紐などを、風ひらひらと吹靡かしたり。その傍に馬立てたる白髪の翁は角扣紐どめにせし緑の猟人服に、うすき褐いろの帽を戴けるのみなれど、何となく由ありげに見ゆ。すこし引下がり   「隈なく」#261 45225.3

「隈なく」#262 42756.235

■『四十八人目』(よんじゅうはちにんめ)
■著者:森田 草平(もりた そうへい):1881(明治14)年3月19日~1949(昭和24)年12月14日
■初出:「改造」1929(昭和4)年10月
■底本:日本文学全集18 鈴木三重吉 森田草平集:集英社:1969(昭和44)年

に引懸け連れて退くことが肝要だが、歩行難渋の首尾になれば、是非におよばす首を揚げて引取ること、そのほか合図の小笛、鉦、退口のこと、引揚げ場所のこと、途中近所の屋敷から人数を繰りだした場合の挨拶、上杉家から追手がかかった時の懸引、なおまた討入って勝負のつかぬうちに御検使が出張になった場合、それに応ずる口上にいたるまで、すべて十二箇条にわたって残る▼隈なく▲討入の手筈を定めた上、最後に退口のことを念頭に置いては、かえって心臆するかもしれない、しかし退いても一定助からぬ吾らの身である、申すに及ばぬ儀なれど、めいめい必死の覚悟にて粉骨砕身すべきことと結んであった。これには二三質問も出た。が、入念な忠左衛門の説明に、一同満足して、異議なくそれを承認した。

42756.236 それから当夜の各自の扮装、   「隈なく」#262 42756.235

「隈なく」#263 54957.13

■『工芸の道』(こうげいのみち)
■著者:柳 宗悦(やなぎ むねよし):1889(明治22)年3月21日~1961(昭和36)年5月3日
■底本:工藝の道:講談社学術文庫、講談社:2005(平成17)年

語ってはいるが、私としてみればやはり「信」の世界を求める心の記録である。

54957.13 多くの人々は宗教の法則は、ただ宗教のことのみであると思うようである。だが万般の事象は皆同じ法のもとに育まれているのである。人々は宗教と工藝とその間に何の縁があるかを訝しく尋ねる。そうしてそれをただの器物のことに過ぎぬと云って蔑むようである。しかしそれは▼隈なく▲行き渡る法の力を知らないためか、または法にかかる力があるとは信じないためか、むしろかかる見方をこそあまりに非宗教的と呼ぶことができよう。ただの器物とはいうが、低い小さなその存在にも驚くべき秘義が潜んでいる。何ものも法を離れて存在しているのではない。このことについては本書自らが答えを贈るであろう。

54957.14 私がこの書において最も強めて   「隈なく」#263 54957.13

「隈なく」#264 54957.84

■『工芸の道』(こうげいのみち)
■著者:柳 宗悦(やなぎ むねよし):1889(明治22)年3月21日~1961(昭和36)年5月3日
■底本:工藝の道:講談社学術文庫、講談社:2005(平成17)年

共にしてくれる者があればこそ、この世の旅は安らかに進む。  ▽54957.81 かかるこの世の伴侶が、私の云う工藝である。  ▽54957.82 七  ▽54957.83 誰も知る器の中に、私は数々の見慣れない真理を読んだ。転じてかかる器が誰の手で作られ、どうしてできるかを顧みる時、新しき多くの秘義がさらに私の視野に映る。  ▽54957.84 救いは▼隈なく▲渡るであろうか。衆生の済度はどうして果されるであろうか。もし知を有たずば神を信じ得ないなら、多くの衆生は永えの迷路に彷徨うであろう。知の持主はわずかな選ばれた者に限るからである。だが神はすべての者に神学を許さずとも、信仰のみは許すであろう。この許しがあればこそ、宗教は衆生の所有である。月は台に輝くであろうが、賤が家をも照らすであろう。貧しき者も   「隈なく」#264 54957.84

「隈なく」#265 54958.90

■『民芸四十年』(みんげいよんじゅうねん)
■著者:柳 宗悦(やなぎ むねよし):1889(明治22)年3月21日~1961(昭和36)年5月3日
■初出:朝鮮の友に贈る書「改造」 1920(大正9)年6月号 ほか
■親本:民藝四十年:宝文館:1958(昭和33)年
■底本:民藝四十年:岩波文庫、岩波書店:1984(昭和59)年

言い及んでいる個所は少いのです。ある場合は「薬師納」とかまた単に「奉納」とか記してはありますが、あれほどの遺作に対してほとんど何らの記事も残していないのです。しかし私は次の判断において、将来上人の遺作を発見し得べき土地を予想することが出来たのです。

54958.90 残してある二冊の『御宿帳』を見ますと、それには日々の日付と地名と宿りし家とを▼隈なく▲記してはありますが、その中に日付のとんでいる個所があり、また「何日より何日まで」と滞在の日を数えている場合があり、また「何日立つ」と短く記してある個所があるのです。私はこれによって日付のない期間を滞留期と見做し、その期間の長い場所には、必ずや遺作がなければならぬと判断したのです。私はまず主な個所を選び、次々にそれらの地に調査を企てたのです。私が   「隈なく」#265 54958.90

「隈なく」#266 54958.184

■『民芸四十年』(みんげいよんじゅうねん)
■著者:柳 宗悦(やなぎ むねよし):1889(明治22)年3月21日~1961(昭和36)年5月3日
■初出:朝鮮の友に贈る書「改造」 1920(大正9)年6月号 ほか
■親本:民藝四十年:宝文館:1958(昭和33)年
■底本:民藝四十年:岩波文庫、岩波書店:1984(昭和59)年

てくれる者があればこそ、この世の旅は安らかに進む。  ▽54958.181 かかるこの世の伴侶が、私のいう工藝である。  ▽54958.182 七  ▽54958.183 誰も知る器の中に、私は数々の見慣れない真理を読んだ。転じてかかる器が誰の手で作られ、どうして出来るかを顧みる時、新しき多くの秘義が更に私の視野に映る。  ▽54958.184 救いは▼隈なく▲渡るであろうか。衆生の済度はどうして果されるであろうか。もし知を有たずば神を信じ得ないなら、多くの衆生は永えの迷路に彷徨うであろう。知の持主は、わずかな選ばれた者に限るからである。だが神は凡ての者に神学を許さずとも、信仰のみは許すであろう。この許しがあればこそ、宗教は衆生の所有である。月は台に輝くであろうが、賤が家をも照らすであろう。貧しき者も   「隈なく」#266 54958.184

「隈なく」#267 54958.296

■『民芸四十年』(みんげいよんじゅうねん)
■著者:柳 宗悦(やなぎ むねよし):1889(明治22)年3月21日~1961(昭和36)年5月3日
■初出:朝鮮の友に贈る書「改造」 1920(大正9)年6月号 ほか
■親本:民藝四十年:宝文館:1958(昭和33)年
■底本:民藝四十年:岩波文庫、岩波書店:1984(昭和59)年

すら、かかる美を生み得るとは、如何に絶妙なこの世の神秘であろう。否、凡人ならずば、大津絵の美を産み得ないとは、如何に不思議な聖旨であろう。大津絵は浄土に摂取されてゆく平凡の美である。それは他力の美である。下根の凡夫であり、下賤の絵であるから、自分で高き位につく力とてはない。だがかかる事情にあればこそ、救いが誓われているのである。あの古き大津絵が▼隈なく▲美しいのは、救いが果されている証ではないか。美しい大津絵の凡ては、自然の力の恵みを受けているのである。

54958.297 四

54958.298 だがいうまでもなく、大津絵が他の民画と区別される特色は、そこに含まれる諧謔である。それはあの「泥絵」のような、名所名所の描写ではない。また「小絵馬」のような特殊な符牒の表示ではない。それは物の姿   「隈なく」#267 54958.296

「隈なく」#268 54403.369

■『雪国の春』(ゆきぐにのはる)
■著者:柳田 国男(やなぎた くにお):1875(明治8)年7月31日~1962(昭和37)年8月8日
■底本:雪国の春:角川文庫、角川学芸出版:1956(昭和31)年

行田も摂津の灘・伊丹と、功罪ともに同じといってよろしい。

54403.369 酒の個人的または家長専制的なるに反して、菓子の流布には共和制の趨勢といおうか、少なくとも男女同等の主張が仄見える。しかももし年に一度のジャガタラ船が、壺に封じて砂糖を運んでくる世であったら、寒い東北の浦々まで、黴びたりといえども蓬莱豆、蝕めりといえどもビスケットが、▼隈なく▲行き渡りうるはずはないのである。盆の精霊に供える蓮の花の形の菓子がある。米の粉で固めて紅と青とで彩色がしてある。試みに食ってみるにほどよく甘かった。台湾がわが属地となったお蔭に亡者までがよろこぶ。いわんや生きてかついとおしい人々が、互いにこの文明を利用せんとしなかったら、かえって不思議だといわねばならぬ。

54403.370 近ごろの話である   「隈なく」#268 54403.369

「隈なく」#269 2116.9

■『S岬西洋婦人絞殺事件』(エスみさきせいようふじんこうさつじけん)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集10:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

て、夫人の惨死体を発見したが、しかし流石に屍体には手を触れなかった。そのまま浴室の横を抜けて、裏手の小使部屋に来てみると、兼てから顔と名前だけ知っている東作爺の姿が見えない。怪んで附近の状況を調べてみると東作の部屋に繋がっている呼鈴と、S市に通ずる電話線が切断されている。

2116.9 そこでイヨイヨ好奇心を唆られた弓削医学士は、尚もそこらを▼隈なく▲探検している中に、意外にもS岬の突端の岩山の上で、大の字型にグーグー眠っている東作爺を探出したので、取敢えず揺起して倫陀病院に連行して、弱り込んだまま寝ているロスコー氏に附添わした。だから東作老人はまだマリイ夫人の死骸を見ていないし、死んだ事も気付いていないかも知れない……というのが倫陀病院の電話で、R市の警察へ報告された第一話であった。

2   「隈なく」#269 2116.9

「隈なく」#270 2116.127

■『S岬西洋婦人絞殺事件』(エスみさきせいようふじんこうさつじけん)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集10:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

6.124 「どうして麻酔剤を使わなかったでしょうか」  ▽2116.125 と蒲生検事が質問した。犬田博士は苦笑しいしい顔を掻いた。  ▽2116.126 「さあ。その点は私にもわかりませんがね。恐らくこの事件の中では一番デリケートなところでしょう」  ▽2116.127 それから犬田博士は寝台の上にかけて在った羽根布団をめくってシーツの表面に残る▼隈なく▲拡大鏡を当てがってみた後に、署長と、検事、判事、司法主任を招き寄せた。ズボンのポケットから洋服屋が使うチャコを抓み出して、四人の眼の前のシーツの上に大きな曲線を描き初めた。  ▽2116.128 「御覧なさい。ここがマリイ夫人の頸部に当る処です。口から腮へ伝わった血液がここに泌み付いております。それからこの黄色の斑紋は死後に放尿した処で、この二個   「隈なく」#270 2116.127

「隈なく」#271 2116.144

■『S岬西洋婦人絞殺事件』(エスみさきせいようふじんこうさつじけん)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集10:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

2116.142 司法主任の警部は検事、判事、署長と何事かヒソヒソと打合わせている中に、大急ぎでロスコー家を出て行った。それは時を移さず手配をするために、倫陀病院の電話を借りに行ったものであった。

2116.143 しかし犬田博士の活躍はまだ終りを告げなかった。

2116.144 それから犬田博士は二人の特高課員と協力してロスコー家の内外を▼隈なく▲捜索した。その結果、浴室の天井裏のタイルの裡面から重要な機密書類を、夥しく発見したそうであるが、その内容は窺い知る由もない。ただその後の調査によって、その時までロスコー家に掛けられていた国際スパイの嫌疑に関する主犯者は他ならぬマリイ夫人に相違ない事が確認されたという。すなわちマリイ夫人はその美貌と、刺青とを利用する親譲りの国際スパイであった。そ   「隈なく」#271 2116.144

「隈なく」#272 920.180

■『巡査辞職』(じゅんさじしょく)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■初出:「新青年」1935(昭和10)年11~12月
■底本:夢野久作全集4:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

も認められないところを見ると、二人の寝息を窺った犯人は、大胆にも電燈を灯けるか何かして蚊帳の中に忍び入って、二人の中間に跼むか片膝を突くかしたまま、右と左に一気に兇行を遂げたものらしい。何にしても余程の残忍な、同時に大胆極まる遣口で、その時の光景を想像するさえ恐ろしい位であった。  ▽920.180 草川巡査は持って来た懐中電燈で、部屋の中を残る▼隈なく▲検査したが、何一つ手掛になりそうなものは発見出来なかった。ただ老夫婦の枕元に古い、大きな紺絣の財布が一個落ちていたのを取上げてみると、中味は麻糸に繋いだ大小十二三の鍵と、数十枚の証文ばかりであった。草川巡査はその財布をソッと元の処へ置きながら指した。  ▽920.181 「これが盗まれた金の這入っていた袋だな」  ▽920.182 「……そう……で   「隈なく」#272 920.180

「隈なく」#273 920.269

■『巡査辞職』(じゅんさじしょく)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■初出:「新青年」1935(昭和10)年11~12月
■底本:夢野久作全集4:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

中になっていた。その中に九月の末になって、やっと開始された兇器捜索を目的の溜池乾で、草川巡査はあんまり夢中になり過ぎたのであろう。一人の青年の働き方が足りないといって泥だらけの平手で殴り付けたりしたので、可哀相に今度は草川巡査が発狂したという評判まで立てられるようになった。……にも拘わらず草川巡査の狂人に近い熱心な努力は近郷近在の溜池をまで残る▼隈なく▲及んだのであったが、それでも兇器らしいものすら発見出来なかったので、事件の神秘性は、いよいよ高まって行くばかりであった。

920.270 草川巡査は自分でも自分の精神状態を疑うようになった。或る晩の十時過の事。睡むられぬままに着のみ着のままで、人通りの絶えた国道に出た。

920.271 大空の星の光りは夏と違ってスッカリ澄み切っていた。そこ   「隈なく」#273 920.269

「隈なく」#274 2108.18

■『戦場』(せんじょう)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■初出:「改造」改造社、1936(昭和11)年5月号
■底本:夢野久作全集6:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

キャムプに配属された、最終の一人に相違ないと思われる。

2108.18 ――我が独逸軍の一切の輸送は必ず夜中に限られているようである。仏軍は、そうした我軍の輸送を妨げるために、昨夜も見た通り毎晩日が暮れかかると間もなくから、不規則な間隔をおいて、強力な光弾を打上げては、大空の暗黒の中に包まれた繋留気球に仕掛けた写真機で、独逸軍全線の後方を残る▼隈なく▲撮影しているらしい。僅かな行李の移動でも直ぐに発見されて、その方向に集中弾が飛んで来るので、輸送がナカナカ手間取っている。現に左手の二三基米の地平線上に、纔かに起伏している村落の廃墟には、数日前から二個大隊の工兵が、新しい大行李と一緒に停滞したまま動き得ないでいる状態である。

2108.19 ――だからあの光弾の打上げられている方向がヴェルダ   「隈なく」#274 2108.18

「隈なく」#275 2100.236

■『暗黒公使』(ダーク・ミニスター)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■初出:「新作探偵小説全集 全九巻」1933(昭和8)年1月15日
■底本:夢野久作全集7:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

のためか、病気のためか、それとも本当に安眠していたのかという事が、今迄の経験上、大抵一眼でわかるので、いよいよ見極めが付かぬ時は、その手段を執るより外に方法はないのである。

2100.236 問題の第十四号室は、宮城の方に向って降りて行く階段の処から右へ第五番目の室であった。その室の内外は最早、既に、鑑識課の連中が、志免警部の指揮の下に、残る▼隈なく▲調べ上げている筈であったが、私は念のため入口の扉に近付いて、強力な懐中電燈を照しかけながら、その附近に在る足跡を調べて見ると、すぐに眼に付いたのは大きな泥だらけの足跡で、入口の処で、扉を推し開くために左右に広く踏みはだけてある。これは疑いもない岩形氏の足跡で、岩形氏が昨夜泥酔して帰った事実が容易に推測される。それから私は黄色くピカピカ光っている   「隈なく」#275 2100.236

「隈なく」#276 2093.1270

■『ドグラ・マグラ』(ドグラ・マグラ)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集9:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

溝を……。

2093.1270 ……それを静かに、大理石の解剖台上に横たえました黒怪人物の若林博士は、やはり何の容赦もなく、合掌した手首の白木綿の緊縛を引きほどき、緋鹿子絞りの扱帯を解き放って、長襦袢の胸をグイグイと引きはだけました。そうして流石は斯界の権威と首肯かれる手練さと周到さをもって、一点の曇りもない、玲瓏玉のような少女の全身を、残る▼隈なく▲検査して終いましたが、やがてホッとしたように肩で息をつきますと、両腕を高やかに組んで、少女の屍体をジッと見下したまま、真黒い鉄像のように動かなくなりました。

2093.1271 ……この深夜に、斯様な場所に於て、世にも稀な美少女の屍体と、こうしてタッタ一人で向い合っている黒装束の若林博士は、果して何事を考えているので御座いましょうか……この少   「隈なく」#276 2093.1270

「隈なく」#277 2093.1316

■『ドグラ・マグラ』(ドグラ・マグラ)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集9:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

ていた皸だらけの足の踵も、美少女の小さな足袋の中に無理やりに押込んでヒシヒシとコハゼをかけてしまいました。そうして愈々強直してしまった、艶めかしい姿の白坊主をヤットコサと抱き上げて、寝棺の中にソッと落し込んで、三枚襲ねの振袖と裲襠を逆さに着せて、糸錦の帯で巻立ててやりますと、今度は多量のスポンジと湯と、水と、石鹸と、アルコールとで解剖台面を残る▼隈なく▲洗い浄めました。その上に意識を恢復しかけている美少女の裸身をソロッと抱え上げまして、その下敷になっていた分厚い棺の蓋を、テルテル坊主の上からシックリと当てがって、その上を白絹の蔽いでスッポリと蔽い包んでしまいました。

2093.1317 しかし黒怪人物の怪事業は、まだ残っておりました。しかも今度こそは、その黒怪手腕中の黒怪手腕を現わすホントの   「隈なく」#277 2093.1316

「隈なく」#278 2093.2093

■『ドグラ・マグラ』(ドグラ・マグラ)
■著者:夢野 久作(ゆめの きゅうさく):1889(明治22)年1月4日~1936(昭和11)年3月11日
■底本:夢野久作全集9:ちくま文庫、筑摩書房:1992(平成4)年

ましておしまいになったと聞いた時の妾の驚きと悲しみはどんなでしたろう。一晩中寝ずに考えては泣き、泣いては考え明かしましたが、思いに余ったその翌る日の事、楊貴妃様から暫時のお暇を頂いた妾は、お二人の行衛を探し出すつもりで、とりあえずこの家に来て見ました。そうして妾を見送って来た二人の宦官と、家の番をしていた掃除人を還してから、唯一人で家内の様子を▼隈なく▲調べてみますと、姉さんは死ぬ覚悟をして家を出られたらしく、結婚式の時に使った大切な飾り櫛を、真二つに折って白紙に包んだまま、化粧台の奥に仕舞ってあります。けれども義兄さんの方は、そんな模様がないばかりか、絵を描く道具をスッカリ持ち出していらっしゃる様子……これには何か深い仔細がある事と思いながら、そのままこの家に落ち付く事にきめましたが、それか   「隈なく」#278 2093.2093

「隈なく」#279 2246.102

■『旅愁』(りょしゅう)
■著者:横光 利一(よこみつ りいち):1898(明治31)年3月17日~1947(昭和22)年12月30日
■底本:旅愁 下:講談社文芸文庫、講談社:1998(平成10)年

な貸借をいちいち整理して歩いた。船の中では老人は威張れないが、この沖氏は諧謔と滑稽さとでやすやす若者たちを統御して最後の務めもし終えたのである。  ▽2246.101 「さア、これで良ろしと。」  ▽2246.102 いつ船が著いてもかまわない。中にはまだ陸も見えぬのにもう早く帽子まで冠っているのもある。甲板に出てみたりサロンに引っこんだり、船中を▼隈なく▲歩いてみたり、不安そうな顔つきで話さえあまり誰もし合わない。すると、突然、矢代に、長いそれまでの船中の生活で日本語を知っている様子を一度も見せたことのないフランス人が、驚くような流暢な日本語で、  ▽2246.103 「どうです、いよいよですな。」と話かけた。船中の外人は一度び船へ這入れば誰も日本語を使わない、全く知らぬ様子で人の話を聞いているの   「隈なく」#279 2246.102

「隈なく」#280 2246.5613

■『旅愁』(りょしゅう)
■著者:横光 利一(よこみつ りいち):1898(明治31)年3月17日~1947(昭和22)年12月30日
■底本:旅愁 下:講談社文芸文庫、講談社:1998(平成10)年

た。  ▽2246.5610 「お宅の方の御不幸のことも考えなければいけないし、あたしには分らないわ。」  ▽2246.5611 「それもあります。」  ▽2246.5612 「じゃ、やっぱり秋ね。」  ▽2246.5613 矢代もそのころになるかと思われたので同意した。そして、その他に何か云わねばならぬ重要事項がひしめいているように思われるのに、一応▼隈なく▲探して見て後も、何もなく、その他はぼんやりとただ他人に任せて置くべきことばかりのように思われ、彼は沼の周囲の垂んだ鉄柵の鎖を眼で追いつつ、なお云うべきことを考えてみた。暫く二人の黙っている前で、鯉がぐるりと尾で泥を濁しあげては廻游して行く水面に、閑かに春の日が射していた。  ▽2246.5614 「母もあなたのことはもう気附いている風なんだが、そ   「隈なく」#280 2246.5613

「隈なく」#281 2558.1314

■『晶子詩篇全集拾遺』(あきこしへんぜんしゅうしゅうい)
■著者:与謝野 晶子(よさの あきこ):1878(明治11)年12月7日~1942(昭和17)年5月29日
■底本:定本 與謝野晶子全集 第九巻 詩集一:講談社:1980(昭和55)年

より夏へ  ▽2558.1307 八重の桜の盛りより  ▽2558.1308 つつじ、芍薬、藤、牡丹、  ▽2558.1309 春と夏との入りかはる  ▽2558.1310 このひと時のめでたさよ。  ▽2558.1311 街ゆく人も、田の人も、  ▽2558.1312 工場の窓を仰ぐ身も、  ▽2558.1313 今めづらしく驚くは  ▽2558.1314 ▼隈なく▲晴れし瑠璃の空。  ▽2558.1315 独立つ木も、打むれて  ▽2558.1316 幹を出す木も枝毎に  ▽2558.1317 友禅染の袖を掛け、  ▽2558.1318 花と若芽と香り合ふ。  ▽2558.1319 忙しき蝶の往来にも  ▽2558.1320 抑へかねたる誇りあり、  ▽2558.1321 ただ一粒の砂さへも  ▽2558.1322 光と   「隈なく」#281 2558.1314

「隈なく」#282 56461.2346

■『上杉謙信』(うえすぎけんしん)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「週刊朝日」1942(昭和17)年1月4日号~5月24日号
■底本:上杉謙信:吉川英治歴史時代文庫、講談社:1989(平成元)年

立つ鳥の跡  ▽56461.2344 善光寺の東南、裾花川を前にして、直江大和守は、大荷駄、小荷駄を集合し、なお他の部隊の散兵も、悉く容れていた。  ▽56461.2345 大戦の翌日も、その翌日も、踏み止まって。  ▽56461.2346 一方、犀川まで退いて、残兵を寄せていた甘糟近江守とも、完全に連絡をとった。そして、合流し、川中島の曠野から近村▼隈なく▲兵を派して、味方の死骸、負傷者、旗の折れまで、残りなく陣中に収容した。  ▽56461.2347 もちろん主君の安否については、犀川の上流で殿軍したという千坂内膳、芋川平太夫、その他の旗本たちのことばに依って、無事御帰国という推定はついていた。旗本たちとしては、知れないまでも、謙信のあとを慕ってと、いい合ったことでもあるが、  ▽56461.234   「隈なく」#282 56461.2346

「隈なく」#283 55316.387

■『折々の記』(おりおりのき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:折々の記:一家言叢書、全國書房:1942(昭和17)年

力や色彩や音階をも、正しく息ふき返すのではあるまいか。

55316.387 文化面だけから封建の制を顧みると、そこには水戸には水戸、藝州には藝州、薩摩は薩摩と競ひ輝ける文化があつた。教育、醫學、美術、音樂等獨自なものを持つてゐた。都市文化は長い期間に亘つて、安手な雜貨品的文化と、彼等の持つてゐたあらゆるものとを交換して、つひには郷土の歌謠まで▼隈なく▲取り上げて、これを市場化し、その餘剩品を返して來た程度にとどまる。

55316.388 今日となつてはもう地方から得るものもなく、中央から與へるものもないといふのが現状である。ここに意識された文化運動は、地方文化とはいへ實は都市文化の生命にもかかはるものである。かさねていふ、今なほ地方人は舊藩主の名を念頭から忘れてゐない。かつての一體協力を辭   「隈なく」#283 55316.387

「隈なく」#284 52418.530

■『三国志』(さんごくし)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:三国志(七):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1989(平成元)年

、至急、君が行って指図してくれ」と、指令した。  ▽52418.527 潘璋が去ると、また、  ▽52418.528 「朱然を呼んでくれ給え」  ▽52418.529 と、近侍へたのみ、その朱然が見えると、  ▽52418.530 「新手四千騎を加えて、敵城の南、東、西の三方へいよいよ圧力を加え給え、そして足下はべつに千騎をひきい、北方の小道や山野など▼隈なく▲遊軍として見廻っているように」と、いった。  ▽52418.531 それからすぐ呂蒙は、碁盤の前を離れて、  ▽52418.532 「どうです、わたくしがやはり勝ったでしょう。せっかくですがまだ君公のお手のうちでは、呂蒙を降すことはできませんな」と、愉快そうに笑った。  ▽52418.533 負け碁となったが、孫権も共に哄笑した。囲碁には破れてもいま   「隈なく」#284 52418.530

「隈なく」#285 52430.2533

■『私本太平記』(しほんたいへいき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:私本太平記(七):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

と家族への張合いもそれ以外なものではなかった。  ▽52430.2531 正行は母に似て小づくりだった。おもざしも父の自分よりは母御似だとよく他人はいう。  ▽52430.2532 「……十四となったか」  ▽52430.2533 正成はこの正月もついに家郷を見ずにしまったので、いま、妻の手紙を巻きおさめながら、その妻の手塩の愛を――可憐な小冠者姿に▼隈なく▲持って――ちょこんと目の前に畏まった正行にどこか急に大人びて来たものすら覚えて、  ▽52430.2534 「……正行、大きくなったな。しかしよう母がそちを手放してよこしたの」  ▽52430.2535 と、男親の幅のひろい目でゆったり眺めた。  ▽52430.2536 正行はかたくなっていた。  ▽52430.2537 だが、恐いからではなく、ふくら   「隈なく」#285 52430.2533

「隈なく」#286 52432.361

■『私本太平記』(しほんたいへいき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:私本太平記(七):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

の式のカチ栗や昆布の折敷に、神酒、土器なども運ばれていた。  ▽52432.360 久子の今朝は花やかに見えた。化粧も日ごろよりはやや濃目である。また裲襠は彼女がこの家に嫁いだときの物で、もちろん派手になりすぎてはいる。が、意識してそれも用いたらしい。  ▽52432.361 出陣の式の調えはすみ、正季をはじめ、内輪のおもな面々も揃ッていた。邸内は▼隈なく▲水を打ったように、このきれいな式の場を中心に、朝陽の顔と、正成の姿だけを待っていた。  ▽52432.362 「姉ぎみ」  ▽52432.363 と、正季はそっと訊ねた。  ▽52432.364 「兄上には、なおまだ、お支度中でございますか」  ▽52432.365 「ただいま、お仏間でいらっしゃいまする」  ▽52432.366 「ほ、では今朝はお朝食   「隈なく」#286 52432.361

「隈なく」#287 52433.1832

■『私本太平記』(しほんたいへいき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:私本太平記(八):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

内の祈祷僧はすべて帰してしまい、有隣や侍医たちの手当さえ、とかくうるさげに退けるふうだった。そして、薬餌、何から何までを、  ▽52433.1831 「登子、登子」  ▽52433.1832 と、妻へ甘える眼をして求めた。患部の膿汁を拭きとることから、朝夕のくすりの塗布や煎薬なども侍医にはさせないで妻にさせた。また熱湯でしぼッた布で体じゅうの皮膚を▼隈なく▲拭かせるときでも、子供のように安心して、彼女の手には人に見せたくない所もまかせきッているのだった。  ▽52433.1833 そんなあとでは、さばさばするとみえて。  ▽52433.1834 「登子、おまえと夜も昼もひとつにこうして暮すなども、思えば病気のおかげだな。三十年もつれそいながらないことだった。不愍といっても追いつかぬが、おまえもとんだ阿   「隈なく」#287 52433.1832

「隈なく」#288 56568.139

■『新書太閤記』(しんしょたいこうき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「読売新聞」1939(昭和14)年1月~1945(昭和20)年8月
■底本:新書太閤記(一):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

136 「日本人には売らない」  ▽56568.137 といったり、途方もない多額な値を吹っかけたり、五郎大夫も遂に、断念するほかなかった物であった。  ▽56568.138 「どうしてそれを、梨琴が手に入れたろう?」  ▽56568.139 彼女が、姿を見せたのは、たった今のことだという。五郎大夫は、子を宿の者に頼んで下僕の捨次郎と共に、城内の街を▼隈なく▲探しあるいた。  ▽56568.140 見つからない。――梨琴のすがたは、とうとう見つからなかった。  ▽56568.141 日は暮れてしまう。  ▽56568.142 夜は深くなる。  ▽56568.143 かえって、宿の者が、五郎大夫主従を探しぬいて、やっと追い着き、  ▽56568.144 「もう、船が出ますぞ」  ▽56568.145 と、いう。    「隈なく」#288 56568.139

「隈なく」#289 56568.2919

■『新書太閤記』(しんしょたいこうき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「読売新聞」1939(昭和14)年1月~1945(昭和20)年8月
■底本:新書太閤記(一):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

、余りに文化の光や、時勢のうごきに、遠すぎたのである。  ▽56568.2916 叔父の光安も、よく、わが子の光春に向って、  ▽56568.2917 (ちと、十兵衛を見習え)  ▽56568.2918 というほど、彼は謹厳で、勉強家だった。  ▽56568.2919 ここへ身を寄せる前にも、すでに十兵衛光秀は、京畿のあいだから、山陰、山陽の地方など、▼隈なく▲旅して来た。――近ごろ多い武者修行の群に伍して、知識を求め、時代の流れを見、生活の中に、進んで苦しみを迎えることもして来たのである。  ▽56568.2920 わけて、泉州堺に止まって、鉄砲を研究して来たことは、逸はやく、この美濃の国防と兵制に多大な貢献をしていた。だから叔父光安始め、誰もが、年はまだ若いが、すでに老成の風を備えている新知識の秀才   「隈なく」#289 56568.2919

「隈なく」#290 56568.5094

■『新書太閤記』(しんしょたいこうき)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「読売新聞」1939(昭和14)年1月~1945(昭和20)年8月
■底本:新書太閤記(一):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

。  ▽56568.5092 藤吉郎は、信長から任命されると、同時に、それを考えてみた。  ▽56568.5093 「ははあ、炭薪の費えを、もっと節約せよとのお旨だな。いや、そのお旨は、一昨年から出ているが、村井長門の節約ぶりでは、お気に召さぬのだな」  ▽56568.5094 で――彼は、広い城内の炭火のある所、薪を使用している所を、新奉行として、▼隈なく▲見て歩いた。  ▽56568.5095 御用部屋、控部屋、書院、詰の間、奥、お表、どんな所にも、冬は火の気があったし、大きな炉も切ってあった。  ▽56568.5096 わけて、小者部屋だの、若侍たちの屯には、山のように木炭を炉にあけて、冗費していた。  ▽56568.5097 「木下殿だ。木下殿が見えた」  ▽56568.5098 「なんだ、木下殿と   「隈なく」#290 56568.5094

「隈なく」#291 52453.756

■『茶漬三略』(ちゃづけさんりゃく)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「週刊朝日 創刊一千号記念特別号」1939(昭和14)年
■底本:柳生月影抄 名作短編集(二):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

ったに違いない。こんどの講和に際しても、  ▽52453.754 「主家毛利家の御安泰を。城内五千の部下の生命が、身一つに代えられて助かるものならば」  ▽52453.755 と、冷ややかに、敵方の条件を受け容れられたものだという。  ▽52453.756 三十余日の籠城の間に、城主を始め、将士は皆、木の根や葉まで食べていた。――しかしその朝は、城内▼隈なく▲、掃除をさせ、自身は静かに天主に上り、衣服を正し、髪をなで、それが終ると、気長に毛抜で髯を抜いていたそうである。  ▽52453.757 時刻が来ると、兄の月清入道やら軍師の末近左衛門などに送られ、水に浸った城門の際から、小舟へ乗り移る――。その際、家臣ふたりまで、  ▽52453.758 (御先途を)  ▽52453.759 と、刺し交えて殉死した   「隈なく」#291 52453.756

「隈なく」#292 52439.155

■『八寒道中』(はっかんどうちゅう)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■初出:「講談倶楽部」1929(昭和4)年1月号
■底本:治郎吉格子 名作短編集(一):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1990(平成2)年

れてゆくわけになる。  ▽52439.153 しかし、そうしているまに、万一、彼が病死でもしたらという惧れもあるが、それでもいい、おそらく、その死にかたも、敵討以上なものに違いない。  ▽52439.154 ――三五兵衛はいつまで炬燵に眼を閉じていた。  ▽52439.155 そんな事を胸にくり返しながら、実は、非常な神経を働かせて、広い屋内の空気を▼隈なく▲探っていたが、彼に少し、気がかりな事が起った。  ▽52439.156 「はてな、逃げないぞ、賛之丞のやつ」  ▽52439.157 どうも、彼の神経は、そう感じられてならない。  ▽52439.158 「向うの部屋にさしている明りの色、柔らかな笑い声、乾分たちの足音や眼ざし、少しもそんな気ぶりがないわい。……ウム、逃げない逃げない、賛之丞は知らない   「隈なく」#292 52439.155

「隈なく」#293 52397.2539

■『宮本武蔵』(みやもとむさし)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:宮本武蔵(一):吉川英治歴史時代文庫、講談社:1989(平成元)年

て歩くだけが能じゃない。一宿一飯にありつきながら、木刀をかついで、叩き合いばかりして歩いているのは、あれは武者修行でなくて、渡り者という輩、ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。また、諸国の地理水利を測り、土民の人情や気風をおぼえ、領主と民のあいだがどう行っているか、城下から城内の奥まで見きわめる用意をもって、海内▼隈なく▲脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」

52397.2540 まだ幼稚な者に向って、説いても無益と思いながら、武蔵には、少年に対しても、よいほどにものを誤魔化しておくということができない。

52397.2541 城太郎の諄いような質問にも、面倒な顔もせず頻りと、噛んで含めるように答えてやりながら歩いていた。――すると二人の背後   「隈なく」#293 52397.2539

「隈なく」#294 52400.342

■『宮本武蔵』(みやもとむさし)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:宮本武蔵(五):吉川英治歴史時代文庫18、講談社:1989(平成元)年

52400.338 「やれやれ、危ないことではあった。とんだ行き違いからあのような――」  ▽52400.339 さも、ほっとしたように、老母はそこへ膝を折ったが、共に坐りかけた息子を抑えて、  ▽52400.340 「これ権之助」  ▽52400.341 「おい」  ▽52400.342 「坐らぬうち、そのお侍をご案内して、念のために、この家の内を▼隈なく▲お見せ申したがよい。――今外で、お訊ねをうけた女子や童が隠してないことを、よう見届けて戴くために」  ▽52400.343 「そうだ、おれが街道から、女など誘拐して来たかと、疑われているのも残念。――お武家、おれに尾いて、この家のどこでも改めてもらおう」  ▽52400.344 上がれ――と招ぜられたまま、武蔵はわらじを解いて、もう炉の前に席を占め   「隈なく」#294 52400.342

「隈なく」#295 52400.6474

■『宮本武蔵』(みやもとむさし)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:宮本武蔵(五):吉川英治歴史時代文庫18、講談社:1989(平成元)年

行った。それが偉いと思う」  ▽52400.6471 「父上が、こんな窓の中に、お在でになることを、知る筈はありませぬが」  ▽52400.6472 「いや、知っていた」  ▽52400.6473 「どうしてでしょう」  ▽52400.6474 「門をはいって来る時、そこで一足止めて、この家の構えと、明いている窓や明いていない窓や、庭の抜け道、その他、▼隈なく▲一目に彼は見てしまった。――それは少しも不自然なていではなく、むしろ慇懃にさえ見える身ごなしではいって来たが、わしは遥かにながめて、これは何者がやって来たかと驚いておったのじゃ」  ▽52400.6475 「では、今の侍は、そんな嗜みのふかい武士でしたか」  ▽52400.6476 「話したら、さだめし尽きぬ話ができよう。すぐ追いかけて、お呼びして   「隈なく」#295 52400.6474

「隈なく」#296 52402.4342

■『宮本武蔵』(みやもとむさし)
■著者:吉川 英治(よしかわ えいじ):1892(明治25)年8月11日~1962(昭和37)年9月7日
■底本:宮本武蔵(七):吉川英治歴史時代文庫20、講談社:1990(平成2)年

02.4338 「やあ、かたじけない、……では又八氏、おさらば」  ▽52402.4339 源八は、あたふた、仲間たちに尾いて行ってしまう。  ▽52402.4340 その旅装いの、垢や埃のひどさを見送って、  ▽52402.4341 「はるばる、上州から、やって来たのかしら?」  ▽52402.4342 と、何とはなく明後日に迫る今度の試合が、いかに▼隈なく▲諸国に聞えているかが思いやられた。  ▽52402.4343 それと、数年前――  ▽52402.4344 あの源八がさがし歩いていた中条流の印可目録を手に入れて、偽小次郎となってうろついていた頃の自分の姿が――今になると、浅ましくもあり、何たる懶惰な、破廉恥なと、身ぶるいが出るほど苦く思い出された。  ▽52402.4345 その頃の自分と。そして   「隈なく」#296 52402.4342

「隈なく」#297 49893.1

■『自己の肯定と否定と』(じこのこうていとひていと)
■著者:和辻 哲郎(わつじ てつろう):1889(明治22)年3月1日~1960(昭和35)年12月26日
■初出:「反響」1914(大正3)年4月
■底本:偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集:講談社文芸文庫、講談社:2007(平成19)年

」 89-16 -->  ▽「糸+裲のつくり」 152-2 -->  ▽「山/卒」 206-11 -->  ▽  ▽49893 ================================  ▽和辻 哲郎『自己の肯定と否定と』  ▽49893_42651.html  ▽49893.1 自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が▼隈なく▲自分を支配していた後に現われて来た。そうしてそれは自分を自己肯定の本道に導いてくれそうに思われる。  ▽49893.2 自我の尊重、個人の解放、――これらの思想はただ思想として自分の内にはいって来たのではなかった。小供の時から自分の内に芽生えていた反抗の傾向――すべての権威に対する反抗の気風はこれらの思想によって強い支柱を得、その結果として自尊の   「隈なく」#297 49893.1